2009年8月31日月曜日

消費者行政の一元化へ~消費者庁発足

 各省庁にまたがる消費者行政を一元化して、消費者の安全と安心を守る消費者庁が9月1日発足する。

 ガス湯沸かし器による一酸化中毒事故や冷凍餃子中毒事件では、政府の対応が遅れたため、被害を大きくした。政府は、縦割り行政の弊害をなくし、情報を集約し、すばやく製品事故や悪徳商法等の問題に取り組むため、消費者庁を発足させると決め、初代長官も決定していた。
 しかし、8月30日の衆議院選挙で圧勝した民主党代表の鳩山氏が、官僚OBの長官人事などについて見直しもありうるとしている。

 6月に麻生前首相が、消費者庁の発足を前だおして9月発足を決めたことに対しては、全国消費者団体連絡会などからも、発足延期を求める声があがっていた。発足にむけては十分な準備をして、長官も国民の納得のいく人を選んでもらいたいと思う。
 
 また、消費者の意見が直接届く透明性の高い、消費者庁を含めた関係省庁の消費者行政全般に対して監視機能を有し独立した第三者機関だとされる消費者委員会も、同時に発足する。
 こちらは、どのように審議し、議決するのか、各委員の役割分担や運営方法などはこれから決めるという。

 各省庁が消費者問題をばらばらに扱って、たらい回しにしたり、規制する法律がないということのないよう、消費者庁には、消費者行政の「司令塔」にふさわしい役割を期担ってもらいたい。そのためには、十分な準備が必要ではないかと思う。

《参考記事》
消費者庁:1日発足 多難な船出…民主、人事見直し示唆
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090901k0000m010066000c.html?link_id=RAH04

2009年8月27日木曜日

輸入ワクチン、安全性の確認をぜひ 

 新型インフルエンザが、本格的な流行期に入ったとされている中、厚労省は、新型インフルエンザワクチンの輸入を決めた。国内で生産しているが、生産が間に合わず、必要な分には届かないという。

 ワクチンを輸入する場合、国内で臨床試験を行うが、通常半年かかるという。新型インフルエンザの流行が懸念されるため、感染すると重症化する基礎疾患のある患者や乳幼児に優先的に、接種する必要があるという。

27日、厚労省が開いた豚インフルエンザワクチンに関する専門家意見交換会では、安全性が確認されるまでは、使うべきではないなど、慎重な意見が出された。
 森島恒夫岡山大学教授は、「海外製ワクチンは接種後に熱が出やすいが、日本の子は欧米の子よりけいれんをおこしやすい。日本人での安全性確認が欠かせない」と訴えたという。
 
 また、日本小児科学会の横田俊平会長が、輸入ワクチンについて、「含まれる添加物についての情報がない。短期間、小規模で良いので安全性、有効性を確認する臨床試験をしてほしい」と要望したのに対し、升添厚労相は「迅速性と安全性の両方を兼ね備える形でやりたい」と応じ、臨床試験を行う考えを示した。

 ワクチンの安全性については、十分確認してほしい。豚インフルエンザについては、基礎疾患がある方以外は、重症化せず、インフルエンザ治療薬のタミフルなどで対処できるというから、急いで、ワクチンを接種しなくてもよいのではないかと思う。

 ワクチンの副作用が懸念される一方、WHOなどは、日本がワクチンを生産する力があるのに海外からワクチンを輸入することを批判している。

 《参考記事》
新型インフル輸入ワクチン 厚労相「安全性テストやる」  2009年8月27日13時6分
http://www.asahi.com/special/09015/TKY200908270111.html

2009年8月23日日曜日

核廃絶をめざす「平和市長会議」、加盟366都市へ

 広島、長崎両市が主導する国際NGO「平和市長会議」に加盟する市町村が急増しているという。
 昨年2月に国内でも加盟できるようになって、1年半で364都市が加わり、広島長崎も含め366都市になった。全市町村の20%にあたる。

 82年に、当時の荒木広島市長が、国連軍縮会議で、核廃絶に向けて世界の都市が国を越えて連帯しようと呼びかけ、総会を4年ごとに開いている。国内では366都市、国外では134の国・地域で3047都市が加盟しており、今月7日から10日に長崎で7回目の総会が開かれた。

 平和市長会議は2020年までに世界の核兵器をなくすという「2020ビジョン」を出しており、そのために具体的な道筋を示した「ヒロシマ・ナガサキ議定書」を、来年5月の核不拡散条約再検討会議で、採択させたいとしている。
 
 今年4月、オバマ大統領はプラハで、「核のない世界」の実現に向けて、アメリカが包括的核実験禁止条約(CTBT)を批准することをめざし、核兵器原料の生産を停止する新条約交渉など、具体的な施策に取り組むと表明した。
 このように、世界的に核廃絶の機運が高まってきている中、唯一の被爆国である日本で、核兵器をなくし平和な世界をめざす市町村が増えてほしいものだ。


《参考記事》
平和市長会議、国内加盟が急増 全市町村の20% (朝日新聞 枝松佑樹、加戸靖史)
http://www.asahi.com/politics/update/0817/SEB200908170010_01.html

2009年8月21日金曜日

JR福知山線脱線事故、遺族が検察審査会へ申し立て

 8月21日、JR福知山線脱線事故の遺族が、JR西日本の歴代社長3人を不起訴とした神戸地検の処分を不服として、検察審査会へ審査を申し立てた。
 
 遺族の申し立てでは、事故の背景に、収益拡大のため、安全対策よりスピードアップや経費削減を優先させたJR西の企業風土があったとし、こうした経営方針は井手氏が打ち立て、南谷、垣内両氏が継承したもので、歴代社長に刑事責任があると主張しているという。

 検察審査会の議決にはこれまで法的拘束力はなかったが、今年5月の改正検察審査会法の施行により、審査会が「起訴相当」を2回議決すると、自動的に起訴されることになった。
 
 市民が審議する検察審査会で、検察の今回の不起訴処分が十分検討され、歴代社長の責任を明確にするため、「起訴相当」を決定することを期待したい。

《参考記事》
歴代3社長の起訴求め遺族が審査申し立て JR脱線事故  2009年8月21日11時41分
http://www.asahi.com/national/update/0821/OSK200908210049.html

軍票や旧日銀券など87万件が未返還

 報道によると、終戦後、戦地など海外から引き揚げてきた人から全国の税関が徴収した通貨や証券など、返還されていないものが、87万件(約27万人分)にのぼるという。

 旧日銀券や国債や株券などのほか、大学の卒業証書なども含まれているそうだ。
税関は、「保管証がなくても、上陸地や名前がわかれば全国の税関に照会できるので、心当たりのある人は連絡をしてほしい」と呼びかける。

 税関によると、GHQ(連合国軍総司令部)は、インフレ抑制のために、海外から引き揚げてきた軍人や民間人は帰国の際、一定額以上の通貨や証券類を強制的に保管させられたり、在外公館などに寄託させられたりしたという。
 税関は1953年から、返還を始めたが、未返還のものが87万件にのぼる。旧日銀券などは換金できないが、遺品として持ち帰る人が多いという。

 問い合わせは、全国の税関。問合せ先など、詳細は税関のホームページ
http://www.customs.go.jp/news/hokanshoken/index_shoken.htm
(2009年8月20日 日本経済新聞記事から)

JR西日本「歴代幹部の責任」 被害者に説明へ

 JR西日本は、05年4月のJR宝塚線(福知山線)脱線事故で、山崎正夫社長(66)が業務上過失致死傷の罪で在宅起訴されたことを受け、8月22日、23日に被害者説明会を開く。山崎社長自身が、質問に直接答えるという。

 JR西日本によると、説明会は8月22日に大阪市北区、23日に兵庫県尼崎市のホテルで開催する。

 説明会では事故について改めて謝罪するほか、歴代幹部29人の処分についても説明するという。山崎社長は公判で起訴事実を争う構えで、起訴の対象となった鉄道本部長時代の96年に事故を予測できたかなどについても、可能な範囲で答えるという。
 山崎社長は8月31日付で取締役に退き、今後は事故の被害者への対応などにあたるとされている。

《参考記事》
JR西「歴代幹部の責任明確化」――尼崎脱線、社内処分で被害者に説明へ 2009/08/20配信 
http://www.nikkei.co.jp/kansai/news/news001492.html

2009年8月17日月曜日

ときわ台駅の踏切事故~おくれていた安全対策


 2007年2月6日午後7時半ごろ、ときわ台駅ホームのすぐ脇にある踏切に女性(当時39歳)が侵入しているとの通報を受け、警視庁板橋署常盤台交番の警視庁巡査部長宮本邦彦〔殉職後二階級特進で警視庁警部〕(当時53歳)が女性を交番に保護した。
(写真はときわ台駅ホーム横にある踏切)

 しかし女性はすきを見て交番を逃げ出し、再び踏切に侵入。同巡査部長がこれを救助しようとして女性をホーム下の退避スペースに押し込んだものの、警部自身は間に合わず、ときわ台駅を通過する下り急行電車にはねられて重体となった。

 女性は腰の骨を折るなどのけがをした。2月12日、巡査は意識が戻らないまま板橋区内の病院で亡くなった。

 事故当時、踏切には、警報機遮断機があり、立ち往生した車などをセンサーで検知し、列車に知らせる踏切障害物検知器が設置されていたが、手で押す踏切支障押しボタン(非常停止ボタン)はなかった。
 非常停止ボタンがあれば、まず、宮本巡査が押して、近づく列車を止めることができただろう。また、駅には、ホームに非常停止ボタンがあり、ホームにいた人が押したが列車を止めるには間に合わなかったという。

 ちなみに、私の住まいの近くのJRの駅のホームには、10両編成の列車が止まるが、番線ごとに非常停止ボタンが10個設置されている。つまりホームには2番線まであるので、合計20個設置されている。
 8月5日にときわ台駅に行ったとき探したら、ホームには3個しかなかった。ときわ台駅にも10両編成の普通列車が止まる。
 事故当時、ホームに非常停止ボタンがいくつあったか知らないが、ホーム中ほどに3個しかなくては、いざというときには見つけにくいと思う。

 事故の後、NHKの調べで、東武東上線の各踏切には、踏切支障押しボタン(非常停止ボタン)と踏切障害物検知装置のいずれか一方しか設置されていないことがわかった。
 
 一方、同じ池袋から出ている西武池袋線には、非常停止ボタンと踏切障害物検知装置が両方とも設置されていることがわかった。これについて、国交省は、踏切に非常停止ボタンと踏切障害物検知器のいずれかを設置していればよいという指導をしていることがわかった。
(NHK 2007年2月28日放送)
 その後、東武鉄道は東上線の各踏切に踏切障害物検知装置と踏切支障押しボタンの両方を設置したそうだ。

 宮本巡査が身を呈して女性を助けたことに多くの人が感動した。
地元の人々が中心になって、募金を募り、巡査の行動を讃える碑が建てられた。

 写真は、宮本巡査をたたえた「誠の碑」。宮本巡査が、高校の卒業文集に「誠実、誠心、誠意」と書いていたことから、誠という字が刻まれた。碑の前には、花が絶えることがないという。
(2009年8月5日撮影)

2009年8月13日木曜日

日航123便ジャンボ墜落事故から24年

 8月12日、日航ジャンボ機が御巣鷹山に墜落して、24年がたつ。私にとっては、悲惨な事故をなくすために私に何ができるだろうか、安全で安心して暮らせる社会のために何ができるだろうかと、自分に問い直す日でもある。一歩一歩踏みしめて、尾根をめざしながら、この道が安全で心安らかに暮らせる社会につながる道になりますようにと、願う。

 12日は朝早くから、慰霊のために遺族や関係者らが、尾根を目指して山を登る。しかし、尾根への道は、急な山道なので、以前は足を滑らせたり、転んだりして危なかった。

 今年7月には、群馬県や上野村、日航などの協力で、登山道が整備された。登山道にコンクリートでつくった疑似木を置き、階段状に整えられ、登山道横には手すりがつけられるなど、歩きやすくなった。
 遺族の方や関係者の方が、登りやすくなり、早く登れたと話していた。
 
 12日は、日航の西松社長や岸田副社長らも慰霊登山をしたそうだ。
また、11日、8.12連絡会などが主催する神流川の灯篭流しに初めて参加した岸田副社長(日航安全推進部長)は、「(慰霊は)交通機関の安全を誓う場として、未来永劫続けていかなければならない」と語ったという。
 日航など運輸の仕事に関わる方々には、ぜひ、悲惨な事故を忘れず、二度と同じような事故を起こさないと肝に銘じて、御巣鷹に登ってほしい。
 
《参考記事》
日航ジャンボ機墜落24年 「二度と事故は…」広がる意識  2009.8.13 02:29
http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/gunma/090813/gnm0908130229000-n1.htm

2009年8月10日月曜日

踏切事故の現場をたずねて~2009年4月24日堀川踏切


 2009年2月25日、広島地裁は、2006年12月12日午後6時半ごろ、男子高校生(3年生)が東広島市の堀川踏切(警報機遮断機なし、照明なし)を自転車で渡っていたところ、3台の列車に轢かれて死亡した踏切事故について、危険な踏切の安全対策をとらなかった鉄道事業者の責任を認め、損害賠償を命じた。
(写真は、現在の堀川踏切。事故後の2008年3月、警報機遮断機が設置された。2009年4月24日撮影) 

 広島地裁は、事故のあった踏切は「夜間は踏切を渡る際、列車と県道を走る車のライトが区別付きにくく、また線路がロングレールのため、列車の振動と車の騒音とを区別しにくい」「警報機・遮断機がないことで通行者への危険が少なくない状態だった」として、亡くなった高校生の両親の主張をほぼ認め、踏切が危険だったことを認めた。

 しかし、国交省の鉄道事故等整理表(平成18年度)の当該事故の欄を見ると、鉄道事業者の出した報告とニュース記事とでは、事故の概況についての記述が異なる。なぜ、踏切を通過した列車の本数がちがうのか、県道と線路が並行して走っているというがどういう状況なのか。事故のあった踏切を見てみないとわからないのではないかと思った。

 
新聞のニュースだったので、裁判をおこしたご遺族の連絡先を教えてもらえないかと新聞社に問い合わせたところ、遺族の代理人である弁護士の連絡先を教えて下さった。ご両親の弁護士から裁判や踏切について聞けないかと思い、連絡をとり、今年4月24日、広島の事務所でお会いすることになった。(高校生のご両親とは、連絡先を教えていただけなかったのでお会いできなかった。)

 広島駅から事故のあった西高屋駅までは、山陽本線の列車に乗って行った。駅から車で5分くらいの堀川踏切まで行き、踏切の状況を見たり、線路の見通しはどうかと、駅の方や反対の白市方面を撮影したりした。

 周辺は、中高一貫校や大学、住宅や畑もあり、線路と平行して走る県道は交通量が多く、信号のない横断歩道を渡るのは容易でなかった。白市方面はカーブしていて、踏切からは列車の来る方角が見えにくかった。西高屋方面は線路がほぼまっすぐで、500メートルくらい先に、車両の通れる第1種踏切が見える。
(踏切に立つと、山陽線の線路と、県道が並行して走っているのがわかる)

 広島地裁の判決によると、堀川踏切を通過する列車本数は1日約230本である。約5分に1本の割合で通過している。また西高屋駅の時刻表から逆算すると、堀川踏切あたりで、上下線の列車がすれ違うことが多いと思われる。

 つまり、事故当時、3台目の列車は、1台目の列車と10分くらいの時間差があると思われるが、はじめの2台の上り下りの列車は、あまり時間差をおかずに踏切ですれ違った可能性がある。

 堀川踏切から50mくらい離れた家の住民に、事故当時のことを聞いた。この踏切を日常的に利用するそうだが、当時、夕飯時で家にいたところ、大きな車がぶつかるような音を聞いたという。
 また、「当時、線路の架け替え工事のせいか、踏切を工事していたので、踏切の足場が悪かったが、JRは事故後すぐ踏切道をきれいにしてしまった」とも話してくれた。このことは、鉄道事業者に確認していないが、事実だとすると、踏切が暗い上に、足場が悪かった可能性がある。

 堀川踏切に行った後、夕方、ご遺族の代理人である弁護士を事務所に訪ねて、踏切事故や裁判の話を聞いた。
 この事故のことは、今年の2月判決が出た際の記事でしか知らなかった。事故の詳細を弁護士から聞き、想像をこえる事故の悲惨さ、むごさに胸がしめつけられる思いだった。
 踏切で高校生をはねたはじめの2台の列車は、なぜ、高校生をはねたとき、非常停止しなかったのか。判決の中では、2台の運転手ともぶつかったことに気付かなかったと言っているが、付近の住民は、事故の時刻に大きな音を聞いている。気が付かないはずはないと思う。

 1台目の列車の運転手が、止まって高校生の安否を確認していたら、もしかしたら事故直後は、高校生は致命傷を負っていなくて、助かっていたかもしれないと思うと、残念でしかたない。
 鉄道事業者は、裁判を高等裁判所にもって行くのではなく、悲惨な事故によって高校生の命を奪ったことをまず、両親に謝罪すること、そして他に危険な踏切がないか総点検し、同じような事故が起きないよう、再発防止のための対策をとること、それが利用者や住民から信頼をとりもどすための第一歩ではないかと思う。

2009年8月7日金曜日

原爆投下から64年、原爆症の認定へ


 広島に、原子爆弾が落とされてから、64年がたった。被爆された方々の平均年齢が75.92歳と高齢化が進む中、ようやく、被爆した方々の原爆症認定がなされる。
 原爆症認定裁判の提訴からでも、6年4か月もの歳月が流れた。その間にも、どれだけ多くの方々が亡くなったことだろうか。この1年で死亡が確認された、広島での被爆者の方は5635人、原爆死没者は、合計26万3945人になる。
 
 アメリカのオバマ大統領は、世界中から核兵器をなくしていきたいと語っている。あらゆる国の政府には、核兵器によって、自分に都合よく戦争を終わらせようとするのではなく、話し合いによって、国と国との間の問題を解決する道を探ってほしい。

 また、日本政府は、世界で唯一原子爆弾を投下された国として、世界に原子爆弾の悲惨さを訴え、核兵器の根絶を訴えていってほしい。

《参考記事》
「何十歩も前進」「仲間亡くなった」原爆症訴訟で調印  2009年8月6日20時33分
http://www.asahi.com/national/update/0806/OSK200908060068.html

2009年8月6日木曜日

静かなエコカー、視覚障害者に危険

 今年7月から、国土交通省は、ハイブリッド車や電気自動車は、運転の音が静かなため、視覚障害を持った方や耳の遠くなったお年寄りには、車が近づいたことがわかりにくいことから、事故につながりかねないため、何らかの対策を取る必要があるとして、学識経験者や自動車工業会といったメーカー関係者らに集まってもらい検討を始めている。

 8月5日、NHKのニュースによると、この「ハイブリッド車などの静音性に関する対策検討委員会」は視覚障害者の方に参加してもらい、ハイブリッド車の接近時などの音を聞く体験会を開いた。

 実験によると、参加した視覚障害者ら40名のうち2名の方しか電気自動車車の接近に気がつかなかった。また約半分の方がハイブリッド車の接近に気が付かなかった。
 参加した視覚障害者の方は、低速で接近してくるのを意識を集中して聴いていたから、ハイブリッド車の接近がわかったが、そうでなければ、わからないかもしれないと言っていた。

 ハイブリット車や電気自動車に、接近を知らせるための音をつけようという動きは、国際的な流れになってきており、国連でも今春から検討が始められているという。

 しかし、騒音を抑えたロングレールや、早くて静かに走る特急あずさなどについては検討されていない。鉄道では、警報器や遮断機のない踏切で、お年寄りが列車の接近に気付かず、踏切を渡っているところを列車にはねられて亡くなっている。鉄道でも、対策を検討するべきではないかと思う


《参考記事》
国交省がハイブリッド車体験会 視覚障害者ら走行音聞き比べ
http://www.47news.jp/CN/200908/CN2009080501000841.html

2009年8月2日日曜日

ユネスコ「世界記録遺産」に「アンネの日記」登録

 31日まで、国連教育科学文化機関(ユネスコ、UNESCO)は、世界記録遺産を決める国際諮問委員会を開いていたが、あらたに、「アンネの日記」など、35点を世界記録遺産として登録すると発表した。

 世界記録遺産(Memory of the World)とは、ユネスコが主催する三大遺産事業のひとつで、1997年から始まった。歴史的文書など、記録遺産は、保存の危機にあるものが多い。そのため、ユネスコは効果的な保存手段を講じるため、記録遺産として残すべきものリストの作成をはじめた。
 最新のデジタル技術を駆使して重要な記録を保全し、研究者や一般人など世界の人々が容易に接することができるようにした。また、全世界に広く公開することで、重要な記録遺産を持つ国家の認識を高めることを目的としている。

 今回、人類が記録すべき文書として「アンネの日記」が選ばれたことは、先の戦争の記憶を失ってはならないこととして、あらためて私たちに提示したともいえる。
 
 8月は、戦争の記憶を鮮やかにすべきときでもある。
 平和に暮らすということ、不安なく穏やかに暮らすということはどういうことなのか、そのためには、何が必要なのか、あらためて考えてみようと思う。
  
 
《参考記事》
ユネスコ「世界記録遺産」に「アンネの日記」登録   2009年7月31日17時10分
http://www.asahi.com/international/update/0731/TKY200907310361.html