2010年12月31日金曜日

重大製品事故 再発24件

 報道によると、総務省行政評価局は、独立行政法人製品評価技術機構(経済産業省所管、以下NITEと略)が、「重大製品事故報告・公表制度」による事故原因の調査を終えてから、リコールが始まるまでに、平均57日かかり、その間に24件の事故が再発していたことがわかったと発表した。
 
 国への報告遅れや調査期間の長期化もわかったという。総務省は、リコールまでに時間がかかることが事故の再発要因と判断、年明けにも経済産業省や消費者庁に改善を勧告する予定だという。
 
 「重大製品事故報告・公表制度」は、2007年5月から始まり、国(2009年8月までは経産省、その後は消費者庁)に報告された重大事故は2009年度までで3774件に上る。NITEが原因調査にあたり、製品の欠陥が見つかれば事業者にリコールを促す制度。

 総務省行政評価局は、重大事故をおこしリコールされた103の製品のうち、51製品を抽出、事業者がリコールするまでの日数を調べたところ、事故の発生日から平均120日、NITEの調査終了からだと同57日かかっていた。その間に最初に報告されたのと同様の事故が24件起きていたこともわかったという。

 同行政評価局は、「リコール開始までの時間をできる限り短縮することで、事故の再発を少なくできる」と判断した。

 リコールまでに時間がかかる理由については、▽事業者が多額の費用を嫌がってリコールをしたがらない▽代替品や交換部品の準備が整うまでは混乱を恐れてリコールの踏みきらない―などと分析しているそうだ。
 NITEは、内部ルールで調査日数を「原則90日以下」としていたが、リコールに発展した80件について行政評価局が調べると、8割強の66件が内部ルールを超えていたこともわかった。うち、31件は181日以上調査に要していた。
 
 事故調査が長期化する背景には、事故調査にあたるNITEの職員数が事故件数に比して大きく不足していること、事業者側が事故製品の図面や材質などの報告書を出すまでに時間がかかること、製品の問題を指摘するNITEの調査結果に対して事業者が「たまたま不良品が出ただけ」と否定するなど、NITEと事業者の見解が分れるため調整に手間取ることなどがあるといわれる。

 これに対して、NITEでは、今年6月業務マニュアルを改訂し、「原則90日」としていた調査期間を「90日以内に処理する案件の割合を75%以上とし、180日以内に特別な案件を除いて全件を終える」と変更、調査に必要な資料を事業者が提出する期間も「1ヵ月以内」と、新たに定めた。

 事故調査のスタッフと予算を拡充し事故調査にかかる時間を短縮して、すみやかに事故情報を消費者に公表することがのぞまれる。

 また、消費者庁などで、事故の再発を防ぐために、調査結果が出なくとも、事故の事実を公表し、その時点で分かる範囲で消費者に使用方法などについて、注意を呼びかけてほしい。
 
《参考記事》
「リコールまで時間かかりすぎ…重大製品事故の再発24件」
2010年12月30日3時2分、朝日新聞http://www.asahi.com/national/update/1229/TKY201012290373.html

《重大製品事故》
①死亡、全治30日以上の重傷②後遺症が残る③一酸化炭素(CO)中毒④火災―を重大事故と定義し、メーカーや輸入事業者は、事故発生を知った日から10日以内に国に報告するよう義務づけられている。事業者が違反すると、1年以下の懲役、100万円以下の罰金を科すことができる。

2010年12月29日水曜日

イラク・スーダン通貨でトラブル急増~消費者庁実態調査へ

 消費者庁は、イラクやスーダンの通貨を本来のレートの何倍ものレートで買わされる被害が多発している事態を重く見て、東京都内などの13の業者に報告を求めることをきめた。

 国民生活センターや消費者生活センターなどには、昨年夏ごろから相談があり、特に今年の夏ごろからは相談が急増しているという。昨年8月からの累計相談件数は800件以上になり、特に65歳以上の高齢者からの相談が大半だという。また、契約総額は、10月末時点で、20億2千万円に達した。

 今回問題となったイラクの通貨ディナールの最近のレートは、2万5千イラクディナールが約1800円で、50スーダンポンドが約1700円だという。

 これに対して、業者は、「絶対に価値が急激に上がるから、今買えば、将来円に両替したときに儲かる」などと言って、2万5千イラクディナール紙幣1枚を10万円で売るなど、暴利で販売している。また、いつでも換金できるといっているが、実際には、担当者が今は換金できないと言って断るなど、ディナールの買い取りは行われていないことが、相談などからわかった。

 国民生活センターによれば、イラクディナールなどは、日本国内の銀行では取り扱いがないなど、取引が困難で、換金性にとぼしいという。また、将来通貨の価値があがるかどうかは不確定で、消費者が支払った金額や利益は保証されたものではないのに、「絶対もうかる」など断定して説明するのは、問題がある説明である。

 また、「劇場型」や「被害回復型」といった手口もみられるという。業者からの勧誘前後に、別の業者が「ディナールを購入すれば、それを数十倍の高値で買い取る」と消費者の投資欲をあおり契約させる(劇場型)。
 過去に未公開株の被害にあった消費者に対して「過去の未公開株を買い取るが、ディナールの購入が必要」とうたって契約させる(被害回復型)といった手口である。ふつう、知りえない未公開株購入の情報など、個人情報を知っているのはおかしいので、契約しないことが大切だ。

 消費者庁や国民生活センターは、業者が何度も家に押しかけてきて、断り切れずに契約してしまったり、少しでもおかしいと思ったら、すぐに警察や消費者生活センターなどに連絡してほしいと、注意を呼びかけている。 

《参考》
「未公開株など新たな手口による詐欺的商法にご注意!」(平成22年9月24日、消費者庁)
http://www.caa.go.jp/adjustments/index_3.html
「イラク通貨(イラクディナール)の取引に要注意!‐高齢者等をねらった新手の投資トラブル‐」
(平成22年6月22日、独立行政法人国民生活センター)
http://www.kokusen.go.jp/pdf/n-20100624_1.pdf

《参考記事》
「イラクやスーダン通貨のもうけ話、ご注意を 相談急増中」  
2010年12月22日15時0分 (朝日新聞 茂木吉信)
http://www.asahi.com/national/update/1222/TKY201012220236.html

2010年12月23日木曜日

「静人日記」(天童荒太著)の中の踏切事故

 昨年、天童荒太氏の「悼む人」が直木賞を受賞した。
 主人公坂築静人(さかつきしずと)は、亡くなった人を悼む旅を続けている。小説のはじめ、彼は何ものなのかわからない。彼が行く先々で出会うさまざまな人々との関わりを通して、次第に彼の不可解な行動の意味が明らかになっていく。

 天童氏は、小説「悼む人」を書くにあたって、主人公の「日々体験する苦悩や葛藤、喜びなどを、わが事として感得しないと、その存在を読者に伝えることは難しいだろう」と、主人公坂築静人の日記をつけることにした。

 「亡くなった人を、誰かれの区別なく、誰を愛し、誰に愛され、どんなことをして人に感謝されたか、ということを覚えつづける……悼む人。このうき世離れした人物を表現したい」と、天童氏は、一日一度、彼と同化する時間をつくることを決める。そして、報道で知りえた人や、想像上の人物を悼み、仮想の現場で起きた事柄や出会った人のことや、心にわきたつ感情を写しとるという作業を三年間つづけた。
 精神的な負担が大きく、ときには続けられるかと疑問に思ったが、夜空に光る流れ星に励まされることもあって、三年間主人公の日記を書き続けた。

 この坂築静人の日記は、当初発表する予定はなかったが、さまざまな死の有りようと遺族の一様ではないかたち、そして「静人と彼らとの出会いによるきしみなり変化なりを」読者に感じ取ってもらいたいと思い、発表することにしたという。(以上は、天童荒太著「静人日記」の「謝辞」から)

 200編余りからなる日記の中には、主人公がさまざまな死と巡り合い、人にたずねたりして、事故や事件の現場に行ったことが書かれている。2006年3月20日の日記には、ある踏切で亡くなった54歳の女性のことが書かれていた。

 その女性は、日ごろ舅の看病をしていた。脳が萎縮する病気を患った舅は、歩けなくなり、気短になり、彼女を呼んでもすぐに彼女が来ないと、怒鳴ったり、苛立って食卓の盆をひっくり返すようになった。
 舅を病院に付き添って、診察が終わり家に帰ると、舅の薬を薬局に取りに行かねばならない。いつも行く薬局は、その日、臨時休業で、彼女は遠くの薬局に行った。

 案の定、薬を手に入れるのに時間がかかった。ふだん通ったことのない踏切は、その日、電車が通らないのになかなか開かなかった。早く帰りたくて急いていた彼女は、遮断機をくぐって横断し始めた。そこへ、急行電車が来て、彼女は撥ねられた。

 ターミナル駅に近い、線路が何本も通るその踏切は、高圧線の鉄塔のせいで、見通しの悪いところがある。主人公が、踏切が開くのを待っていると、30分近く待たされた。ようやく開いた踏切を、主人公は、思いを込めて渡ったと、日記にある。

 東京の開かずの踏切でも、踏切で女性が亡くなるという事故があった。
 2005年10月12日、京浜東北線・東海道本線の大森駅蒲田駅間にある開かずの踏切で、高齢の女性一人が亡くなり、女性一人が重傷をおうという事故が起きた。人身事故のよるダイヤの乱れが原因で、1時間以上遮断機が下りた状態が続き、踏切では「こしょう」(故障)という表示が出ていた。
 JR東日本によると、踏切の故障でなくても、遮断機が30分以上下りていた場合は、自動的に「こしょう」と表示されることになっているという。そのため、なかなか開かない踏切に困惑した通行者が踏切をくぐって渡ったと見られている。

 事故当時、この表示のせいで、踏切の通行者が、踏切が故障して遮断機が開かないと誤解し、踏切を渡ったのではないかという指摘が専門家などから出され、JR東日本は踏切の表示を改善した。
 また、2006年3月東海道本線の三河大塚駅・三河三谷駅間の踏切でも同じような事故が起きたという。これらの事故を受けて、国土交通省は全国の鉄道事業者に対して「こしょう」の表示を廃止するよう指示した。

  無謀と思われた行動の裏にあった事情や、踏切が抱えていた問題に深く思いを巡らして下さった「静人日記」の作者と同じ想像力が、安全対策を担当する人にもほしい、とまではいわない。
 しかし、せめて、列車が走る現場の安全対策を、踏切を渡らなくてはならない通行者の立場からも、検討する努力をしてくださっていたら、蒲田のような事故は防げていたのではないかと、つい思ってしまう。

《参考》
「静人日記」天童荒太著、2009年文芸春秋刊

《参考記事》
「昨日のJR京浜東北線・踏切内人身事故と昨年の六本木・自動回転ドア事故の意外な接点」
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/TOPCOL_LEAF/20051013/109631/

2010年12月16日木曜日

柏崎市の第2下原踏切、警報機・遮断機設置へ

 今年、8月、柏崎市のJR越後線第2下原踏切で、近くに住む小学生(10歳)が、警報機・遮断機のない踏切で、列車に撥ねられて亡くなった。
 亡くなった児童の両親によると、事故当時、線路わきには背の高い雑草などが生い茂り踏切からは列車の来るのが見えにくかったという。また、現場は踏切手前で線路がカーブしており、踏切の路面も砂利道で、歩きにくかったかのではないかと思う。

 この事故のあと、地元の町内会長でつくる西中通地区総代会や、柏崎市や刈羽村の小中学校40校のPTA会長などがJR東日本や柏崎市などに、踏切の安全対策をもとめる要望書を提出していた。
 
 これに対して、JR東日本は、事故のあった踏切に警報機・遮断機を設置する方針を、柏崎市に示したことが、報道でわかった。
 報道によると、柏崎市は、10日、総代会に対する説明会を開き、JR東が事故のあった第2下原踏切を第1種に改善するとともに、この踏切内への車両の進入を禁止することや小学校近くにある第4種踏切を廃止したいといっていることを説明したという。
 柏崎市は、地区やJR東と協議を重ね、今年度中に合意を目指したい考えだという。

 亡くなった小学生のお父さんは、「また同じような事故が起きるのではないかと不安だった。一歩前進してうれしい」と話しているという。
 
 二度と同じような踏切事故が起きないよう、市やJR東には、さまざまな安全対策に早急に取り組んでほしいと思う。
 

《参考》
事故のあった踏切については、当ブログの以下の記事を参照してください。
「踏切事故の現場をたずねて~新潟県柏崎市JR越後線第2下原踏切」
http://tomosibi.blogspot.com/2010/11/2.html

《参考記事》
「遮断機設置へ/小5事故死した柏崎の踏切 」   2010年12月14日 (富田洸平)
http://mytown.asahi.com/niigata/news.php?k_id=16000001012140005

2010年12月13日月曜日

解体現場、死亡事故が後絶たず

 今年、10月14日、岐阜市で、金属加工会社の工場の解体工事中、高さ11m、幅約18mの壁が現場前の道路に倒壊し、自転車で通りかかった女子高校生(17歳)の真上に倒れ、高校生が壁の下敷きになって亡くなった。

 報道によると、工事を請け負った岐阜市の解体業者は、壁が道路側に倒れないように固定するワイヤーを張らずに作業していたとされ、労働安全衛生法で作業主任を配置することが義務付けられているのに配置していなかったという。

 全国解体工業団体連合会によると、2008年の解体現場での死亡事故は、前年よりも11件増えて42件となった。建設業全体の死亡事故はピーク時の2004年から2008年までに3割近く減っているのに、解体絡みの死亡事故はが逆に2割増えているという。
 
 2003年には、富士市で解体中のビルの壁が崩れ落ち、通行人ら4人が死亡2名が負傷するという事故がおきている。国土交通省は、この事故を受けて解体工事の事故防止対策のためのガイドラインを策定したが、強制力はない。

 最近は、公共事業が減ったり、景気が低迷するなど、解体工事のコストを削減するよう業者は求められており、手抜き工事で利益を出そうとする業者もいるという。
 また、1960年代から70年代の高度経済成長期に建てられた建築物の取り壊しや建て替えが今後、増えると考えられており、解体作業も増えると思われる。

 これらの建物は、後から増改築を重ね、構造が複雑になっているものが多いという。そのため、解体工事も難しくなってくる。解体時には、安全性への配慮と、計画的な作業が求められることになる。

 専門家は、解体は壊すだけと軽く見られがちだが、作業や安全管理を怠らないよう、法整備も検討すべきだと指摘している。
 
 解体作業にあたる業者には、突然の事故によって何の罪もない通行者が犠牲になることのないよう、十分な安全対策をとってほしい、そして国交省には事故を防止するために強制力のある法の整備をすすめてほしいものだと思う。

 最後になりましたが、亡くなられた女子高校生のご冥福を祈ります。
 
《参考》
国土交通省
「建築物の解体工事における外壁の崩落等による公衆災害防止対策に関するガイドラインについて」(平成15年7月3日)
http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha03/01/010703_.html
《参考記事》
「建物解体現場の死亡事故続発 業者、コスト優先で穴 」  2010/12/6 0:49 日本経済新聞電子版 http://www.nikkei.com/news/latest/article/g=96958A9C93819695E2E0E2E1E68DE2E7E3E0E0E2E3E29191E3E2E2E2

2010年12月8日水曜日

踏切事故の現場をたずねて~秩父鉄道持田24号踏切と桜町踏切

 今年9月8日、埼玉県熊谷市にある秩父鉄道持田24号踏切では、大学生が自転車で渡っていたところ、列車に撥ねられるという事故が起きた。ここは事故当時、警報機や遮断機がなく、踏切の標識と、踏切入口にポールが3本立っているだけだった。

 事故当時の状況はよくわかっていないが、大学生は当時携帯音楽プレイヤーをしていたとみられ、踏切を渡る人のあとについて続いてわたり、列車に撥ねられたという。事故当時は重体で、いまだに意識がもどらない状況だと伝え聞く。
 イヤホンをつけていても、警報機の音は大きいので、よほどでなければ聞こえると思うし、点灯する警報機の赤ランプがあれば、目でわかる。持田踏切が警報機や遮断機もない踏切であることが事故を引き起こしているといえるのではないか。
 その後、事故のあった持田24号踏切は、廃止が決まり、年内にはガードレールなどを設置して入れないようにするという。

 現在は、木杭を立てワイヤーをかけて、踏切内に人が入れないようになっている。

(持田24号踏切 2010年12月8日撮影)
  この踏切の右には、大きな建物があり、踏切停止線に立たないと列車が来るのが見えない。
(持田24号踏切 2010年12月8日撮影)

 持田24号踏切のすぐ駅寄りには、踏切~見えるところに第1種の踏切がある。しかし、付近の住民の人たちは、第4種の方が近道で車両も通らないので、持田24号踏切を渡る人も多いと聞く。
 しかし、踏切道の路面を見ると、レールとレールの間に陥没した所があり、自転車のタイヤがはさまったり、足がかかってつまづいたりしないかと気になる。(下の写真)
(持田24号踏切の路面  2010年12月8日撮影)
一方、2009年12月と、2008年9月に死亡事故があった東行田にある桜町踏切(東行田第5踏切)は、住民へのアンケートの結果、存続が決まり、今年度中には警報機と遮断機が設置され、第1種に改善されるということが決まった。
 
(桜町踏切(東行田5号踏切) 2010年12月8日撮影)
桜町踏切では、1年余りのうちに、中学生が亡くなる事故と、幼いお子さんが線路内に入って亡くなる事故が起きており、踏切の安全対策がもとめられていた。

 そのため、この夏、秩父鉄道は事故のあった踏切や人通りの多い第4種踏切21か所に、音声で注意をうながす装置を設置した。2mほどの鉄柱の先に音声装置がついている。(下の写真)
 踏切入口に人が来ると、センサーが働き、音声で、「危ない。踏切では止まって、右、左を確認してから渡りましょう」と注意を促す。又、桜町踏切では、ポールのほかに、U字型の柵も設置され、自転車などがすぐに入れないようにしている。
 
(桜町踏切の音声装置 2010年12月8日撮影)
  桜町踏切から、列車の来た方を見ると、第1種踏切が見え、線路が緩くカーブしているのが見える。冬のせいか、木々の葉も落ち雑草が枯れているため、線路の周辺が明るく感じた。
 私が、2008年10月にはじめて、桜町踏切に来たときは、もっと雑草が青くしげり、線路のカーブもよく見えず、見通しが悪いのではないかと思った。
(桜町踏切から列車のきた方を見る 2010年12月8日撮影)

(桜町踏切から列車の来た方を見る 2008年10月9日撮影)

 踏切事故を減らすためには、小さな子どもや児童たちには、ただ注意を促す看板を増やすのではなく、具体的にどんな点に注意をしたらよいか指示してほしいものである。
 踏切から列車が見えていても、どの程度踏切から離れているのか、大きなものは距離感がわかりにくいとヒューマンエラーの専門家は指摘する。警報機や遮断機もない踏切では、大人は、具体的に、どのあたりに列車がみえていたらもう渡るのは危険だから踏切内に入らないほうがよいなどと、具体的に教えるべきだ。
 
 また、踏切を第1種にすれば、安全対策が万全かといえばそうではないと思う。スピードがあり重量の大きな列車が通過する踏切や線路そのものが危険なところなのだから、踏切そのものをなくすための根本的な解決(高架化や地下化など)を目指しながら、当面できる踏切保安設備の設置や線路内に入れないように柵を設けるなどの安全対策をつみ重ねていくべきではないかと思う。

 最後になりましたが、事故に遭われた大学生が一刻も早く回復されることを祈ります。

《参考記事を追加:12月9日》
「東行田第5踏切:連続死亡事故 遮断機・警報機を設置 秩父鉄道、年内着工 /埼玉」
http://mainichi.jp/area/saitama/news/20101209ddlk11040298000c.html

2010年12月6日月曜日

秩父鉄道桜町踏切の事故から1年~幼い子どもの事故

  2009年12月6日午後、埼玉県行田市の秩父鉄道桜町踏切で、電車好きのお子さんが線路内に入り、列車にはねられて亡くなった。この桜町踏切は警報機、遮断機がなく、2008年9月にも、中学校に行く途中の中学生が、急行列車にはねられて亡くなっていた。

 この12月6日の夜、私は、踏切で息子さんを亡くした方と電話で話をしていた。昼間、踏切で幼い子が亡くなったことを知らなかった私たちは、久しぶりに電話したので、お互いの近況などを語り合っていた。
 翌日、報道で、秩父鉄道の踏切でまた事故がおきたことを知って、やり切れない思いになった。
1年余りのうちに、同じ踏切でまた幼い子供の命が奪われたことに、憤りさえ感じた。

 事故当時、秩父鉄道に問い合わせたところによれば、2008年9月の事故後、踏切には警報機などをつける対策はとられておらず、行田市と対策を検討中だったという。

 以前にもこのブログで、2008年9月の事故の後、桜町踏切をたずねたことを書いたが、踏切の付近は宅地化が進み、事故のあった踏切は住民や小中学生が日ごろよく通る踏切である。
(「踏切事故の現場をたずねて」 http://tomosibi.blogspot.com/2009/06/blog-post.html

 秩父鉄道ができたころの環境とちがい、付近の交通量も住民もふえているはずである。鉄道の周辺の環境の変化に応じた対策がもとめらているはずなのに、人が亡くなる事故が起きても、事業者は踏切を渡る人の責任にして再発防止策をとらないから、また事故が起きるのではないだろうか。

 同じような事故を繰り返さないための対策を検討し、迅速に実行することが、亡くなった人の命を無駄にしないことだと思う。
 
 最後になりましたが、一周忌に、あらためて亡くなったお子さんらのご冥福を祈りたいと思います。

2010年11月30日火曜日

地下壕9850か所、崩落の恐れ487か所~全国に残る地下壕

 報道によると、11月29日、太平洋戦争中、旧日本軍が造った地下壕が崩れて住宅が陥没して住めなくなった男性2人が、国に家の修理費用や慰謝料などの損害賠償をもとめていた訴訟の判決があった。東京地裁立川支部は、判決で「家の陥没は国が地下壕の安全対策を怠ったため」として、国の責任を認め、約3500万円を男性らに支払うよう命じた。

 国土交通省の調べによると、全国の市街地には、地下壕が9850か所あり、崩落などの危険のある地下壕は487か所にのぼることがわかった。
 地下壕は、戦時中、旧日本軍や、軍需工場、町内会などによって造られ、おもに防空壕として使われていた。

 訴状などによると、2002年10月、男性の家の玄関に通じる階段が崩れ始め、その後庭が縦5メートル、横4メートル、深さ3メートルにわたって陥没し、二人の男性の家がそれぞれ2軒とも傾いた。二人は転居し、今も家に戻れていない。
 周辺では1945年2月に旧陸軍航空本部が工場の疎開先として、総延長4.2キロの壕を着工し、約75%完成したところで終戦となった。二人の自宅の下にはいまでも、南北方向に壕が通っているという。
 裁判では、原告側は、「国が地下壕を埋め戻すなどの対策を取らず放置したため崩落が起きた」と主張した。一方国側は「国は終戦で地下壕の占有権を失い、壕を管理しておらず、事故を回避すべき義務はない」と争っていた。

 2005年には、鹿児島市で、防空壕の跡地にいた中学生4人が一酸化中毒で死亡、事故後、鹿児島市は、1千か所以上の防空壕の入口をコンクリートブロックでふさいだが、まだ約460か所が残っているという。
 2000年には、鹿児島県の鹿屋市で県道が陥没して、看護師の女性が亡くなる事故が起き、遺族が国と県に賠償を求め、鹿児島地裁が国の責任を認め、約5600万円の支払いを命じた。

 国交省と地方自治体は、1998年から2009年度、周囲に影響の出る恐れのある地下壕を中心に、195か所を埋め戻すなどしたが、新たに発覚する地下壕が後を絶たず、危険な地下壕がなかなかなくならないという。

 国交省の担当者は、「地下壕の存在が発覚すると、不動産の評価額が目減りする可能性がある。地下壕があると知っていても、公表を嫌う地権者もいて、正確な数が把握できない」と話しているそうだ。

 戦争が終わって65年もたつのに、防空壕が全国各地に存在し、危険と隣り合わせで生活している人がたくさんいることは驚きだった。裁判を提訴した日野市の男性らは「不動産取引の際に、地下壕などの存在を告知する義務を設けるべきだ」という。
 早急に、壕を埋め戻すなどの対策を実施することが望まれると思う。

《参考》 国土交通省都市・地域整備局「特殊地下壕対策事業」について
http://www.mlit.go.jp/crd/city/sigaiti/tobou/chikago.htm
《参考記事》
「地下壕訴訟、国に3500万円支払い命令 地裁立川支部 」 2010年11月29日14時1分朝日新聞
http://www.asahi.com/national/update/1129/TKY201011290263.html
「危険な地下壕、全国487カ所 陥没で死者・家屋被害も」朝日新聞http://www.asahi.com/housing/news/TKY201011260558.html

2010年11月19日金曜日

踏切事故の現場をたずねて~新潟県柏崎市JR越後線第2下原踏切

 11月13日朝、JR東日本上越新幹線の長岡駅を降り、今夏、事故のあった柏崎市のJR越後線下原第2踏切に行った。

 今年、8月19日、柏崎市の警報機・遮断機のない第4種踏切で、小学5年生の男児が亡くなった。
日頃から早起きだった男児は、夏休みに入ってからも、朝早く起きて朝ごはんの前にトレーニングのため、ランニングをしたり自転車で家の周辺を走ったりしていた。

 ご両親が目撃していた人から聞いた話によると、19日朝7時ころ、第2下原踏切にさしかかった男児は、いったん踏切の入口で立ち止まったらしい。その後、踏切に自転車で入ったところ、西中通方面から来た普通列車に撥ねられ、頭を強く打って亡くなった。

 事故のあった踏切は、男児の自宅から100mほどのところにある。男児が立ちどまった踏切の入口あたりは、事故当時、踏切には一旦停止の線もなく、砂利道で、線路の枕木もふわふわと腐りかけていたという。
 
 また、踏切には、事故当時、警報機・遮断機・照明もなく、横断者が近づくと音声で注意を促す音声警報装置と、電光表示板に「左右確認」などと表示する装置が、踏切の両側にそれぞれ1台ずつ設置されていた。しかし、男児が渡った側の装置は2003年から壊れていた。列車の来た方角は右に大きくカーブしており、事故当時、踏切横の草も背高く生い茂って、踏切入口に立つ人からは、列車の来るのを見えにくくしていた。事故後、線路横の草は一部刈られたものの、踏切入口からは線路は見えにくい。
(上の写真は、踏切横から列車の来た西中通方面を見る。事故後、線路横の草が刈られた。
2010年8月23日朝7時、男児のご両親が撮影。)
(上は、踏切入口から小学生の目の高さで、列車の来た方を見た。今は手前の草は刈ってあるが、事故当時は草が背高く伸びていたという。事故後、踏切は舗装された。2010年11月13日撮影)

 線路は道路から高くなっているため、踏切道は傾斜があり、その上、線路と45度くらいの角度で交差している。そのため、踏切道は幅2m、長さ10mほどと、思ったよりも長い。
 第2下原踏切では、18年前にも、お年寄りが列車に撥ねられるという事故が起きている。

   (上の写真は、小学生が来た方から踏切を見たところ。踏切道は線路とななめに交差しており、事故当時は砂利道で歩きにくかった。2010年8月23日、ご両親撮影)       
(2010年8月23日、ご両親撮影) 
 
 私が踏切に行った時は、すでに踏切は舗装され、枕木も新しいものに取り換えられたようだった。しかし、踏切入口に立って、列車の来た方角を見ると、踏切の脇は背の高い草が繁っているため、線路が見えない。線路が見えないということは、踏切に接近する列車も見えないのではないかと思った。

  事故後、周辺の地元町内会会長や柏崎市内の小中学校PTAが、踏切の安全対策を求める要望書を、JR東日本新潟支社や新潟県、柏崎市、北陸信越運輸局などに提出した。

 小学校が近くにあり、中学生が通学に使う橋場町踏切(第4種踏切)や小学校の通学路に使われている下原街道踏切(第1種踏切)は、いずれも児童生徒が通行する際には、出勤のための車両の通行が多く、児童らには危険な踏切だと感じた。

 橋場町踏切(第4種踏切)は、小学校のすぐ脇にあり、中学生が通行する。小学生も通学時には通らなくても放課後、通ることもあるだろう。橋場町踏切は見通しが良いとは思うが、せめて列車の接近を知らせる装置がほしいと思った。

(小学校脇にある橋場町踏切。事故後舗装された。11月13日撮影)
 下原街道踏切では、道路が三差路になっており、踏切道にある歩道は狭く、登校時に児童が登校班でいっしょに並んで通るには狭く、車両と接触する危険があると思った。
 又、踏切道と線路が斜めに交差しており、三差路になっているために踏切を渡ってすぐに右折する車両が多く、登校する子供たちにとって、小学校のある左方向へ横断するのが危険だという。

(下原街道踏切。踏切向こうから小学生たちが集団登校する。)

 朝は、この街道が通勤の車両で渋滞するという。児童たちは、踏切がある上に、信号のない三差路を注意して渡らねばならない。児童たちの安全を誰が守るのだろうか。
 小学校のPTAや児童・生徒の父母の皆さんだけでなく、危険な踏切や通学路をなくす対策は、自治体や鉄道事業者にこそ、取り組んでほしいと思う。

 
 残念だが、いつも踏切事故のあった現場を見て思うことは、踏切を取り巻く環境が変わっているのに、鉄道事業者や自治体は、その変化を把握して十分な安全対策をたてるのではなく、周辺の変化に対応せずに危険になった踏切の状況を放置していたのではないかということだ。

 小学生が亡くなった柏崎市の踏切の周辺も、新しい住宅が増えて、スーパーや地区施設や保育園などが建てられ、踏切を行き来する住民が増えているのに、踏切の設備が壊れても何年も放置したり、凸凹な路面をそのままにするなど、鉄道事業者や自治体の安全に対する姿勢に疑問を感じた。


 そんな危険な踏切を放置すれば、そこで犠牲になるのは足の弱いお年寄りや背高く生い茂った草で列車が見えずに踏切に入ってしまった子供たちなのだ。 
 車両の通らない静かな安全な踏切だと思って通行する人たちを裏切らないよう、事業者や自治体は十分な安全対策を検討して、せめて二度と同じような事故が起きないように努めてほしい。

(新潟県内には、JR東日本の踏切は852か所、そのうち警報機・遮断機のない踏切は75か所あるという。)

《参考記事》
「ニュースの現場 小5踏切事故死」 2010年9月20日

2010年11月18日木曜日

事故のあった熊谷-持田間の第4種踏切、廃止へ

 報道によると、熊谷市曙町2の持田第24踏切(第4種踏切)が廃止されることになった。
 
 今年9月、大学生が自転車に乗って踏切を渡っていたところ、列車に撥ねられて重体となる事故が起きた踏切で、警報機や遮断機などはない。その後、付近の住民と踏切に廃止について、熊谷市や秩父鉄道、住民らで協議が進められていた。今回、住民の理解が得られたので、12月下旬に廃止されることが決定した。22日から、踏切には柵が設けられ、通行できなくなるという。

 事故のあった踏切から、約70m先には、警報機・遮断機のある第1種踏切がある。第4種踏切がなくなると遠回りになるだけでなく、車両などといっしょに通行する第1種踏切は、お年寄りや子供などにとっては危険であることが多い。踏切に歩道がないと、車両などに接触することもあり、危険なので、あえて車両が通行しない第4種踏切を渡るというお年寄りや障害を持った方も多い。

 住民の方と、市や事業者が話し合いで危険な第4種踏切を廃止するならば、これから通行することになる第1種踏切に十分な安全対策をとってほしい。第4種踏切の廃止によって、不便になる人たちへの対策を十分考えてほしい。

 たとえば、第1種踏切に十分な幅のある歩道を書き、路面がデコボコしているならば平らになおす、非常ボタンなどを設置するといったことは、すぐできる対策だと思う。

《参考記事》
「秩父鉄道:踏切22日から閉鎖 大学生事故の熊谷-持田駅間、住民の理解得る」 
/埼玉  【藤沢美由紀】
http://mainichi.jp/area/saitama/news/20101117ddlk11040280000c.html

東京大学柏キャンパスで、エレベーター不具合

 16日、国土交通省は、東京大学柏キャンパス(千葉県柏市)で、シンドラーエレベーター(東京都江東区)が製造・保守点検するエレベーターの扉が開いたまま降下するトラブルがあったと発表した。
 同省などによると、11日、当該エレベーターは、定員19名、積載荷重1250kgで、1階から学生18人が乗った直後、扉が開いたまま、かごが降下を始めた。このとき、エレベーター外に避難した学生2名のうち、1名が、床の段差でひざを打撲した。
 エレベーターは、地下1階近くで止まり、自動の復帰運転装置が作動して1階に上昇して止まったという。

 同省住宅局建築指導課には、平成22年11月12日、情報提供があり、同日、特定行政庁の柏市、昇降機等事故対策委員会委員、国土交通省による調査を行った。また、同省はシンドラー社に対して、全国に設置する同型機計約360基について緊急点検を指示した。

 シンドラー社製のエレベーターでは、2006年6月3日、港区の区立の高層マンションで、エレベーターを降りようとした高校生が、扉が開いたまま上昇したエレベータに挟まれて亡くなる事故が起きている。
  その後、昨年9月、国交省は、新たに設置されるエレベーターについては二重ブレーキを義務付けたが、既設のものについては、数年後に補助ブレーキの取り付けが義務付けられる見通しだという。
 既設のエレベーターは、全国に70万基あるといわれている。高層マンションや高層団地に住む人は増え、エレベーターは大切な「移動手段」になっている。また、公共施設だけでなく、商業施設や駅などでは、お年寄りや障害を持った方をはじめ多くの方がエレベーターを利用し、エレベーターは日常生活になくてはならないものになっている。

 今回の事故について、事業者や監督官庁は、利用者の安全のため、事故の事実を正確に把握して、事故原因を調べ、同じような事故が起きないよう、早急に再発防止策に取り組んでほしい。


《参考》
国土交通省「東京大学柏キャンパス総合研究棟におけるエレベーターの戸開走行について」 平成22年11月16日
http://www.mlit.go.jp/report/press/house05_hh_000202.html


《参考記事》
「東大・柏キャンパスでエレベーター不具合」   2010/11/16 12:15
http://www.nikkei.com/news/article/g=96958A9C93819695E3E4E2E0968DE3E4E3E3E0E2E3E29180E2E2E2E2;n_cid=DSANY001

2010年11月14日日曜日

教育費の負担割合、過去10年で最高

 報道によると、日本政策金融公庫が今年度、国の教育ローンを利用している世帯を対象に実施したアンケートによると、家庭の年収に占める教育費の割合が4割近くに上ることがわかった。負担の割合は、この10年で最高となった。景気が低迷する中、年収が減少し、とくに収入が低い世帯で負担の割合が大きくなっているという。

 アンケートは7月に郵送で実施し、2、3月に国の教育ローンを利用した世帯のうち、5409世帯からの回答を集計したもの。
  
 調査結果によると、小学校以上の子供の在学費用の割合は、世帯年収に対して平均37.6%で、2009年度から3.9%増えた。2009年度の世帯の平均年収が592.6万円から20万円近く減って572.5万円となった一方、授業料や通学費、教科書代などが増えているという。

 年収200万円以上400万円未満の世帯の在学費用は166.7万円で、年収に対する負担の割合は56.5%にのぼり、他の年収世帯層の負担の割合が、2~3割台なのに対して、負担が大きい。年収800万円以上の世帯の在学費用は、237.8万円で、年収の高い世帯層ほど、教育費が高いこともわかった。
 高校入学から大学卒業までにかかる1人あたりの費用も、1059.8万円で、2009年度から52.1万円増えた。

 教育費をねん出するため、各家庭が節約に努めており、旅行やレジャー費、外食費などが削られていることもわかった。
 日本では、世界でも類を見ないほどに、子どもの教育費の負担が大きくなったことは、OECDの調査結果でも明らかになっている。
 9月に発表されたOECD(経済協力開発機構)の調査によると、教育費の私費負担の割合は、日本は33.3%、OECD各国の平均は17.4%で、日本は平均の2倍近くにのぼる。

 次の時代を担う子どもは社会全体で育てていくものと考えるなら、教育費の公的負担の割合を高めるべきだろうと思う。また教育費の家計への負担を減らし、教育費以外への支出を増やすことは、長い目で見れば、景気回復にもつながるだろうと思う。 

《参考記事》
「教育費、世帯年収の37% 負担割合、過去10年で最高」    2010年11月14日3時0分 http://www.asahi.com/national/update/1113/TKY201011130244.html?ref=any

2010年11月11日木曜日

バレリーナ森下洋子さん、広島名誉市民に

 今年9月、広島市は、市議会で、デザイナーの三宅一生さん(広島市東区出身)と、世界的プリマバレリーナの森下洋子さんを名誉市民に決めた。
 
 三宅さんは、7歳で被爆し、昨年ニューヨークタイムズ紙に被爆体験をつづった「閃光の記憶」を寄稿した。広島市は、三宅さんが核廃絶と世界恒久平和を願う「ヒロシマの心」を世界に広くアピールしたと評価した。
 
 また、森下さんは、子どものころから体が弱かったため、医師に運動をすることを勧められ、3歳からバレエを始めた。平成9年には、文化功労者に選ばれるなど、日本を代表するバレリーナ。
 
 その森下さんが、朝日新聞の連載「核なき世界へ~被爆国からのメッセージ」の中で、爆心地近くで被爆しひどい傷を負いながらも、明るく生きた祖母の思い出を語っている。
 「(祖母は)79歳で亡くなるまで恨み言一つ漏らさなかった。命の重みと、苦しさを乗り越える人間の強さ、そして、原爆はあってはならないということを無言のうちに教えてくれました。」
 「厳しいけいこを重ねながら精神の輝きを表現したいと願う原点には、一番身近な人から核兵器の恐ろしさを教えられた者として、人間を愛することの大切さ、平和への祈りを伝えねばという思いがあります。」(2010年11月3日付朝日新聞)
 
 そして、森下さんは、オバマ大統領には、ぜひ、広島を訪れて今も苦しんでいる被爆者の人たちと向き合ってほしいとも語る。
 ホワイトハウスによると、オバマ大統領は、11月12日に来日するが、「公式日程以外に時間がない」ため、広島・長崎には訪問しないという。
 しかし、広島や長崎で、誰にも迷惑をかけないようにと誠実に生きてきたにちがいない人々の無念を心に深く刻み、核兵器をなくすことに全力をつくす、それが核なき世界を訴えて、ノーベル平和賞を受け取った人の責務ではないだろうか。
《参考記事》
「三宅一生さん、森下洋子さんを名誉市民に 広島市」   2010.9.28 20:02
http://sankei.jp.msn.com/politics/local/100928/lcl1009282008009-n1.htm

2010年11月4日木曜日

東京ー立川間の中央線、踏切ゼロに~高架化事業終了へ

 報道によると、JR東日本は10月30日までに、「開かずの踏切」解消のために、1999年からすすめていた高架化工事が終了すると発表した。中央線三鷹ー立川間の工事で、11月7日朝に終了する。この区間にあった18か所の踏切はすべてなくなり、東京ー立川間には踏切がすべてなくなることになる。

 最後の工事は、西国分寺ー立川間の約3㎞の上り線を高架上の線路に切り替える工事。三鷹ー立川間にあった踏切は18か所のうち、16か所が朝夕ラッシュ時の1時間に40分以上閉まっている「開かずの踏切」だった。そのため、交通渋滞が日常化していた。
 また、なかなか開かない踏切のため、通行者が滞留し、踏切が開くと車両と通行者が一度に多数わたるので、危険だといわれてきた。

 今回踏切が解消することで、鉄道の線路によって分断されてきた町の行き来がたやすくなり、町の発展にも役立つことだろう。また、踏切で待つ車両の排気ガスなどの問題もなくなることと思う。

 上の写真は、立川駅から10分ほどのところにある国立踏切。踏切から東京方面を見る。右側は、中央線下り方面線路がある高架。国立踏切も、7日には、廃止になる。下の写真の図は、踏切脇にあり、高架化工事について説明している。(2010年10月27日撮影)
  


 《参考記事》
「中央線、東京―立川の踏切ゼロに 高架化が11月終了」 2010/10/29 21:38 【共同通信】http://www.47news.jp/CN/201010/CN2010102901000922.html
 11月6日追加記事
「開かずの踏切、今は昔 三鷹-立川間 あす 高架化終了」(朝日新聞)

2010年10月30日土曜日

JR阪和線杉本町駅踏切事故から1年

 「JR阪和線杉本町駅(大阪市住吉区)北側の「開かずの踏切」の事故を減らすため、JR西日本と大阪市が、新たに同駅ホーム東側に改札を設けるなどの改良工事を、2010年度から行う検討をしている」という記事を見たのは、今年の1月だった。

 杉本町駅は、東側に大阪市立大学があるが、東側には改札口がなく、駅構内の「開かずの踏切」を渡って西口に行かないと駅改札に入れないそうで、朝夕など通勤・通学の乗客や付近の住民で踏切を待つ人があふれる状況になっているそうだ。
 JRなどによると、付近では2006年4月以降4件の事故が起き、3人が死亡、1人が重傷を負っているという。

 このような「開かずの踏切」の問題を解消するため、駅に東口を設置してほしいと、大阪市立大学関係者や地元町内会や住民、障害者団体などで「JR杉本町駅東口設置推進の会」(以下推進の会と略)をつくり、JRや大阪市に対して東口設置の要望をつたえてきた。
 今年1月の報道は、その「推進の会」に、大阪市が今年1月26日、改良工事は2011年度までに完工し、駅東口や、駅の東西にエレベーターを新設する計画で、高架化も意識した設計にするという回答をしたという内容だった。

 その後どうなっただろうかと思っていたら、JRの所有地に囲まれた三角形をした大阪市の所有地に、契約なしでショベルカーをおいて占拠している住民がいて、工事の進行のめどが立っていないということが「推進の会」などからの情報でわかった。用地の明け渡しに関する問題で、計画が進んでいないのだという。

 このような中、10月8日、杉本町駅の踏切事故から1年がたち、踏切の東西の町の住民や大学関係者や大阪市担当係長、JR駅長など80余名が参加して、追悼の会を催されたという。

 2009年10月8日は、事故当時、台風の影響で、列車運行が乱れ、日頃から開かずの踏切だった踏切が一層開かない状況だったという。そのため、踏切が開くのを待つ通勤・通学の人の中には、待ち切れず踏切の遮断機をくぐって西口へ渡る人が何人かいて、その中の一人の若い女性が、列車に撥ねられて亡くなるという惨事が起きた。

 追悼の会の中で読まれた追悼文の中には、女性が「東から踏切を渡って、杉本町駅から通勤に向かう途上でした。この事故は、杉本町駅東口設置の要望活動のさなかでもあり、東口設置が間に合っていれば起こり得なかったこと」として、「私たち多くの者は悔しさと悲しみで一杯」だと書かれている。
 そして、「2度とこのような痛ましい事故が起こらないよう、東口工事の一刻も早い完工を犠牲者の御霊に誓いたく思います」と、一刻も早く駅改良工事を進めることを訴えている。

 さまざまな所で、多くの方々が、悲惨な踏切事故を目の当たりにして、踏切の改良や駅などの改善を訴え、踏切事故をなくそうと取り組んでおられることに、心より感謝したいと思う。
 そして、一刻も早く、大阪市やJR西日本によって駅改良工事が進められ、住民のみなさんが安心して駅を利用できるようになることを願いたい。

 最後になりましたが、昨年事故に遭われた女性をはじめ杉本町駅踏切事故の犠牲者の皆さまのご冥福を祈ります。 

《参考記事》
「開かずの踏切」問題解消へ 杉本町駅の改良工事を検討 」2010年1月27日
http://www.asahi.com/kansai/travel/news/OSK201001270070.html
《参考にしたブログ》
「JR杉本町駅北踏切死亡事故の1周忌追悼集会」(ブログ「どこにでも行こう車イス」)
http://kurumaisyu.exblog.jp/15255909/

2010年10月27日水曜日

私立大学の4割が赤字

 報道によると、15日、日本私立学校振興・共済事業団のまとめで、私立大学の226校で、赤字だったことがわかった。2009年度、経営状況をしめす帰属収支差額が赤字の大学は、私立大学の4割に近く、1997年度に比べ、5倍近く増加したという。

 調査は、私立大学595校のうち580校が回答しており、大学の規模が小さい大学ほど、経営が厳しく、学生数1000人未満の大学では、65%の大学が赤字だそうだ。
 私立大学580校の収入合計(約3兆2334億円)の内訳は、学生の納付金が77%をしめる。国などの補助金11%、入学検定料などの手数料収入は3%となっている。

 私立大学・短期大学は、大学・短大の約80%を占め、大学生のおよそ75%が学んでいる。私立大・短大が教育と学術研究において重要な役割を担い、国民の高等教育を受ける権利を保障してきた。
 9月に発表されたOECD(経済協力開発機構)の調査によると、教育費の私費負担の割合は、日本は33.3%、各国の平均は17.4%で、日本は平均の2倍近くにのぼる。また2007年、日本は、教育機関への公的支出(奨学金をのぞく)が国内総生産(GDP)に占める比率が、3.3%だった。(今回発表されたのは、2007年の調査のため、10年度からの高校授業料実質無料化などの公的支出はふくまれない)

 政府は、私立大学等経常費補助金(私立大学助成)を削減するのではなく、増やすことで、私立大学の研究・教育の質を向上させ、国民の学費負担を減らし教育をうける機会を保障する必要があると思う。
 
《参考記事》
「私大の4割、226校赤字 97年度の5倍、不況が影響」
http://www.47news.jp/CN/201010/CN2010101501000933.html

2010年10月24日日曜日

柏崎市の地元町内会長ら、警報機・遮断機の設置を要望

 9月27日、柏崎市の地元町内会長でつくる西中通地区総代会が、同市の会田洋市長に、8月19日近くに住む小学5年生の児童が亡くなったJR越後線第2下原踏切に警報機と遮断機を設置することや地区内の踏切5か所の安全対策の強化をもとめる要望書を提出していたことがわかった。

 報道によると、同総代会はJR東日本と新潟県にも文書で要望したということだ。小学生が亡くなった踏切は第4種踏切で、警報機や遮断機もない。また地区内にある小学校近くの通学路に使われている踏切も第4種で、警報機や遮断機もないという。

 総代会は「踏切を改善し、事故の再発防止を果たすことが地区の役割」だとして、事故のあった踏切や地区内の第4種踏切を遮断機と警報機付きの「第1種踏切」に格上げするよう要望した。

 これに対して、JR東日本は、同踏切に警報機などを設置する予定はなく、最終的には廃止したい方針だという。

 しかし、地域住民の生活に必要な道路や小中学生の通学路になっている踏切は、廃止するのではなく、安全対策を高めていってほしいと思う。宅地化がすすみ学校や幼稚園などができるといった鉄道を取り巻く環境の変化を、鉄道会社は十分に把握して、踏切の安全対策を進めるべきだと思う。

《参考記事》
「『警報・遮断機を』男児死亡の踏切、地元が要望」 柏崎  2010年9月28日 (清水康志)
http://mytown.asahi.com/areanews/niigata/TKY201009270323.html

2010年10月19日火曜日

食品安全委員会「エコナ」検証チーム発足

 報道によると、16日までに、内閣府の食品安全委員会は、昨年販売中止となった花王の食用油「エコナ」について、含有成分などを科学的に検証するワーキンググループを立ち上げた。
 
 花王の食用油「エコナ」は、昨年9月、発がん物質「グリシドール」に変化する可能性のある「グリシドール脂肪酸エステル」を多くふくむため、花王は昨年9月に販売を停止し、10月には特定保健用食品の表示許可も返上していた。

 食品安全委員会は、これまでに花王からグリシドール脂肪酸エステルにかんする情報や試験結果などの資料の提出を要求した。

 今年8月のラットにグリシドール脂肪酸エステルを投与する実験では、体内にグリシドールが確認されたとされているが、人体への具体的な影響はわかっていない。

 花王の食用油「エコナ」の問題は、特定保健用食品についても見直すきっかけになっている。私たちは、健康に過ごしたいと願っている。だから、すこしでも健康によいとうたわれれば、「特定保健用食品」を選ぶこともある。メーカーは、そうした消費者の期待に答えて、食品の安全性を十分検討して、安全な食品を提供してほしいと思う。

《参考》当ブログ記事
「花王『エコナ』出荷一時停止、安全性は?」 
http://www.blogger.com/post-edit.g?blogID=4405889452910222518&postID=5791812876519384529

《参考記事》
食品安全委、「エコナ」検証へチーム 発がん物質との関連評価  2010/10/16 21:55
http://www.nikkei.com/news/article/g=96958A9C93819695E3E7E2E6808DE3E4E3E2E0E2E3E2E2E2E2E2E2E2?n_cid=DSANY001

2010年10月14日木曜日

JR山田線盆景踏切、事故から1年、遮断機・警報機設置へ

 2009年10月20日、JR山田線の盆景踏切(岩手県宮古市八木沢)で、列車と乗用車が衝突し、乗用車に乗っていた高校生と母親の二人が亡くなった。この踏切には、警報機や遮断機はなく、2006年にも死亡事故が起きていた。
 
 報道によると、12日、宮古市は、盆景踏切に遮断機などを設置する工事が間もなく終わり、事故からちょうど1年となる20日から供用すると発表した。
  
 同踏切には遮断機と警報機が設置される上、私道だった道路を市道にして幅員を2・5メートルから5メートルに拡幅。また、同じように事故が起きていた近くの竹洞踏切にも警報機・遮断機が設置される。
 
 事故が起きる前の昨年8月、宮古市はJR東日本と協議して、盆景踏切をふくむ市内4か所の踏切を2010年度に計画、2011年度に整備する予定だったという。
 しかし、昨年10月盆景踏切で親子二人が亡くなったことから、遮断機と警報機の設置を求めて、付近の住民がJR東日本盛岡支社に、1131人分の署名を提出、宮古市は、2010年度に踏切の整備費を予算化、事故から一周忌になるのを前に踏切の整備をすすめた。

 事故で亡くなった高校生(当時17)は宮古商高の野球部員だった。チームメートだった高校生は、踏切の整備が完成することに、「彼は帰ってこないけれど、後輩たちも通るところなので良かった」と話しているそうだ。
 
 しかし、今回、盆景踏切と竹洞踏切の整備は終わるが、宮古市内には遮断機も警報機もない踏切が、まだ26カ所残っているという。宮古市は、今後もJR東日本と協議を進めていく予定。

 JR東日本には、踏切を取り巻く環境、宅地化による住民の増加や学校・幼稚園開設などの変化を把握して、踏切の安全対策を検討してほしい。

《参考記事》
「2人死亡の踏切 遮断機と警報機の設置」 2010年10月13日 朝日新聞
http://mytown.asahi.com/iwate/news.php?k_id=03000001010130001

2010年10月13日水曜日

消費者団体が食品事故・偽装表示の情報のデータベース構築

 6日、日本消費者連盟(東京)、食の安全・監視市民委員会(同)などの消費者団体が、食品の事故や偽装表示など、消費者からよせられた食品関連の情報のデータベースを構築すると発表、ホームページ上で誰でも見られるようにする。重大事故や悪質な事例は、事業者名を公表したり、刑事告発を検討することもあるという。

 消費者団体による本格的なデータベースの構築ははじめてで、データベースの名称は「食の安全・市民ホットライン」http://www.fsafety-info.org/
 16日から、ファクスやメールなどで情報の収集を始める。
 一般の消費者には、事業者名などを公表しないが、データベースの作成に協力する8団体は、具体的な事業者名や商品名、発生場所などの情報に常にアクセスできるようにするという。
 
 今年4月から、消費者庁は、製品事故や食品事故などの情報を集めた「事故情報データバンク」を運用している。しかし、事故情報の公表内容が不十分だとの指摘もあり、消費者に役立つ情報の公開がもとめられていた。

《参考》
「食の安全・市民ホットラインご参加の呼びかけ」(食の安全・市民ホットライン)http://www.fswatch.org/2010/10-06.htm
《参考記事》
「食品事故・偽装表示の情報、消費者団体が収集」  (2010/10/6 23:24 )
http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819695E2E4E2E1E58DE2E4E3E2E0E2E3E29180EAE2E2E2;at=ALL

2010年10月8日金曜日

踏切は減っているのに、なぜ踏切事故は減らない?

 国土交通省の「鉄軌道輸送の安全にかかわる情報(平成21年度)」によると、鉄道の高架化や廃止などにより踏切の数が減っているにもかかわらず、通行者が犠牲になるなどの踏切事故が昨年度は、増加に転じたことがわかった。

 報道によると、非常停止ボタンなど踏切の安全装置が使われていないケースがあり、利用が大幅に減った鉄道会社もあったという。識者は「ボタンの数が足りない」「わかりにくい」などと指摘しているという。

 9月19日には、東京都府中市の京王線東府中駅近くにある「東府中2号踏切」で、女性(67歳)が準特急電車にはねられて亡くなる事故が起きた。また、その約1か月前の8月23日には、世田谷区の東急大井町線等々力駅構内にある踏切で、踏切を横断していた71歳の女性が急行電車にはねられ亡くなった。いずれも警報機と遮断機がある踏切だが、遮断機の脇に設置された非常停止ボタンは使われていなかった。
 
 写真は東府中2号踏切。踏切入口にある非常ボタンのところから、府中方面をみる。(2010年9月25日撮影)

下は等々力駅構内にある踏切。駅に入るには、踏切を渡らねばならないため、遮断機が下り初てからも、急いで駆け込んで渡る人が多い。事故当時、駅構内が混雑していたのか、当時の状況はよくわかっていないが、女性は遮断機内に取り残されて亡くなった。(2010年9月29日撮影)


 東府中2号踏切では、事故の後、非常ボタンを2か所から4か所に増やした。先月東府中2号踏切をたずねたら、秋の交通安全キャンペーンなのか、踏切では京王電鉄の駅員が、「踏切事故防止」を訴えるチラシなどを配布していた。

 京王の駅員は、「踏切で非常の事態が起きた際に、非常ボタンを押してくれれば運転士に連絡がいき、非常停止できるので、非常ボタンを押してください」と言っていた。しかし、自分が何らかの原因で踏切に取り残されたとき、踏切の周辺に他に人がいなければ、非常ボタンを押してもらえない。また、通行人に非常ボタンの設置場所もすぐわかるようにしておく必要があるのではないだろうか。

 子供や高齢の方が踏切内に取り残された際、自動検知できる設備や、踏切内でつまずいたりレールに挟まれたりしないよう路面を整備するなど、交通弱者に配慮した安全対策が必要ではないかと思う。

《参考》
「鉄軌道輸送の安全にかかわる情報(平成21年度)」について、当ブログでは
http://tomosibi.blogspot.com/2010/09/21.html
参考記事》
踏切減ってるのに事故増非常ボタン足らない?
(2010年10月8日17時31分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20101008-OYT1T00939.htm

2010年9月30日木曜日

秩父鉄道東行田桜町踏切の事故から2年~第1種踏切へ

 2年前の9月27日、インターネットで、秩父鉄道の東行田にある桜町踏切でおきた事故のニュースを見た。ニュース映像に映る踏切を見て、これが踏切なのかと驚いた。狭くて、警報機も遮断機もない踏切で、周りは雑草が生い茂っているようだった。ニュースを報じたテレビ局に桜町踏切の場所を聞き、現場をたずねた。
(下の写真は、秩父鉄道東行田市桜町踏切。今月、第1種踏切に改善されることが決まり、今年度中に踏切保安設備が設置されることになった。写真は事故直後の2008年10月8日撮影したもの)

 踏切にたつと、こんなところで、なぜ、中学生が尊い命を落とさねばならないのかと、納得がいかず、やり切れない気持ちになった。
 その後も、踏切事故がおき、ニュース記事の意味がわからないと報道機関に問い合わせ、現場に行ってみた。

 出かけて行った事故の現場は自宅から日帰りで行けるところがほとんどで、すべての踏切事故の現場に行ったわけではない。
 それに、踏切に行き初めた時、踏切事故の原因を考えたり調べるということは考えてもみなかった。事故の原因や安全対策は、鉄道事業者や専門家の方々が考えて下さるものだと思っていた。事故で亡くなった方の冥福を祈りたいという気持ちが強かった。

 でも、現場に行ってみると、亡くなった方の冥福を祈ることができない、亡くなった方は、まだ安らかに眠ることができないのではないか、と思った。

 どうしても、どうぞ安らかに…と言えなかった。

 私の母がそうであると思うように、踏切で亡くなった方々は、まだ、もっと生きたかった、いろいろなことがしたかったと、思っているのではないかと、思えた。

 そして、何よりも、亡くなった方々が、「なぜ、こんなところで死ななくてはならなかったのか」と、突然の死の意味を問いかけてくるように思えた。

 その問いは、私自身のものでもある。

 なぜ、東武鉄道本社の担当者たちは、竹ノ塚駅の踏切保安係の仕事を知ろうとしなかったのか、
なぜ、事故のあったあの日、踏切の保安係たちは社内規定どおり組になって仕事をせず、遮断機の上げ下げを一人の保安係にまかせていたのか、
 なぜ、東広島市の堀川踏切(第4種踏切)では、3台の列車が止まらず高校生を撥ねたのか、なぜ1台目の列車は非常停止しなかったのか、
 高知の佐川町の白倉踏切(第1種)では、周囲の踏切にはあるのに、なぜ、ここだけ、非常停止ボタンがないのだろうかと思った。
 なぜ、秩父鉄道の桜町踏切(第4種)には、急行が走るのに警報機も遮断機もないのだろうかと、思った。
 なぜ……

(下の写真は、東武伊勢崎線竹ノ塚駅近くの踏切。事故後、踏切は自動化され、エレベーター付きの歩道橋が設置された。長さ33mもある踏切では、安全のため、警備員が通行者の誘導にあたっている。2009年8月撮影)

 いくつもの素朴な問いかけに、納得のいく答と、有効な安全対策をうち出してくれるところがないまま、危険な踏切がいろいろなところに放置されているのではないか。
 それは、竹ノ塚の踏切の問題と同じ構図ではないのか、このままでは、また同じような事故が起きるのではないか。
 その不安と恐怖は、幾度も現実のものとなって、やり切れない思いと胸苦しさに、何度もおそわれた。

 踏切事故が、渡る人の過失や不注意だけではなく、踏切そのものの危険性や安全対策の不備に目を向けられないまま、放置されれば、同じような事故がくりかえされる。

 極端な事を云ってしまえば、事故の原因が渡る人の過失や不注意だけにあるなら、不注意な人間が亡くなれば(つまり減れば)、事故も減るはずだ。
 しかし、むしろ、ここ数年踏切事故の死傷者数は横ばいだし、踏切事故は減るどころか、平成21年度は41件(13.4%)も増えた。そうなると、原因は、渡る人だけにあるのではなく、他にもっと根本的な原因があるのではないか。

 なぜ、昨年度は踏切事故件数や死傷者が増えたのか、国土交通省鉄道局の担当者に問うたが、担当者は調べていないそうだ。
 事故を一つ一つ丁寧に調べて、類型化し、対策を検討し、根本的な対策をとらなければ、事故や死傷者は減らないのではないだろうか。

 踏切事故の現場の様子や事故の状況を知り、できるだけ多くの方がたにお伝えすること。
それが、私が唯一、亡くなった方がたに対してできることではないかと、自分に問うてみる。

 桜町踏切の事故から2年、あらためて、私にできることを問いなおし、少しずつ積み重ねていこうと思った。

2010年9月28日火曜日

急な角度で交差する踏切~府中市東府中2号踏切の事故

 9月19日、京王線府中―東府中駅間の東府中2号踏切で、近くに住む女性(67歳)が、新宿行き準特急電車に撥ねられ亡くなるという痛ましい事故が起きた。
                               
 事故から1週間近くたった25日、現場の踏切に行った。踏切の入口に立った。道が斜めのせいか、距離感がわかりにくい感じがした。事故当時、女性が、どのように渡ったのか、慣れない踏切を歩いていてつまずいたのか、何かを落としてしまい立ち止まって拾っていたのか。なぜ、渡り切れず踏切内に取り残されたのか、報道からはわからない。
 しかし、踏切に立ってみて思ったのは、このような急角度で交差した踏切道と線路は危険ではないかということだ。(下の写真は東府中2号踏切)

踏切から府中方面を見る(下)。
踏切から100mから、カーブになっており、列車が直前まで見えない。


 報道によると現場の踏切では、2004年12月に84歳の女性が、08年1月にも72歳の男性が渡り切れずに、はねられて死亡するという事故が起きているという。

 事故後の2005年、京王電鉄は、対策として、遮断機を付け替えて、線路と平行に設置し、遮断機と遮断機の間の長さを35mから23mに短縮する、警報時間を8秒から14秒に延ばすなど対策をとった。
 また、今回の事故をうけて、京王電鉄では、非常ボタンを2個から4個に増やし、警報時間も延ばしたという。
 報道では、斜めに道路と交差する長い踏切を、なるべく短い距離で渡ろうとしたらしい女性が、渡り切れずに列車に撥ねられたと伝えている。
 
 現場の踏切は、線路と旧甲州街道(都道)がななめに交差している。そのため、思っていたよりも踏切道が長かった。写真でもわかるが、旧甲州街道の道路中央線(黄色)が、踏切停止線(白色、線路と平行だと思う)と急な角度で交差しており、測ったら30度なかった。
  
   踏切道は幅7m程度、長さ約25mだが、線路が道路とななめに交差しているため、歩きにくかったり、自転車に乗っていて車などをよけようとしてハンドルを切ると、タイヤがレールの間に挟まれる危険がある。
 
 現に、私が踏切を歩いて渡っている時、小学生3人が自転車で踏切を走ってきて、最後尾にいた小学生の自転車のタイヤがレールの隙間にはさまれ、動けなくなった。
 警報機は鳴っていなかったが、急いで、自転車を上に持ち上げ、レールから外してあげた。もし、これが警報機が鳴っていて、誰も近くにいなかったらと思うとぞっとした。

  レールに足や自転車などのタイヤを挟まれやすいことは、京王電鉄や警察もわかっていて、注意を促す看板があり、絵も道路に書かれている。
 
 看板には、「踏切内で自転車のハンドルを切ると大変危険です この踏切では自転車をおりてご通行願います」と書かれているが、通行する人をみていると、看板に気付かず、ほとんどの人が自転車に乗ったまま渡っている。

 踏切では、京王電鉄の社員が、「踏切では無理に横断しない」よう書いたチラシとタオルなどを、踏切で待つドライバーの方々に配っていた。
 
 しかし、踏切を通行する人や車に注意して渡るようにと訴えるのもよいが、有効な安全対策を講じてほしいと思う。京王線は、東府中2号踏切の400メートル手前くらいまで、鉄道が高架になっている。この高架化を先にすすめることを検討すべきではないだろうか。
 
 東京都は、「踏切基本対策(平成16年)」の中で、今回事故のあった東府中2号踏切も2025年までに改善する「重点踏切」の一つに取り上げている。その後、6年ほどの間にこの踏切で3人の方が亡くなった。同じような事故が再び起きないよう、早急に対策を検討してほしいと思う。

 
最後になりましたが、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。

 
《参考記事》
「電車接近見えづらく 67歳死亡 東府中・斜め踏切」 (粂文野) (2010年9月22日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyotama/news/20100921-OYT8T01297.htm

「京王電鉄 踏切の安全策強化」 (NHKニュース)
http://www.nhk.or.jp/lnews/shutoken/1004191101.html

2010年9月23日木曜日

小学5年生が亡くなった警報機・遮断機のない踏切~柏崎市JR越後線

 夏休みの8月19日午前7時ころ、新潟県柏崎市橋場町のJR越後線の第2下原踏切で、近くに住む小学5年の男児が列車に撥ねられて亡くなった。

 報道によると、踏切には、警報機や遮断機がなく、人を感知すると音声で注意を促す装置を設置していたが、2003年ころに壊れてからJR東は修理せずそのままになっており、看板などで注意をうながしていたという。踏切道は、線路が盛り上がっているため、傾斜があり、砂利が敷かれていて歩きにくいという。この踏切では1992年にも、82歳の女性が撥ねられて死亡する事故がおきていた。

 小学生は、毎朝、自転車でトレーニングのため自宅周辺を走り、この日は、自宅に帰る途中、踏切を渡っているところを事故に遭った。
 現場の踏切は、西中通駅と東柏崎駅との間にあり、西中通駅から約600m、左にカーブしていて見通しが悪いという。また、事故当時は、夏草が背高く繁り、踏切から列車が見えにくかったという住民の話もある。

 地図を見ると、第2下原踏切の近くには保育園や住宅地がある。踏切は、幅約5メートル、長さ約10メートル。北側に畑や集会所があり、南側にはバス停や食料品店がある。踏切から約400m離れた警報機・遮断機のある踏切は、自動車の通行が多く歩道もせまいため、住民は自動車の通らない第2下原踏切を利用することが多いという。

 住民の利用が多く、児童や生徒も通行する踏切には、警報機や遮断機をつけた方がよいと思う。
まして、見通しが悪いために列車の接近もわかりにくいのであれば、なおさらのこと。
 児童に注意を促すだけではなく、小学校近くの踏切も警報機や遮断機を設置して、ぜひ児童の安全を確保してほしいものだと思う。

《参考記事》
「柏崎踏切で列車にはねられ小5死亡--JR越後線 /新潟」
毎日新聞 2010年8月20日 地方版
http://mainichi.jp/area/niigata/news/20100820ddlk15040129000c.html

「小5踏切事故死」  2010年09月20日 朝日新聞新潟
http://mytown.asahi.com/niigata/news.php?k_id=16000001009210003

2010年9月21日火曜日

渡りきれない踏切、早急に対策を

 報道によると、9月19日、午後0時50分ころ、府中市八幡町3丁目にある京王線東府中2号踏切で、足が不自由だったという女性(67歳)が列車に撥ねられて亡くなった。
 警察は、女性が踏切を渡り切れずに列車にはねられたとみており、警報時間などが適切だったかどうか、検討する必要がある。

 現場の踏切は、遮断機と遮断機の間が約23mあり、道路幅は約7mだが、線路と道路が斜めに交差しており、線路をななめ横断する形になっているという。女性は、踏切道の最短距離を渡ろうとしたようだ。踏切に入った後、警報機が鳴り、遮断機が下りた。列車 の運転士は、踏切内にいる女性に気付いて警笛を鳴らし、急ブレーキをかけたが、間に合わなかったという。

高知県佐川町踏切事故、遺族とJR四国が和解

 2009年4月13日、電動車いすに乗って踏切を横断しようとした女性(当時86歳)が、踏切内に取り残されて、出られなくなり、特急電車に撥ねられて亡くなった。昨年8月、亡くなった女性の遺族が、踏切の安全対策に不備があるとして、JR四国に損害賠償を求めて訴訟をおこしていたが、今月17日、高知地裁(小池明善裁判長)で和解が成立した。

 和解の主な内容は、
①JR四国は、事故のあった踏切などに、踏切の緊急事態を運転手に知らせる非常ボタン(踏切支障報知装置)の設置を検討する。②車いすの利用者や高齢者など、交通弱者の安全確保のため、踏切の事故防止に努める。③双方が損害賠償請求権を放棄する。④JR四国は亡くなった女性に対して哀悼の意を表する、など。

 亡くなった女性の遺族である長女(60歳)の話によると、裁判長は、JR四国に対して事故のあった白倉踏切に、非常ボタンを取りつけるよう要望したという。
 また、女性の長女は、「JR四国は障害者や高齢者など交通弱者に対する安全の確保のため、安全対策につとめる」という内容が盛り込まれ、訴訟を起こした意味があったと、感慨深げにこの1年あまりをふりかえった。

 女性の遺族は、事故の後、「母の命を無駄にしたくない。同じような事故をなくしたい」と、JR四国の安全対策の問題点を指摘し、踏切の安全対策を求めてきた。今回の和解の内容は、事故をなくし、安全対策をすすめてほしいという遺族の思いに答えるものだと思う。

 JR四国をはじめ、鉄道各社には、亡くなった方の命を無駄にしないため、踏切事故の原因を調べて事故の再発防止に努めてほしい。高齢の方や、障害を持った方、小さなお子さんを連れた方などが、安心して渡れるよう、踏切の安全確保に努めてほしい。

《参考》 高知県佐川町白倉踏切の事故については当ブログ
「踏切事故の現場をたずねて~高知県佐川町白倉踏切」
http://tomosibi.blogspot.com/2010/04/blog-post_26.html
 
《参考記事》
「車いす女性踏切事故死:賠償訴訟、和解 遺族、安全対策を要望--地裁 /高知」 毎日新聞 9月18日(土)16時49分配信
http://mainichi.jp/area/kochi/news/20100918ddlk39040629000c.html

「佐川町のJR踏切事故で和解」  09月17日 20時14分 NHK高知
http://www.nhk.or.jp/lnews/kochi/8014055241.html

2010年9月16日木曜日

「鉄軌道輸送の安全にかかわる情報(平成21年度)」~国交省鉄道局が公表

 今年7月、国土交通省鉄道局は、「鉄軌道輸送の安全にかかわる情報(平成21年度)」(以下、「情報」と略)を公表した。

 平成21年度の「情報」をみると、運転事故の41.7%を踏切事故がしめている。また死傷者数も運転事故全体の37.3%をしめ、国交省鉄道局も「踏切事故防止は鉄道の安全確保上、極めて重要なものとなって」いると指摘している(「情報」33ページ)。 

 踏切事故は、長期的には減少傾向にあるといわれており(「情報」14ぺページ)、特に平成17年3月の竹ノ塚踏切事故の後、各方面の踏切事故防止の取り組みもあって、平成20年度には、平成17年度から100件余り踏切事故の件数が減っていた。

  しかし、「情報」によると、平成20年度に比べ、平成21年度の踏切事故の件数は、41件増の355件で、踏切事故の死亡者は125人で9人増、死傷者は274人で、60人増えている。
  平成21年度は、減少傾向が止まり、踏切事故件数にして13.4%、死傷者数にして29%増えているのである。この増加がどんな要因によるものなのか、国交省鉄道局には十分事故情報を分析して、踏切事故を防ぐ対策を講じてほしいものである。

 特に、第3種、第4種といった警報機や遮断機のない踏切では、警報機・遮断機のある第1種踏切よりも事故の発生する割合が高くなっている(「情報」15ページ)。国交省や地方自治体、各鉄道事業者には、地方の路線などに残る危険な踏切や「開かずの踏切」の安全対策を急ぎ、悲惨な踏切事故の犠牲者をなくすよう努めてほしい。
 
《参考》
「鉄軌道輸送の安全にかかわる情報(平成21年度)」国土交通省鉄道局 平成22年7月
http://www.mlit.go.jp/common/000124042.pdf
「鉄軌道輸送の安全にかかわる情報(平成21年度)の訂正について」(平成22年9月14日)
http://www.mlit.go.jp/common/000124056.pdf

2010年9月10日金曜日

第4種踏切で事故、大学生意識不明の重体~秩父鉄道

 9月8日午後4時30分ころ、熊谷市曙町2の警報機・遮断機のない第4種踏切で、自転車に乗って踏切を渡ろうとした熊谷市の大学生が秩父鉄道の普通電車に撥ねられて頭を打ち、意識不明の重体になっているという。

 大学生は、携帯音楽プレイヤーを身につけていたことから、音楽を聴きながら自転車に乗っていたとみられ、警察は事故との関連を調べているが、秩父鉄道では警報機も遮断機もない踏切での事故が相次いでいる。警報機も遮断機もない踏切での事故が発生する割合は、全国的にも第1種踏切(警報機・遮断機のある踏切)に比べて高いことは、国土交通省の統計でもわかっており、早急に対策が求められていたところだ。

 秩父鉄道の第4種踏切では、今年5月にも、高校生が接近する列車に気付かず撥ねられて亡くなる事故が起きており、1999年以降第4種踏切では13人の方々が亡くなっている。これらの事故の対策として、秩父鉄道では、この夏、通行者に注意を促す自動音声装置の設置をすすめていたところだという。

 列車の接近を知らせる装置のない踏切はあってはならないと思う。通行者の注意だけにたよるのではなく、十分な踏切の安全設備が必要だと思う。また、踏切での見通しがわるかったり、踏切道の路面が悪いこともある。事故のあった場所では、十分事故の原因を調査して同じような事故が起きないよう、再発防止策を講じてほしい。

 秩父鉄道は、経営が苦しいことから、費用のかかる第4種(警報機・遮断機ともない踏切)や第3種踏切(遮断機のない踏切)の改善が進まないという。秩父鉄道が公共輸送機関として重要なら、自治体や国も、経営の健全化や安全性の向上にむけて、積極的に援助するべきではないかと思う。

 最後になりましたが、事故に遭った大学生には、一日も早く意識を回復して、元気になってほしいと願っています。

《参考記事》
「自転車で音楽聴き踏切渡る、大学生はねられ重体--熊谷・秩父鉄道 /埼玉」  毎日新聞 9月9日(木)11時32分配信  【平川昌範】  9月9日朝刊
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100909-00000073-mailo-l11

《参考》
「鉄軌道輸送の安全にかかわる情報(平成21年度)」(平成22年7月 国土交通省鉄道局)
http://www.mlit.go.jp/common/000120718.pdf

2010年9月8日水曜日

教育への公的支出の拡大を~OECD調査

 報道によると、2007年、日本は、教育機関への公的支出(奨学金をのぞく)が国内総生産(GDP)に占める比率が、3.3%だったことがわかった。7日、経済協力開発機構(OECD)が発表した調査の結果、明らかになった。

 比較可能な主要28カ国中、国や自治体が支出する教育支出の各国の平均は、4.8%なのに対して、日本は最低だった。アイスランドの7%が最も高く、北欧諸国なども高い。一方、私費負担分を含めた日本の教育投資はOECD平均値を上回っており、公的支出の不足を家計が埋め合わせている結果になっているという。

2010年9月4日土曜日

秩父鉄道第4種踏切、音声装置で注意喚起

 報道によると、秩父鉄道は、この夏、警報機・遮断機がない第4種踏切に、自動音声で踏切の通行者に「危ない。踏切では止まって、右、左を確認してから渡りましょう」と、注意をうながす装置を設置した。
 秩父鉄道の全102個所の第4種踏切のうち、通行量が多く、危険度が高い21か所を選び取り付けたそうで、通行者が近付くと、センサーが反応して、自動音声が流れる仕組み。

 第4種の行田市桜町踏切では、2008年9月には自転車に乗った男子中学生(当時14歳)が列車の接近に気付かず、急行に撥ねられて亡くなった。同じ踏切で、昨年12月には保育園児(当時4歳)が犠牲になっている。歩行者と自転車専用で、幅は約2メートルと狭く、中学生が来た方からは列車の接近が見えにくいと思った。
 また、今年5月には、秩父市の大野原の黒谷踏切でも、高校生が踏切に入って列車にはねられる事故が起きている。

 音声装置の効果はまだわからないが、第4種踏切を知らない人が踏切に気付きいったん停止することをうながす上で、大切な装置かもしれない。
 しかし、踏切に、通行者に対して列車の接近を知らせる装置を設置することは国交省令でも決められており、今後も、危険な第4種踏切を第1種に改善していくことが必要だと思う。
 
 102か所の踏切を一度に全部改善することは難しいだろうが、列車本数や通行量が多く学校や幼稚園などがちかい踏切、児童・生徒・幼児などが通る踏切、お年寄りや障害を持った方々が通る踏切から優先的に改善していってほしい。
 鉄道事業者や自治体は、踏切周辺の環境の変化、宅地化が進み新しい住民や学校などの施設が増えていることなどを考慮して鉄道の安全対策を進めるべきだと思う。

《参考:当ブログ記事》
「踏切事故の現場をたずねて~秩父市大野原黒谷7号踏切」 2010年5月16日
http://tomosibi.blogspot.com/2010/05/7.html
「踏切事故の現場をたずねて」(行田市桜町踏切) 2009年6月22日
http://tomosibi.blogspot.com/2009/06/blog-post.html

《参考記事》
「秩父鉄道踏切 センサーで『危ない』 音声装置 効果は  進まぬ「第4種」統廃合 自治体の腰重く」   (2010年9月4日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/saitama/news/20100903-OYT8T01217.htm

2010年9月2日木曜日

転落防止のホーム柵などの設置を急いで~京王線新宿駅での転落事故

 専門家によれば、鉄道がかかえる大きな問題のひとつは、プラットホームだという。

 国土交通省の調べでは、ホーム上で、または線路に転落して列車に接触した死傷事故は、昨年度は193件で、6年前の1.8倍にもなる。

 8月23日、京王線新宿駅のホームで、列の先頭にいた男性が、列にぶつかった酔客に押し出され、電車とホームとの間に挟まれて亡くなるという痛ましい事故がおきた。

2010年8月30日月曜日

事故遺族ら、事故原因の解明と独立した調査機関を要望

    8月25日、日航ジャンボ機墜落事故の遺族でつくる8・12連絡会の事務局長である美谷島邦子さん(63)と、シンドラーエレベータ社製エレベーターが扉が開いたまま上昇して挟まれてなくなった都立高2年市川大輔さん(当時16才)の母正子さん(58)が、前原国交相に面会した。二人は、事故原因の解明と独立した調査機関の設置を求める要望書を前原国交相に手渡した。

 市川さんらによると、前原国交相は、「事故調査機関を(監督官庁から)独立させることには賛成だが、時間がかかる」と話したという。

 今月12日の日航機墜落事故の慰霊式で、前原国交相は、刑事責任追及が目的の警察捜査と再発防止が目的の事故調査との関係について、警察庁と協議すると表明している。また、国交省ないでは、公共交通の事故被害者を支援する制度についても検討しており、前原国交相は法制化をめざすとしていた。

 また、日航機墜落事故も、事故調査委員会が報告した事故原因に疑問を持つ遺族や専門家も多い。そのため、美谷島さんら遺族は日航機墜落事故の再調査をもとめている。
 
 なぜ、大切な人たちが亡くなったのか、判然としなくては、亡くなった方の死そのものも受け入れられないのではないだろうか。
 また、事故原因の解明なくして、同種事故の再発防止と安全性の向上はのぞめないと思う。徹底した調査と、確実な安全対策を求めたいと思う。 

《参考記事》
「独立した調査機関を要望 エレベーター事故遺族ら」  2010/08/25 19:48 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201008/CN2010082501000917.html

2010年8月22日日曜日

海上保安庁ヘリコプター墜落事故、送電線を見落とした可能性~運輸安全委員会

 8月18日午後3時10分ごろ、香川県多度津町の佐柳(さなぎ)島沖の瀬戸内海に、第6管区海上保安本部広島航空基地のヘリコプター「あきづる」(ベル式412EP型)が墜落するという事故が起きた。ヘリの乗員5名のうち4名の方が海底から引き揚げられたが、搬送先の病院でいずれも死亡が確認された。また残る1名の方も21日発見されたが、死亡が確認された。

 この事故の調査のため、国の運輸安全委員会は航空事故調査官を派遣、21日は、第6管区海上保安本部関係者から事情を聴き、 デモンストレーション飛行の合間に廃船調査を行った飛行計画や、運航マニュアルについて調査した。事故調査官は飛行計画は時間的に無理がなく、通信記録にも機体の異状を伝えた形跡がなかったと判断、パイロットが何らかの理由で送電線を見落とし接触して墜落した可能性が高いと見ているいう。

 ヘリが接触した送電線については「非常に見えにくい」と指摘されており、事故当時、パイロットが送電線や鉄塔に設置された航空障害灯を目視できたかどうかが、今後の調査の焦点になるとの見方を示した。
 
 2004年に、長野県南木曽町で信越放送の記者らが乗ったヘリが送電線に接触して墜落した事故を受け、航空法が強化された。送電線上に球状の目印をつけるか、鉄塔の上部に昼でも確認できる航空障害灯を設置することなどが定められたが、パイロットからは、送電線に目印がないと見えにくいという声もあるという。
 また、飛行前、ヘリの乗員らと行う飛行計画の説明では、送電線についての説明がなかったという報道もあり、操縦士らが送電線について知らなかった可能性もある。  

 第6管区海上保安本部は、墜落した事故機の飛行計画など、墜落事故についての説明が記者会見で二転三転していた。海上保安庁は、仕事の内容を理解してもらうため、海の日や地元のイベントなどの際に一般の人を巡視艇に乗せて体験航海をしている。
 この体験航海に合わせて、ヘリが低空飛行をしたり、潜水士をおぼれた人に見立てて救助するパフォーマンスを行うなど、デモンストレーション飛行をすることがあるという。
 
 今回の墜落事故は、パトロールを終えてデモンストレーション飛行に戻る途中の起きていることを、事故当日夕方には、第6管区保安本部が把握していたにもかかわらず、事実を認めたのは19日午後8時過ぎになるなど、事故についての説明が二転三転した。
 体験航海に参加した司法修習生に配慮したというが、飛行目的などは事故原因に関わることであり、事実を隠ぺいしようとしたのは、事故原因の究明を誤らせかねない重大な過ちだと思う。

 送電線の問題など事故原因を調べることで、今後の安全対策も出されることと思う。亡くなった方がたの大切な命が、無にならないよう、第6管区海上保安本部など、事故の関係者は事実を隠さず話して、事故原因の究明に協力すべきだと思う。

《参考記事》
「香川沖ヘリ墜落、送電線を見落としか 運輸安全委が見方 」 2010年8月22日8時6分 朝日新聞
http://www.asahi.com/national/update/0822/OSK201008210199.html

「ヘリ墜落で6管本部長が謝罪 国交相『厳正に処分』」  2010/08/21 22:13 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201008/CN2010082101000483.html

「送電線の注意喚起なし、墜落ヘリ 出発前の説明で」  2010/08/20 13:12 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201008/CN2010082001000036.html

「海上に海保ヘリ墜落、4人死亡1人不明 香川沖」     2010年8月18日20時51分 朝日新聞
http://www.asahi.com/national/update/0818/OSK201008180094.html

2010年8月19日木曜日

消費者庁、事故調査機関のあり方検討会発足へ

 8月18日、消費者庁は、生活空間でおきるさまざまな事故の調査機関の在り方に関する検討会を20日発足させることを発表、委嘱した委員20名の名前を公表した。

2010年8月15日日曜日

太平洋戦争中の空襲被害者、初の全国組織結成

 14日、太平洋戦争中にアメリカ軍の空襲で、障害を負ったり、肉親を奪われたりした空襲の被害者がはじめて全国組織「全国空襲被害者連絡協議会」(全国空襲連)を結成した。年内に被害者救済のための法律の案文をまとめるという。

 太平戦争中、日本の各地でアメリカ軍によって軍需施設や工場などが爆撃された。アメリカ軍は、中小企業などは日本の軍需産業を支えているとして東京の下町などを目標にした爆撃を繰り返した。東京では、1944年11月以降106回の空襲をうけているという。無差別な爆撃は町工場だけでなく、下町一帯を焼き払い、多数の死傷者をだした。
 とくに1945年3月10日の空襲は、木造建築ばかりの下町をおりからの北西の季節風があおって、炎のうずをつくり、逃げまどう市民を襲った。わずか1回の空襲で、被災者は100万人、死亡者・行方不明者は10万人を超えるという。日本全体では、東京新聞の集計(1994年) では、空襲による死者は558,863 人に上るという。

 1952年以降、国は、旧軍人・軍属とその遺族には、総額約50兆円の恩給や年金などを支給してきた。しかし、民間人の空襲被害者については、これまでの訴訟などで「戦争で受けた損害を国民は等しく受忍(我慢)しなければならない」と主張し、援護措置を講じていなかった。このため「法案」には、戦争を始めた国の責任として援護措置を取るよう明記する。

 昨年12月、東京大空襲訴訟で、東京地裁は原告の請求を棄却、「戦争被害者救済は立法を通じて解決すべきだ」と指摘した。このため、国が被害者への援護を怠ってきたことにたいする謝罪と賠償を求めた東京大空襲の被害者は、全国の空襲被害者や遺族会、空襲を記録する会などに連絡組織の結成をよびかけ、法案の作成に取り組むことになった。

 東京大空襲訴訟の弁護団の中山弁護士によれば、
「第2次世界大戦で同様に空襲被害を受けた欧州各国は、被害者補償制度を整備しており、被害を我慢せよという日本は特異。差別なき戦後補償を実現しなければ本当の民主主義国とは言えない」という。

 戦争を始めた国の責任として国は被害を受けた人々に等しく救済の措置を講じ、被害者が平穏に安心して暮らせるように努めならなければならない。それでなくては戦争は終わったと言えないのだと思う。

《参考記事》
「大戦中の空襲被害者、初の全国組織 救済法の案文作成へ 」  2010年8月15日1時2分朝日新聞
http://www.asahi.com/national/update/0814/TKY201008140295.html?ref=any

国土交通大臣が事故被害者支援法制化を表明

 8月12日、520名が犠牲となった日航機墜落事故から、25年がたった。
墜落事故の現場となった御巣鷹山の尾根へ、朝早くから遺族や友人・知人や関係者が、慰霊のために登った。時折、雨が降る中、亡くなった方の墓標の前で手を合わせる遺族の方の姿があった。

 報道によると12日夜、上野村にある追悼施設「慰霊の園」では慰霊式が行われ、前原国土交通大臣が、「事故を風化させず、二度と起こさせないという決意で公共交通機関の安全対策に取り組む」と語ったという。
 また、前原大臣は、公共交通機関の事故被害者を支援する制度について、今年度中にとりまとめ、2012年法案成立を目指す考えをあきらかにした。また、事故調査の見直しに言及し、式後の取材で「事故調査が優先されるような具体的な話し合いを運輸安全委員会と警察庁で行っていきたい」と話したという。

  原因を究明し、事故を未然に防ぐ手立てを見出し、安全性を向上させること、それが亡くなった方々の命を無にしないことだと思う。そのために、どのような事故調査が必要なのか、運輸安全委員会や国交省は、被害者遺族や関係者と十分論議してほしい。

《参考記事》
「<日航機墜落>被害者支援を制度化へ 前原国交相が慰霊登山」
8月12日20時22分配信 毎日新聞 【平井桂月、萩尾信也】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100812-00000072-mai-pol

「国交相が被害者支援法制化を表明 公共交通の大事故」 2010/08/12 22:57 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201008/CN2010081201000796.html

2010年8月6日金曜日

消費者庁、新たな事故調査機関の検討会設置へ

  報道によると、消費者庁は、監督官庁から独立した事故調査機関のあり方を話し合う検討会を設置することをきめた。26日にも初会合を開くという。

 エレベーター事故などの遺族や消費者団体などから、消費生活関連の事故を究明する調査機関の設置がもとめられてきた。政府は、消費者庁が発足する際、事故調査機関について基本計画の中に検討課題として入れており、今後検討会では具体的に制度設計に向けて、論点を整理していく。
 

2010年8月3日火曜日

墜落した防災ヘリを取材、日本テレビ記者遭難

 7月25日、埼玉県秩父市大滝の山中で、県の防災ヘリコプター「あらかわ1」が、沢登りの途中滝つぼに落ちた女性を救助中に墜落し、ヘリに搭乗していた7人のうち5人が亡くなった。この事故の原因については運輸安全委員会の事故調査官が現地に入るなどして調査中だ。
 
 31日、この事故の取材のため、現場に入って地上から墜落した防災ヘリを撮ろうとしていた日本テレビの記者とカメラマンが遭難した。翌1日朝、墜落現場から約2キロの滝つぼで、二人が心肺停止の状態で発見された。

 現場は、標高2000m級の山々が連なる奥秩父の山中で谷は急峻で、雷雨などがあると急に水位が1,2メートルは上がるという。
 二人を案内した山岳ガイドによれば、当日、記者らはガイドと現場に行こうとしたが、ガイドに水も冷たく雲行きも怪しいのでやめましょうといわれ、一旦はガイドと出発地点に戻った。その後、二人は「機体が見える場所をさがす」といって、尾根の方を見てみたいと再び二人だけで入山したと言う。二人がどのようなルートをたどったのかまだ分からない。なぜ、尾根に登るといっていた二人が、沢で発見されることになったのかわからないが、急に沢が増水して流された可能性もあるという。
 31日は、熊谷気象台によれば現場周辺は午後3時ころから1時間に10ミリ以上の雨が観測されていたという。
 
 報道によると、日本テレビには、災害取材時などに備えた「取材安全基準」は設けているが、山岳取材に関する細かい規定はないという。山岳ガイドの方は、遭難した二人について「装備的にも技術的にも不安があったので、早くやめようと思った」と語っている。
 危険な現場で取材する際には、会社が現場と連絡を密にして経験あるガイドの情報やアドバイスを参考にして判断し、取材するかどうかの判断を現場任せにしないことが大切だと思う。

 現場に一歩でも近くたどり着き、生の映像を撮りたいと思う記者たちの気持ちはわからないでもない。しかし、本当に安全に行かれるかどうか、装備や天候など検討して、他の日に出直すことを考える余裕が会社や記者たちに必要だったのではないだろうか。

 亡くなった記者の方々を非難するような言い方になってしまって申し訳ないと思う。しかし、明るく皆から親しまれていたというカメラマンや物静かで子煩悩だったという記者の方が突然の事故で亡くなったことはやはり残念で仕方ない。同じような事故で尊い命が犠牲とならないように、報道に携わる方々には、危険な事故の現場の取材のしかたについてよく検討してほしい。
 
《参考記事》
「2人の死因は水死 天候不良で捜査中止 日テレ記者遭難」  2010年8月3日(火) 埼玉新聞
http://www.saitama-np.co.jp/news08/03/07.html

「県警、日テレ記者らの所持品回収 遺体発見現場を調査」  2010/08/03 19:20 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201008/CN2010080301000963.html

2010年8月2日月曜日

核実験の被害語るビキニ環礁が世界遺産に 

 報道によると、31日ブラジルの首都ブラジリアで開かれていた世界遺産委員会は、マーシャル諸島の「ビキニ環礁」を世界遺産(文化遺産)に登録すると決めた。

 「ビキニ環礁」などでは、冷戦時代の1946年から58年、アメリカが67回の核実験を実施した。水爆実験によるクレーターが残っている。

 遺産委員会は「ビキニ環礁は、核実験の威力を伝えるうえできわめて重要な証拠が保存されている」と指摘したうえで、「環礁はその歴史を通じて、人類が核の時代に入ったことを象徴している」と評価しているそうだ。広島の原爆ドームに続き、核兵器の惨禍を伝える文化遺産となる。

 54年に実施された水爆「ブラボー」の実験では、日本の第五福竜丸など、近海で操業していた漁船の乗組員23名も「死の灰」を浴び、被曝した。半年後に、この船の無線長だった久保山愛吉さんが亡くなっている。

  「負の遺産」こそ記憶にとどめて、二度と同じ過ちをくりかえさないようにつとめることが大切だと思う。


《参考記事》
ビキニ環礁が世界遺産に 核実験の被害語る「負の遺産」  2010年8月1日23時1分 朝日新聞
http://www.asahi.com/national/update/0801/TKY201008010235.html?ref=any

2010年8月1日日曜日

核廃絶への取り組み「政府に不満」86%

 共同通信は、5月にニューヨークで行われた核拡散防止条約(NPT)再検討会議にあわせてニューヨークを訪れた被爆者を対象にアンケートを行った。その結果、核廃絶に向けた日本政府の取り組みに不満を持つ人が86%いることが分かった。6月、原爆展などに参加した被爆者76人にアンケートを実施、66人から回答得た。

 被爆者が高齢化する中、被爆体験が継承されていくか不安を覚えている人が95%だという。
政府の核廃絶に向けた取り組みについての質問には、「取り組んできたとは言えない」が47%で「あまり取り組んできたとは言えない」が39%あった。


 5月のNPT再検討会議には、当時の鳩山由紀夫首相と岡田克也外相はいずれも出席せず、批判や落胆の声が出たという。日本が唯一の被爆国として十分な責務を果たしていないのではと思う。オバマ米大統領が「核なき世界」の構想を語る中、日本政府にも、先頭に立って核廃絶に向けた取り組みを考えてほしい。

《参考記事》
「核廃絶「政府に不満」86% 被爆者アンケート」  2010/07/31 16:59 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201007/CN2010073101000398.html

2010年7月31日土曜日

スイス「氷河特急」脱線事故、速度超過が原因

 報道によると、スイス連邦政府の公共交通事故調査局(SEA)は、スイス南部バレー州で起きた観光列車「氷河特急」の脱線事故は、運転士による速度の出し過ぎによる人為的なミスで事故が発生したとする暫定的な調査結果を発表した。

 SEAは、機関車の記録計などを詳細に分析した結果、列車は事故現場付近を規定速度の35キロを少なくとも10キロ超えて通過しており、最終車両がカーブを曲がり切る前に、最高56キロまで加速し、その結果後方の車両が脱線したとしている。
 SEAの責任者コベルト氏は、「運転士は加速を急ぎ過ぎたと思われる」と述べているという。

 運行会社マンターホルン・ゴッタルド鉄道(MGB)のシュミット会長は、「人為的なミス」と会社側の過失を認め、亡くなった国本安子さんはじめ負傷者に謝罪した。
 これまで、SEAや警察の事情聴取に対して、運転士は「運転士はレールが歪んでいた」と語っていたそうだが、調査の結果、責任者のコベルト氏は、脱線に関係するほどゆがみは認められなかったとしている。最終報告書は、数週間以内にまとめられるそうだ。現場では、運行を再開したが、スピードを落として通過しているという。

 27日の記者会見では、事故原因がわからないのに運行が再開されたことに国本さんの遺族は驚いたようすで、「同じようなことが起きないか懸念している」と語った。突然、穏やかに定年後の生活を送っていた夫妻を襲った事故に、遺族はやりきれない思いではないかと思う。なぜ、運転士がスピードを出し過ぎていたのかも調査されなくてはならない。

《7月31日追記》
 以前、「氷河特急」に乗ったことのある知人に聞いたところ、今回事故のあったところよりももっと危険な所はたくさんあり、なぜあの場所で事故が起きたのか、十分調査されなくてはならないとのこと。地元メディアの中には、ダイヤがタイトではなかったかという指摘もあるという。運行が遅れると運転士にぺナルティが科せられるようなことはなかったのか、十分調査される必要がある。

《参考記事》
「速度超過で脱線、『人為ミス』認める スイス列車事故 」  2010年7月30日23時7分 朝日新聞
http://www.asahi.com/international/update/0730/TKY201007300554.html

《追加参考記事》
「『氷河特急』運転士の捜査本格化 運行会社の責任浮上も」 【ジュネーブ共同】2010/07/31 09:41
http://www.47news.jp/CN/201007/CN2010073101000110.html

2010年7月29日木曜日

「御巣鷹山と生きる―日航機墜落事故遺族の25年―」(美谷島邦子さん著)

 6月25日、美谷島邦子さんによる「御巣鷹山と生きる―日航機墜落事故遺族の25年―」が刊行された。表紙には、事故から三日後、美谷島さん夫妻が御巣鷹山の尾根に登った時の写真が使われている。息子の健ちゃんを探しに、尾根に登り、地面に崩れる美谷島さんとたちつくす美谷島さんの夫。壮絶な事故の現場から一歩を踏みださなくてはならなかった美谷島さんら遺族の25年はどのようなものだったのだろうか。

 著者である美谷島邦子さんは、日航123便墜落事故で、9歳になる二男の健くんを失った。今年の8月12日で、その事故から25年になる。

 事故直後、事故の情報が十分入らない中で、藤岡市の体育館で必ず健君を連れて帰ると待ち続けたこと、事故直後夫と二人で御巣鷹の尾根を登った時のこと、遺体を確認して荼毘にふした時のこと、事故の原因を究明し事故の再発を防ごうと日航幹部らを告訴した経緯など、事故から現在まで、美谷島さんら遺族が何にこだわり、何を求めてきたのか、8・12連絡会の事務局長をつとめてきた美谷島邦子さんが、遺族の25年を振り返った。

 辛い遺体確認作業をふりかえった部分は、私も涙をこらえられなかった。想像を絶する、口にするのもつらい、おそらく筆にすることもためらわれたにちがいない事故直後の現場のようすや体育館での確認作業。

 しかし、なぜ、今、美谷島さんは日航機墜落事故を書き記すという大変な作業に挑まれたのだろうか?

 母がこの世を突然去ることになった踏切事故から5年しかたたない私には、この答えを出すのは難しいけれど、あえて今思うことを書くとしたら、
 それは、520人もの方々の尊い命が、なぜ、思いだすのも辛く痛ましい姿で、突然、死を迎えなくてはならなかったのかを明らかにしたいという思い、こんなに無残に命と安全がないがしろにされてはならないという思いが、幾年月もの間、美谷島さんが息子健ちゃんと御巣鷹山とのことを書き綴るエネルギーになっていったのではないかということ。

 美谷島さんは、大切な人を失った悲しみは乗り越えるのではなく、「悲しみに向き合い、悲しみと同化して、亡くなった人とともに生きていく」のだと書いている。
 長い間、追い求めてきた健ちゃんが美谷島さんの心に入ってきたとき、健ちゃんは美谷島さんと生きることになった。事故から5年たったその時のことを、美谷島さんは本書で鮮やかに書き記している。
 私の心の中に母が生きる日はいつになるか分からないが、悲しみと同化できる日がくることを信じて歩いていこうと思う。

 「空の安全」を求め、同じような事故を繰り返させないことが亡き人たちの命を生かすことだと語り続けてこられた美谷島さんら遺族は、事故直後から日航に残存機体や遺品の保存をもとめてきた。事故から20年以上たって、ようやく日航は、外部の有識者の意見もとりいれて「安全啓発センター」をつくり、社員への教育と事故を風化させないため、遺品や機体の残骸の保存・公開に踏み切った。

 美谷島さんは、御巣鷹山に行くと、目に見えないものがたくさんある、子どものころに触れていた人情や助け合いが見えるという。25年間、いっしょに御巣鷹山に登ってきたすべての人々と心をつなげ、ともに「空の安全」を願って、「安全の文化」を高めていきたいとしている。
 
 そのために、私たちは美しい御巣鷹山を守っていきたい。それが、大切な人たちを奪った事故を忘れず、事故を防ぐことにつながるはずだから。

《参考書評》
「一万三千年の悲しみ、そして再生」 柳田邦男 (新潮社「波」2010年7月号)
http://www.shinchosha.co.jp/shinkan/nami/shoseki/325421.html

2010年7月28日水曜日

8月の広島平和式典へ、駐日アメリカ大使らが出席

 報道によると、8月6日に、広島市で開かれる原爆死没者慰霊式・平和祈念式に、アメリカのルース駐日大使が出席する方向であることを、日本政府関係者が明らかにした。
 実現すれば、アメリカの駐日大使としては、はじめての平和式典参加となる。

 昨年4月のプラハでの演説以来、オバマ大統領は核廃絶・核軍縮を訴えてきたが、ルース駐日大使の出席はその決意をあらわすものと思われる。
 また、昨年10月、ルース氏は広島市の原爆ドームや原爆資料館を視察しており、「深く感動した」と、その印象を語っているという。

 1998年以降、広島市は核保有国に式典への出席を要請してきており、今年は、アメリカ、イギリス、フランスも出席、アメリカ・フランスを除いても過去最多の67カ国が代表を送る。
 
 潘基文(パンギムン)氏も国連事務総長として初めて、今年の広島の式典に出席する予定で、26日、27日から開かれる国際会議「2020核廃絶広島会議」(国際NGO・平和市長会議と広島市主催)に向け、「確実に核兵器使用を防ぐには、核兵器の全廃しかない」とするメッセージを出している。

 5月に国連本部で開かれたNPT(核不拡散条約)会議では10年ぶりに最終文書を採択した。また、昨年オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞するなど、世界的に核軍縮・不拡散の機運がもりあがってきているといえる。

 各国の代表には、平和式典で亡くなった人の冥福を祈るだけではなく、核廃絶へ の決意を示してほしいと思う。

《参考記事》
「ルース米大使が初出席へ 8月の広島平和式典」  【ワシントン共同】 2010/07/28 13:30
http://www.47news.jp/CN/201007/CN2010072801000230.html

「『核兵器使用防ぐには全廃しかない』国連事務総長」  2010年7月27日11時28分
http://www.asahi.com/special/npr/TKY201007270205.html

2010年7月25日日曜日

大雪山系トムラウシ山遭難事故から1年

 7月16日、ツアー登山の参加者ら8人が亡くなったトムラウシ山の遭難事故から1年がたった。今年のトムラウシ山は、1年前の悪天候とことなり、登山日和となったそうだ。報道によると、一般登山者のほか、事故で大切な人を失った人たちも入山し、遺体発見現場などで、手を合わせていたという。

 広島県廿日市市のガイド吉川寛さん(当時61才)の山の友人らが、事故発生日に合わせて慰霊登山をした。遺体発見場所と思われる地点に線香と好きだったビールとたばこを手向けたという。吉川さんは低体温症による凍死だったことから、友人らは「きっと寒かったんだろう」と、現場にダウンジャケットをかぶせ冥福を祈った。

 北海道警は昨年、ツアー登山を主催した「アミューズトラベル」を業務上過失致死容疑で家宅捜索した。また、トムラウシ山から生還したガイドをともなって登山ルートの実況見分を行うなど、当時のガイドの判断や同社の安全管理に問題はないか捜査中だ。
 一方、山岳関係者の間では事故の教訓を生かそうと、さまざまな動きが広がっているという。

 7月2~4日、北海道山岳安全セミナー代表の松浦孝之さん(63)ら4人が、昨年のツアーと同じ2泊3日で四十数キロを縦走するコースを歩き、このコースを歩く上での問題点を検討した。

 この取り組みには、苫小牧東病院の船木上総・副院長も参加し、メンバーの体温を定期的に測った。天候がよくても、疲れなどで体温が下がることもあったという。昨年の遭難事故の際には、遭難した人の中には朝食をとらなかった人もいたことから、食事をとらないことも低体温症を招いた原因の一つとみられている。夏山でも油断せず、意識的に防寒具などで保温し、携帯食をこまめに摂取して体温を維持する必要があるという。今は軽くて温かいアルミシートなどがあるから、保温のために持っていくとよい。

 また、日本山岳ガイド協会(東京)では、低体温症や熱中症に備えるにはどうしたらよいか、講座を全国で開催した。9月までにさらに2カ所で開催される。

 山に登る方々には、多くの犠牲者を出した事故の教訓を生かして、事故のない安全な登山で楽しい思い出を残してほしいと思う。

 最後になりましたが、トムラウシ山の遭難事故で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。

《参考記事》
「トムラウシ山遭難事故から1年 冥福祈る」  2010年07月16日 14時54分
http://www.tokachi.co.jp/news/201007/20100716-0006077.php
「日本山岳ガイド協会(東京)」
http://www.jfmga.com/
《参考記事:7月27日追加》
「トムラウシ集団遭難、道警が生存者伴い実況見分」 (2010年7月27日08時55分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100726-OYT1T00506.htm?from=nwlb

スイスの観光列車「氷河特急」が脱線・転覆

 7月23日正午、スイス南部のバレー州で、観光列車「氷河特急」が脱線・転覆した。この列車には、日本人観光客が多数乗っていた。
 列車は7両編成で、乗客は約210人、脱線したのは後ろ3両でうち2両が転覆した。この3両には日本人が多数乗車しており、地元警察によると、負傷者は42人で、このうち重傷者12人を含む38人が日本人だという。

 「氷河特急」は、アルプスの山並みを車窓から楽しめるため、日本でも人気が高く、年間7万人の日本人が訪れるという。「氷河特急」は、名峰マッターホルンの登山基地であるツェルマットから冬季オリンピックが開催されたことのあるサンモリッツまでの約270㎞を8時間かけて結ぶ。標高2000mの山岳地帯を時速30kmで走り、「世界一遅い特急」と言われる。

 「鉄道先進国」と鉄道関係者が認めるスイスで起きた大事故に、なぜ遅い特急の事故が起きたのかと疑問を持つ。事故現場は緩やかなカーブになっており、急峻な山岳地をぬうように走る氷河特急にとっては難所とはいえないところだという。
 これから、本格的な事故原因の調査が始まるのだろうが、時間をかけてていねいに調査をして、事故の再発防止に役立ててほしいものだと思う。

 最後になりましたが、事故で亡くなられた女性のご冥福を祈るとともに、負傷された方が一刻も早く回復されることを祈ります。

《参考記事》
「緩いカーブなぜ脱線 スイス列車事故、究明難航も 」  (2010/7/24 22:06  日経)
【ジュネーブ=藤田剛】
http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819695E0E6E2E1918DE0E6E2E5E0E2E3E29191E3E2E2E2?
n_cid=DSANY001

2010年7月19日月曜日

日航ジャンボ機墜落事故から四半世紀~空の安全を祈る講演と音楽会

 7月19日、群馬県高崎市で、「命の絆を語り継ぐ」と題して、日航ジャンボ機墜落事故で息子さんを亡くした美谷島邦子さんの講演会と、犠牲者の慰霊のための演奏会が開かれた。

 今年8月12日で、事故から25年が経つのを前に、事故で当時9歳だった健君を亡くした美谷島邦子さんが講演、事故直後御巣鷹山に登ったこと、遺族会を結成したこと、空の安全を願って残存機体や遺品の保存などをもとめて活動してきたことなど、これからも事故が忘れられないよう若い世代に語り継いでいきたいと話していた。

 群馬の高崎アコーデオンサークルやオカリナのサークルは、ボランティアで毎年8月11日と12日に慰霊のために、灯篭流しの会場や事故現場となった御巣鷹の尾根で、遺族にリクエストを聞いて、慰霊のための演奏をしている。高崎アコーデオンサークルは、三回忌から毎年、御巣鷹の尾根に登って演奏している。
 演奏会では、事故で犠牲となった坂本九さんの「見上げてごらん夜の星を」や、野口雨情が亡くなった子どものために作った「シャボン玉」など、遺族の方々の思い出の曲、19曲が演奏された。

 美谷島さんは、講演の中で、群馬のさまざまなボランティアの人たちが、事故直後疲れきって力をなくしていた遺族にやさしく声をかけてくれたり、暑い体育館にいる遺族のために冷たいものを用意してくれたことなどが、心にしみたという。自分たちが心に落ち着きを取り戻し立ち直るきっかけをつくってくれたと感謝の言葉を述べていた。

 二度と悲惨な事故を起こしてはならないという思いが、事故の遺族だけではなく、遺族を取り巻く多くの心やさしい人々によって受け継がれ、語り継がれていくことだと思う。
 
《参考記事》
群馬 日航機事故慰霊の演奏会   (7月19日 20時6分 NHKニュース)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20100719/t10015826671000.html

2010年7月18日日曜日

鹿児島市JR指宿枕崎線の踏切で事故~警報機・遮断機のない踏切

 7月16日午後6時15分ころ、鹿児島市坂之上7丁目のJR指宿枕崎線の向原第2踏切を、自転車で横断していた小学5年生が列車に撥ねられて亡くなった。
 夏休みを前にして家族で楽しい計画も予定していたかもしれない。突然、息子を亡くされたご両親に心からお悔やみを申し上げるとともに、亡くなったお子さんのご冥福をお祈りしたいと思う。
 
 報道によると、踏切は警報機や遮断機のない踏切で、歩行者や自転車しか通行できない。小学生は列車の進行方向に対して左側から自転車に乗って入り、列車の右前部と衝突したという。
 列車の運転士は「急ブレーキをかけ、警笛を鳴らしたが間に合わなかった」と話しているそうだ。

 地図を見ると、現場は坂之上駅と五位野駅のほぼ中間で、国道225号沿いにある。付近には住宅や商業施設があり、付近の住民も踏切の危険を感じていたという。
 地図を見ると線路はまっすぐだが、直線だと列車がどの程度まで近付いているのかわかりにくいことがある。まして夕方ともなると、小学生には距離感がわかりにくかったかもしれないと思う。
 警察や学校など周囲の大人は、子供に列車がどのあたりまで来ていると踏切を渡りきれないから危ないと具体的に教えることが必要なのに、ただ「踏切は注意して渡れ」という指導や注意だけで終わらせていないだろうか。

 注意を促すだけでなく、何よりも住民や子供たちが安心して踏切を渡れるよう、事業者には踏切安全設備を設置してほしい。また、道路管理者には、路面が悪くないかどうか点検して踏切道を整備してほしい。

《参考記事》
列車にはねられ小5男児死亡/鹿児島市のJR指宿枕崎線 (2010 07/17 06:30、南日本新聞)
http://373news.com/modules/pickup/index.php?storyid=25254

列車にはねられ小学生死亡 不安高まる    [07/17 19:03](mbcニュース)
http://www.mbc.co.jp/newsfile/mbc_news_disp.php?ibocd=00175244_20100717

2010年7月16日金曜日

子どものいのちを守る~児童虐待と事故防止

   7月8日、9日の2日間、東京都港区の日本学術会議で、安全工学シンポジウム2010が行われた。日本学術会議総合工学委員会が主催し、国内の34学協会が共催・協賛、さまざまな分野の専門家が集まった。安全工学シンポジウムは、今年40回目を迎えた。

 9日には、オーガナイズドセッション「子どもの安全を考える」(座長:向殿政男明治大学教授)が開かれた。子どもが安全にのびのびと暮らせるためには、子どもの事故の情報をどのように集め、分析して活用していくのか、各分野の取り組みが紹介された。

 小児科医の山中龍宏氏は、医療と法医学の現場で集めた情報を、工学分野で情報分析・知識化し、子どもの意図的な傷害と不慮の事故による傷害を判別するのに役立つソフトやツールの開発をしていこうと、工学関係者とともに研究している。
 
 小児科医として子どものけがや病気を長年診てこられた山中先生が、なぜ、工学分野の研究者と協働で、傷害情報を集め分析しているのだろうか。

 それは、同じような事故が繰り返され傷害を負う子どもが絶えないことから、小児科医も事故を防ぐことができないかと思ったからだった。また、虐待などによって意図的に傷害が負わされるケースも増えてきている。
 小児科医として子どもの事故を防がなくてはと思い、20数年前から活動を始め、事故の原因となった製品のメーカーに訴えたり、関係する省庁にかけあってきたそうだ。
 また、児童相談所には、小児科医がいないため、傷害が虐待によるものなのかどうか医学的に判断することが困難で、それを支援するには、工学系の技術が必要なのだという。

 1960年以降、日本では0歳を除いた子どもたちの死因の第一位は不慮の事故となっている。日本で事故による傷害が多発しているのは、「子どもの傷害予防」の研究がおこなわれていないことが原因だとして、「実態報告」ばかりではなく、傷害の発生状況を詳細に記録し、情報を集め分析することが必要だと、山中氏は説いている。

 傷害予防には、多職種のネットワークが必要で、日本でも、傷害予防の研究所を設置して、具体的な取り組みを開始すべきだともいう。
 関係する各省庁には、省庁の枠にとらわれず、横の連携を密にして、子どもの安全をどのように確保するのか、十分論議して対策をとってほしいと思う。

《参考》
「虐待など意図的傷害予防のための情報収集技術及び活用技術」
 山中 龍宏 (独立行政法人産業技術総合研究所デジタルヒューマン工学研究センター傷害予防工学研究チーム チーム長)
 http://www.anzen-kodomo.jp/program/research/t_yamanaka.html

2010年7月9日金曜日

研究者、技術者の知を結集して事故防止へ~安全工学シンポジウム

 7月8日、9日の2日間、東京都港区の日本学術会議で安全工学シンポジウム2010が行われた。日本学術会議総合工学委員会が主催し、国内の34学協会が共催・協賛、さまざまな分野の専門家が集まった。

 医療や地震に関する特別講演をはじめとして、リコール問題についてのパネルディスカッションや、事故防止のあり方を考えるオーガナイズドセッションなど、多彩なテーマで論議が展開された。

 オーガナイズドセッション「事故防止のあり方を考える~事故調査のあり方について~」では、踏切事故の遺族やエレベーター事故の遺族が、事故後の体験から、警察の捜査や監督官庁の下の委員会の事故調査では、事故原因の究明が不十分だとして、調査を再発防止に役立てることができる監督官庁から独立した事故調査機関が必要であると訴えた。

 「踏切事故の実態と事故調査」の報告では、高知県佐川町白倉踏切の事故を取り上げた。白倉踏切の問題点、警察の事故についての説明と鉄道事業者の事故についての説明の食い違い、電動車いすの利用者など交通弱者と言われる踏切通行者の安全をどう確保するのかといったことが話された。
 (白倉踏切については、当ブログ記事参照http://tomosibi.blogspot.com/2010/04/blog-post_26.html

 2006年、戸が開いたまま上昇を始めたエレベーターに挟まれて亡くなった市川大輔君の母親の市川さんは、「事故は異なっても、背景に複合的な要因があるという点は同じで、徹底した事故調査の必要性を訴えていきたい」と話す。

 事故調査は事故の被害者・遺族にとって、被害者支援の一つといえる。
大切な人を奪った事故について正確に説明をうけることは、私たちにとって、肉親の突然の死を受け入れていくために必要なことだ。なぜ、死ななくてはならなかったのかわからないまま、大切な人の死を受け入れることはできない。

 事故調査機関は、私たち遺族のさまざまな疑問に真摯に向き合って答える機関がであってほしい。被害者の疑問に答えられる調査をすることは、同じようなもしくはもっと大きな事故を防ぎ、犠牲者を出さないため、安全対策を検討する上で必要なことのはず。

 事故をひとつひとつていねいに調べて、事故の再発防止策に役立ててほしい。

《参考ニュース》
“事故調査 独立機関設置を”   7月8日 12時2分    http://www3.nhk.or.jp/news/

2010年7月3日土曜日

弱視者にも読みやすい「白黒反転」のマニフェスト

 弱視者やお年寄りが読みやすいように、黒地に白い文字で書いた「白黒反転版」のマニフェスト(政権公約)や政策パンフレットが作成された。

 今年5月、特定非営利活動法人(NPO法人)「大活字文化普及協会」の事務局長、市橋正光さん(37)は各党のホームページに掲載されたマニフェストなどを見て、こんな小さな文字では、弱視者の人には読めないと思い、パソコンの編集ソフトを使って、文字や写真を拡大した。さらに白黒を反転させ、弱視者の人でも読みやすくした。
 
 5月末、各政党に白黒反転版の無償提供を持ちかけたところ、民主、自民、公明、共産の各党がホームページに掲載、上記の政党のHPを見ると白黒反転版を読むことができる。黒地に白い文字で大きく書かれているので読みやすい。今まで、 点字版や音声版はあったが、白黒反転版は採用されていなかったという。
 同協会は、ほかの政党にも、白黒反転版を普及させたいとしているが、公職選挙法で公示後は選挙に関するホームページの更新ができないため、今回の参院選では、上記の4党となった。

 厚生労働省の調査(2006年)によると、全国には視覚障害者の方が約31万人、そのうち弱視者は7~8割だという。市橋さんは、弱視の人は、パンフレットやHPのマニフェストは文字が小さいので、初めから読むのをあきらめてしまう人が多いという。

 国政選挙だから、すべての人が候補者や政党の情報を得て、どこに投票するか判断できることが必要だと思う。


《参考記事》
「白黒反転」のマニフェスト登場 弱視者、読みやすく   2010/7/2 11:59
http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819695E0EAE2E08B8DE2E0E2E5E0E2E3E29191E2E2E2E2;at=ALL

2010年7月2日金曜日

消費者担当相 「消費者事故の調査機関、各省庁に」 

 6月29日、荒井聡国家戦略・消費者担当相は、2006年に起きたシンドラーエレベータ製のエレベーター事故と、05年のパロマ工業製ガス湯沸かし器による一酸化炭素(CO)中毒の事故の遺族にはじめて面会した。遺族らは、さまざまな生活空間の事故を調査する強力な権限を持つ事故調査機関の設置を要望した。荒井氏は「皆さんの悲しい体験がもとになり消費者庁ができた。一つ一つ着実に進めたい」と述べたという。
 また、こんにゃくゼリーによる窒息事故の遺族も、弁護士を通じ、書面で荒井氏に事故対策を要望した。

 30日、荒井消費者担当相は、日本経済新聞などのインタビューに応じ、事故調査機関について考えを述べた。
 今年3月、閣議決定された消費者基本計画の中で、消費者庁は「独立した公正かつ網羅的な消費者事故の調査機関の設置を検討」するとした。
 これをうけて今年度から、事故調査機関のあり方を検討し、来年度には具体的な調査機関の姿を明らかにするとしている。
 
 荒井消費者担当相は、この消費者事故を調査する専門的な事故調査機関について、「国土交通省の運輸安全委員会のような調査機関を各省庁につくるべきだ」と述べ、消費者庁は調査を指示する「司令塔」に徹するのが望ましいとの考えを示したという。

 先の鳩山内閣で消費者担当相をつとめた福島瑞穂氏は、「内閣府などに事故調査機関を一元化すべきだ」と主張していた。
 これに対して、荒井担当相は現実的ではないと否定的で、各省庁に事故調査機関を置くと調査が消費者目線ではなく業界寄りになるのではないかとの指摘に対しては、「事故調査の客観性の保証と業界との癒着にどう対応するかは別問題だ」と語ったそうだ。

 遺族は二度と同じような悲惨な事故が起きないよう、事故の原因を調べ、国民の生活や命を守る安全対策に生かしてほしいと思っている。
 どのような事故調査機関が、事故を防ぐための事故調査を行えるのか、遺族も含め、さまざまな分野の人々とも十分論議して、イメージをゆたかにしていってほしい。
 遺族が事故の原因を知りたいと思っても、縦割り行政のために、さまざまな部署をたらいまわしにされ、挙句に十分な事故の調査がなされず、大切な人が亡くなった事故の原因が明らかにされないということのないようにしてほしいと思う。

《参考記事》
「消費者事故の調査機関、各省庁に」 消費者相   2010/6/30 21:40
http://www.nikkei.com/news/article/g=96958A9C93819695E1E2E2E6948DE1E2E2E4E0E2E3E29180EAE2E2E2?n_cid=DSANY001

2010年6月30日水曜日

公共交通の事故被害者への支援ニーズについての報告書

 かねてから、鉄道や航空の重大事故の遺族や被害者の方々は、事故の発生時や事故後十分な情報提供を行ってほしい、突然大切な人を失って心の安定を失うことの多い被害者へ心のケアなどの支援についても検討してほしいと、行政などに要望してきた。

 また、2008年、運輸安全委員会が発足する際には、被害者・遺族への支援の重要性が、国会でも論議され、「総合的な施策の推進のために必要な措置を検討すること」とする附帯決議がなされた。

 その結果、2009年から、公共交通の事故被害者等への支援のあり方を検討するため、遺族団体や支援団体の協力も得て、有識者、行政関係者が一堂に会する検討会が国土交通省で開催された。今度、昨年度の調査の内容が報告書としてまとめられ公表された。

 報告書によれば、事故の遺族や被害者がどのような支援を必要としているか把握するため、遺族らにヒアリングをしたり、被害者以外の関係者にもヒアリングをしている。また、海外の被害者支援については、アメリカの国家運輸安全委員会(NTSB)に調査にいき、報告をまとめたということである。

 まとめられた被害者へのアンケート結果をみると、具体的にどのような支援が必要か、どのような課題が残されているかがわかる。
 
 知りたいこと、必要な支援は被害者によって異なるだろうと思う。細かな要望にていねいに応えられる支援の体制がどのようなものなのか、検討会で十分論議して、大切な人を失った遺族や被害者が二重三重に苦しみ嘆くことのないようにしてほしい。

《参考》
国土交通省 「公共交通における事故による被害者等への支援のあり方検討会」
「公共交通における事故による被害者等への支援ニーズ等に関する調査 報告書」(平成22年3月)
http://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/barrierfree/sosei_barrierfree_fr_000007.html

2010年6月23日水曜日

ボート転覆事故、問われる県や委託業者らの危機管理体制

 春に入学したばかりの中学一年生にとって、友人との交流の場となり、楽しい思い出を残すはずの自然体験学習が、暗転して痛ましい事故の記憶に置き換えられてしまった。
 朝、元気に玄関から出かけるのを見送ったのを最後に、突然変わり果てたわが子と対面しなくてはならなかった中学生のご両親の心痛はいかばかりだろうか。ご両親のことを思うと、本当に何と書いてよいかわからない。
 
 転覆したボートに取り残されて亡くなった女子中学生の告別式が、22日行われた。中学生が所属していた吹奏楽部の演奏に、多くの友人が涙したに違いない。

 報道で事故当時の状況が分かってくるにつれ、大雨・洪水・強風・波浪などの注意報が出される中、なぜ、「県立三ケ日青年の家」所長や校長が、訓練を実施したのだろうかと疑問がわいてくる。

 事故については、運輸安全委員会の船舶事故調査官が現地入りして、所長ら関係者から事情を聞くなどして、原因の究明にあたると言うことだ。
 訓練実施の判断は誰がどのようにしたのかや、転覆した後なぜ生徒の安否確認がおくれたのかなど、危機管理が十分だったかどうか、今後、調査されるのだろう。

 静岡県では、2004年から、県の文化・運動施設などの効率的な運営をめざして、民間業者に委託する「指定管理者」制度を導入し、現在44の施設で、「指定管理者」で運営しているということだ。「県立三ケ日青年の家」も今年、4月から、「小学館集英社プロダクション」(東京都千代田区)に運営を委託していた。

 今回の事故の前にも、他の施設で事故が起きているという。業務を委託する県は指定管理者の危機管理体制は十分か、スタッフの技術はどの程度なのか、チェックする義務があるのではないだろうか。

《参考記事》
「ボート転覆で死亡、西野さんの告別式しめやかに」
(2010年6月23日09時27分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100622-OYT1T00785.htm?from=nwlb

「指定管理者の問われる危機管理 県内の施設で事故相次ぐ」
2010年6月22日中日新聞
http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20100622/CK2010062202000143.html?ref=related

2010年6月19日土曜日

教育への公的支出の拡大を~文部科学白書

 報道によると、18日、文部科学省は同省の取り組みをまとめた「文部科学白書」を発表、初めて教育費の問題をとりあげた。「日本は国際的にみて家計の教育費負担が大きく、公的支出が少ない」と強調、「教育に十分な資源を振り向けることが喫緊の課題」だという。

 高校卒業後の進路について、親の年収別に調べたところ、3年前のデータで、年収400万円以下の家庭では大学進学率が31%なのに対し、年収1000万円を超える家庭では大学進学率が62%となっていることがわかった。年収の差によって教育機会の格差が明確になっているとしている。また、毎年行われている全国学力テストでは、いずれの教科でも、親の収入が高いほど、平均正答率も高い傾向になっている。

 また、白書の特集では、教育費について、子ども1人が幼稚園から高校まで公立、大学は国立に通った場合、約1千万円、すべて私立に通った場合は約2300万円かかることがわかった。「子ども2人が私立大学に通っている場合は、勤労世帯の可処分所得の2分の1超を教育費が占める」と、家計への負担の重さを強調しているという。

 教育支出に占める私費と公費の負担割合の国際比較では、日本は大学などの高等教育段階では私費が7割、公費は3割(先進国平均=私費3割、公費7割)と、家計への負担が重い。政府支出に占める教育支出の割合が先進27カ国中最下位だということだが、すぐに先進国並みに…とは言わない。大学への補助金を増やすなどして授業料を値下げするなど、家計への負担を減らし、教育費以外への支出を増やせるようにしてほしいものだ。そうすれば、日本の経済にとってもよい効果があるのではないだろうか。

 日本は、明治維新後、近代的な国家をつくるため、教育に何よりも力を入れてきたはずだ。すべての国民が教育を受け、読み書き計算ができ自分で問題解決できる力を持つことが、産業を支え国の発展につながると考えて、明治の政府は、日本全国津々浦々小学校を建てて、子供たちを教育してきたはず。

 日本の近代化をみてもわかるように、教育は個人にとって利益となるだけではなく、国の発展、ひいては国際社会の発展と平和を支えるものではないかと考えると、国民が経済的な理由で教育を受ける機会を失うことのないように、教育の予算をふやすことが必要ではないかと思う。

《参考》
「平成21年度文部科学白書の公表について」 文部科学省 平成22年6月18日
6月末刊行予定の文部科学白書について、要旨が発表されている
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/22/06/1294984.htm

《参考記事》
・「日本は家計の教育費負担大きい」文部科学白書が特集    2010年6月18日朝日新聞
http://www.asahi.com/edu/news/TKY201006180281.html

・白書 教育への公的投資充実を   6月18日 10時57分 NHK
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20100618/t10015198071000.html

2010年6月17日木曜日

男性二人がホームから転落した女性を救出、 消防署が感謝状

 報道によると、6月13日夜、東京都目黒区の東急東横線自由が丘駅で、女性(83)がホームから転落するという事故があった。ホームに居合わせた男性二人が力を合わせて、女性を助け出した。女性は、頭を打っているが意識はあり、手足にけがをしたものの命に別条はないということだ。

 下り特急列車が迫る中、とっさにホームの緊急停止ボタンを押し、ホームに飛び降りた男性は、女性を抱えたものの、全く動かせない。この状況を見たもう一人の男性が、ホームから飛び降り、先の男性といっしょに女性を隣の上り線の線路に移した。特急列車は3人から約70m手前で緊急停止し、乗客にもけがはなかった。
 
 救助にあたったのは藤沢市の会社員水野尾孝司さん(35)と横浜市南区の警備会社員竹森明さん(51)。竹森さんは、以前JR山手線新大久保駅を通勤に使っていた。
 新大久保駅では、2001年、ホームから転落した男性を助けようとして、韓国人留学生李秀賢さん(当時26才)と横浜市のカメラマン関根史郎さん(同47才)が電車にはねられ亡くなるという事故が起きていた。
 
 竹森さんは当時、通勤で通る新大久保駅にある犠牲者を追悼するプレートを毎日見ていた。自由が丘駅のホームで、新大久保駅の出来事がよぎり、とっさに飛び降りたという。
 竹森さんは「新大久保駅の事故を思うと知らんぷりはできなかった。全員無事でよかった」と語っている。列車が迫ってくる中、普通ではとっさにできない勇気のある行動だと思う。目黒消防署は、15日、女性を救った二人に消防総監感謝状を送った。

 新大久保駅での事故の後、ホーム下に避難スペースを設置するなどの対策がとられてきているが、乗降客が多い自由が丘駅で避難スペースがないのは驚いた。
 ホームから転落する事故を防ぐには、ホーム柵設置などの対策が必要ではないかと思う。

《参考記事》
迫る特急、間一髪の救出 消防署が感謝状   2010年06月16日 朝日新聞横浜版
http://mytown.asahi.com/kanagawa/news.php?k_id=15000001006160005

2010年6月14日月曜日

警報機・遮断機、停止線なしの踏切事故で、JR九州を提訴 

  昨年6月、福岡県うきは市のJR久大線うきは-筑後吉井間にある踏切で、近くに住む小学校5年生の男児が普通列車に撥ねられて亡くなった。この踏切は遮断機や警報機のない踏切で、一旦停止線もなかったという。
 
 報道によると、10日、この小学生の父親が、JR九州に対して「危険回避上の瑕疵(かし)がある」として、慰謝料などをもとめる裁判を起こしたことがわかった。
 
 訴状によると、2009年6月15日午後4時半ころ、小学生は、うきは市吉井町清瀬の踏切(幅1.8m)を自転車で渡ろうとしたが、列車が近付いてきたため、一時停止した。しかし、列車が自転車の前輪に接触、頭を強く打って死亡した。事故当時、現場には、一旦停止線もなかったという。
 
 原告代理人である弁護士は、「小学生にとっては、列車の車幅を予測して接触や風圧による転倒、巻き込み事故を防ぐ判断をすることは容易ではない」としており、「JR九州は警報機や遮断機を設置して危険を回避する責任があった」と指摘しているとのこと。
  
  国土交通省の統計によると、09年3月末現在、全国にある踏切34,252か所のうち、約1割の3,404か所に、警報機・遮断機がなく、 JR九州管内には、踏切2,887カ所のうち287カ所に警報機・遮断機がない。

 遮断機・警報機がない踏切の事故については、広島地裁が2009年2月、高校3年生が列車にはねられて死亡したJR山陽線東広島堀川踏切の事故で、JR西日本に賠償を命じる判決を言い渡している。
 踏切道の安全確保について、「鉄道に関する技術上の基準を定める省令」(平成13 年国土交通省令第151 号)は、「第40 条 踏切道は、踏切道を通行する人及び自動車等(以下「踏切道通行人」という)の安全かつ円滑な通行に配慮したものであり、かつ、第62 条の踏切保安設備を設けたものでなければならない。」とし、
 第62 条 第1 項では、「 踏切保安設備は、踏切道通行人等及び列車等の運転の安全が図られるよう、踏切道通行人等に列車等の接近を知らせることができ、かつ、踏切道の通行を遮断することができるものでなくてはならない。ただし、鉄道及び道路の交通量が著しく少ない場合又は踏切道の通行を遮断することができるものを設けることが技術上著しく困難な場合にあっては、踏切道通行人等に列車等の接近を知らせることができるものであればよい。」としている。

 つまり、踏切には、最低列車の接近を知らせる装置が必要だとしているのである。
 線路がまっすぐだったりすると、見通しはよいけれど、列車と自分との距離がわかりにくく、振動の少ないロングレールなどでは音で列車の接近を判断するのも難しくなってきている。また、列車の幅を予測して、踏切で停止位置を判断するのが困難な児童や生徒が通行する通学路などには、優先的に、警報機や遮断機などを設置すべきだと思う。

 鉄道事業者は、踏切を通行する人がどんな人たちなのか、児童生徒やお年寄りが多いかどうかといったことも考慮して踏切の安全対策を見直すべきだと思う。踏切の周囲の環境の変化に応じた安全対策が求められていると思う。

《参考》
 広島地裁の判決などについては、当ブログの以下を参照
事故の詳細は、当ブログ参照「 踏切事故の現場を訪ねて~4月24日東広島」   http://tomosibi.blogspot.com/2009/08/2009424.html
《広島地裁判決については以下で判例検索できる》
平成20(ワ)8 損害賠償請求事件 平成21年02月25日 広島地方裁判所
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20090417195030.pdf
《参考記事》
踏切事故で死亡小5の親 「管理に問題」JR提訴 6600万円賠償請求 遮断機、停止線なし 地裁久留米    2010年6月11日 05:14
=2010/06/11付   西日本新聞朝刊=
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/177516

2010年6月10日木曜日

ツアー登山、3割の旅行会社でマニュアルなし

 2009年7月、北海道大雪山系トムラウシ山(2,141m)で、台風が近づく悪天候の中、ツアー登山に参加していた登山者ら8人が凍死した。この遭難事故を受け、観光庁は、ツアー登山を行う旅行会社に、登山マニュアルを作成しているかアンケートをとった。

 報道によると、アンケートの結果、添乗員や山岳ガイドのための登山マニュアルを作成していないと回答した旅行会社は三分の一に上ることがわかったという。
 
 今年三月、調査結果をふまえて、観光庁はマニュアル作成を業界団体に要請したそうだ。観光庁の担当者によれば、各社が天候が悪化した場合の危険を回避するための判断基準などを具体的に決め、最低限の約束事を決めるべきだという。

 アンケート結果によれば、「添乗員を必ず正社員が務める」は27%、「ガイドを必ず正社員が務める」は4%で、非正規のスタッフがツアーを支える実態もわかった。
 近年ツアー登山の人気が高まっており、ツアー登山には年間30万人が参加するという。ツアーの参加者が安全に登山できるよう、旅行業者は、山の知識や事故対応について講習などを通じて、スタッフを教育したり、専門の山岳ガイドとして認定されたスタッフをツアーの添乗員にしてほしい。

 自然とのふれあいをもとめて参加した登山が、参加者にとって楽しく思い出深いものとなるよう、ツアー登山を企画運営する旅行業者のみなさんには、十分計画を検討し、経験豊かなスタッフをツアー登山につけてほしい。そして2度と同じような事故を繰り返さないでほしいと思う。

(なお、当ブログでは以下で、昨年の事故を取り上げたhttp://tomosibi.blogspot.com/2009/07/blog-post_24.html

《参考》
(社)日本旅行業協会 「ツアー登山運行ガイドライン」(平成21年9月1日作成)
http://www.jata-net.or.jp/membership/info-japan/climbing-tour/pdf/200909tourclimb_guideline.pdf
《参考記事》
「登山ツアー マニュアルなし3割 観光庁 旅行社に作成通達 」    東京新聞2010年5月24日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/yama/CK2010052402000186.html

2010年6月5日土曜日

港区エレベーター事故から4年~柳田邦男氏が講演

 6月3日、港区のマンションでシンドラーエレベーター社製のエレベーターに乗っていて、扉が開いたので降りようとした市川大輔さんが、突然上昇したエレベーターに挟まれて亡くなった事故から4年がたった。

 3日、大輔さんの両親が主催した講演会では、作家でジャーナリストの柳田邦男氏が2時間にわたり、「生きる力」と題して講演をおこなった。柳田氏はジャーナリストとして50年間、さまざまな事故や事件に関わってきた。柳田氏は、日航ジャンボ機墜落事故や信楽高原鉄道事故、エレベーター事故などの遺族・被害者の置かれてきた状況を目の当たりにしてきた。切実に、事故の原因究明をもとめる遺族の思いをひしひしと感じてきたのだと思う。
 
 柳田氏は「重大事故でさえ、これまで被害者は行政や警察に置き去りにされてきた」と指摘、被害者が事故調査に加わる意義を語った。

 遺族は、大切な人を奪った事故がなぜおきたのか、なぜ大切な人が亡くなったのかと問う。なぜ、事故を防げなかったのか、なぜ、事故が起きても助かる術がなかったのかと、悲しみの中から問いかける。その問いかけが、車両の安全性向上や座席の安全性を高め、安全を語り継ぐ場をつくることにつながってきたという。
 
 事故から今年8月で25年になる日航ジャンボ機墜落事故の遺族は、事故直後から残存機体などを廃棄処分しようとしていた日航にたいして、機体や遺品の保存を求め続けた。事故から20年以上たって、2006年4月、日航はトラブルが続いたことを反省して、日航機事故などを語り継ぐ場として、社員教育のための安全啓発センターをつくり、遺品や事故機の圧力隔壁などを展示することにした。柳田氏は、遺族の声はそのきっかけになったと指摘した。

  また、さまざまな生活空間の事故の遺族同士のつながりができつつあるが、それは遺族の生きる支えになっている。国交省では、事故被害者の支援について検討を始めているが、今後、被害者支援が政策としてまとめられることを期待しているとも語った。
 
 講演会の最後に、挨拶に立った大輔さんの母正子さんは、亡くなった人の命を無駄にしないため、(監督官庁から)独立した公正で中立な事故調査機関の設置と徹底した事故の原因究明をもとめて、さまざまな遺族や被害者と絆を深めていきたいと語っていた。

《参考記事》
エレベーター死亡事故から4年 原因調査めぐり柳田氏講演
2010/06/03 21:22 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201006/CN2010060301000664.html

明石歩道橋事故、元明石署地域官ら実刑確定へ…最高裁が上告棄却

 平成13年(2001)年7月21日夜、兵庫県明石市の朝霧駅歩道橋で、駅に向かう通行人と会場に向かう花火大会の見物客とが異常に集中し、群衆雪崩が発生、11人が死亡、247人が負傷するという事故が起きた。
 
  事故当時、通行人が滞留した橋の上では、1㎡あたり、13~15人もの人がとじ込められたという。橋はボトルネック構造になっている。駅から100mほどの長さで幅6mあるが、下りる階段は幅3mで片側しかなく、踊り場で花火を見物する人が滞留し、駅から来る通行人と夜店が並ぶ歩道から上がってくる見物客とで橋の上は身動きが出来なくなった。
 
  橋はプラスチック製の屋根でおおわれているため、事故当時、大勢の人が押しとどめられた橋の中は、蒸し風呂のように熱くなったという。
(写真は2007年7月撮影 国道28号の方からみる。 左手が朝霧駅、右手が大蔵海岸)

 この事故について、5月31日、最高裁判所第1小法廷は、事故当時、現場の警備にあたっていた元明石署地域官・金沢常夫被告(60)と警備会社の元大阪支社長・新田敬一郎被告(68)の上告を棄却する決定をした。同小法廷は、「機動隊に出動を要請して歩道橋への立ち入りを規制していれば事故は回避できた」と判断、「事故を容易に予測できたのに、事故は起きないと軽信し、必要な措置を講じなかったために多数の死傷者が出た」と認定した。両被告は、業務上過失致死傷罪で、禁固2年6月の刑が確定する。
 
 この花火大会では、主催者の明石市とともに明石署も事前の計画段階から、警備計画にあたっていた。
 しかし、この花火大会の7カ月前の平成12年12月31日に同じ会場で行われたカウントダウンイベントの際、歩道橋の上で、異常な密集状態となって雑踏事故の一歩手前だったのに、このときの警備計画を見直さず、7月の花火大会の際に分断規制や入場規制などの雑踏事故防止の対策を怠ったとされている。
 また当日は、明石警察署では、テレビモニターや警察無線などで、歩道橋内の混雑状況が把握できたにもかかわらず、元署長らは現地の部下に適切な指示を怠り、事故の発生を防止しなかったとされ、元副署長らは、今年4月、神戸第2検察審査会の「起訴議決」を受けて全国で初めて強制起訴された。

《参考》
明石歩道橋事故は、民事裁判については、平成17年6月、神戸地裁が原告である遺族側の主張を認め、花火大会の主催者である明石市や警備会社、兵庫県に損害賠償の支払いを命じた。
 (判例)平成14年(ワ)2435損害賠償事件 平成17年6月28日神戸地方裁判所
《参考記事》
歩道橋事故、明石署元幹部ら実刑確定へ…最高裁が上告棄却 (2010年6月3日 読売新聞)
http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20100603-OYO1T00206.htm?from=top

2010年5月31日月曜日

シンドラー製でロープが破断~エレベーター5000台緊急点検へ

 31日、国土交通省は、シンドラーエレベーターが製造・点検しているJR渋谷駅前の歩道橋にあるエレベーターで、今年4月、かごを上げ下げする金属製ロープ3本のうち1本が切れているのが見つかったと発表。

 このため、国交省は、シンドラー社が保守点検するエレベーター5000台について、緊急点検し、報告するよう、全国の自治体に通知した。
 
 国交省によると、4月23日、シンドラー社による定期点検の際、担当者がエレベーターが運転停止状態になっているのに気づいた。調べによると、金属製ワイヤを束ねたロープ3本のうち1本が破断したため、残りの2本への荷重が大きくなるため安全装置が働き運転停止の状態になったという。けがをした人はなかった。
 このエレベーターは、11人乗りで、2006年1月から稼働、地上から歩道橋までの高さ5メートルを昇降しているという。

 国交省は、今回の事故に関する事実関係については、引き続き、渋谷区、設置者・管理者である国土交通省関東地方整備局東京国道事務所等を通じて、情報収集するとしている。

《参考》国土交通省HP
「渋谷駅東口歩道橋エレベーターにおけるロープ破断について」 平成22年度5月31日
http://www.mlit.go.jp/report/press/house05_hh_000172.html
《参考記事》
シンドラー製でロープ破断=エレベーター5000台緊急点検-国交省  (2010/05/31-21:48)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2010053100948