2010年3月12日金曜日

東武伊勢崎線竹ノ塚踏切事故から5年 (2) 

  事故から5年がたとうするが、今でも事故当時のことが昨日のことのように思いだされる。

 2005年3月15日、夕方6時ころ私が、仕事を終えて帰宅すると、テレビを見ていた私の子どもが、竹ノ塚で事故があったと教えてくれた。テレビにはライトで明るく照らされた竹ノ塚駅踏切が映し出されていた。
 駅の周辺は騒然としているようで、事故の大きさを物語っているようだった。
昔から危ないと思っていた踏切でとうとう事故が起きてしまったと思い、不安な思いにかられた。

 しかし、この時はまだ死傷者名がわからず、ニュースでは被害者は30歳代と60歳代の女性だと伝えていた。母は事故当時75歳だったから、私は母が事故に遭っているとは夢にも思わなかった。後で実家の母に電話して、事故のことを聞いてみようと思った程度だった。

 夜9時ころ、母に電話しようと思っていたら、父が電話してきた。ふだんは母が電話してくるのになぜ父が…?といぶかしく思っていると、父は「母が事故に巻き込まれたらしい」という。
 母は夕方4時ころ買い物に行ったきり帰って来ないので、父は心配になり、父の方から7時ころ警察に電話した。その時初めて父は、竹ノ塚の踏切で事故があったことを知った。
 
 警察に、母が夕方出たまま帰らないことを話すと、警察が自宅まで父を迎えてきたという。父は「これから刑事さんといっしょに行く、また電話する。弟たちに連絡しておいてほしい」という。
 
 夜9時ころ、父は刑事さんらと実家を出て行ったきり、その後、父からは一向に連絡がなかった。私は自宅から、弟たちに実家に行ってくれるよう頼んで、自分は父からの連絡を待った。
 夜11時すぎ、やっと父から電話があった。「警察で母さんを見たが母さんだと断定できない、確信がもてない。」という。
 私と父が電話でそんな話をしていると、電話の向こうで刑事さんたちだろうか、「指紋が一致しました」と話しているのが聞こえた。やはり母が事故に遭っていた。 

 その後、父が弟たちといっしょに、遺体の確認をして、家に帰ることができたのは、夜中も2時を過ぎていたという。
 
 私たちはもっと早く母の安否を知りたかった。父は、遺体に対面する前に、警察署内で事情を聴かれていたという。そのため遺体を確認するまでに時間がかかり、父は私たちになかなか連絡できなかった。また父は携帯電話を持っていないので、こちらからも連絡ができなかった。

 父が病院にいるのか警察にいるのか、また母はどんな様子なのかわからず、私と弟たちは、とにかく警察に行ってみようと相談して、弟たちが竹ノ塚警察に駆け付けたのである。
 
 私たちも、急なことで何をしていいのか、どこへ聞けばよいのかわからなかった。後になって、母の安否や事故の情報が、もっと早く被害者の家族に伝わるようにしてほしいと思った。
 

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