2010年7月31日土曜日

スイス「氷河特急」脱線事故、速度超過が原因

 報道によると、スイス連邦政府の公共交通事故調査局(SEA)は、スイス南部バレー州で起きた観光列車「氷河特急」の脱線事故は、運転士による速度の出し過ぎによる人為的なミスで事故が発生したとする暫定的な調査結果を発表した。

 SEAは、機関車の記録計などを詳細に分析した結果、列車は事故現場付近を規定速度の35キロを少なくとも10キロ超えて通過しており、最終車両がカーブを曲がり切る前に、最高56キロまで加速し、その結果後方の車両が脱線したとしている。
 SEAの責任者コベルト氏は、「運転士は加速を急ぎ過ぎたと思われる」と述べているという。

 運行会社マンターホルン・ゴッタルド鉄道(MGB)のシュミット会長は、「人為的なミス」と会社側の過失を認め、亡くなった国本安子さんはじめ負傷者に謝罪した。
 これまで、SEAや警察の事情聴取に対して、運転士は「運転士はレールが歪んでいた」と語っていたそうだが、調査の結果、責任者のコベルト氏は、脱線に関係するほどゆがみは認められなかったとしている。最終報告書は、数週間以内にまとめられるそうだ。現場では、運行を再開したが、スピードを落として通過しているという。

 27日の記者会見では、事故原因がわからないのに運行が再開されたことに国本さんの遺族は驚いたようすで、「同じようなことが起きないか懸念している」と語った。突然、穏やかに定年後の生活を送っていた夫妻を襲った事故に、遺族はやりきれない思いではないかと思う。なぜ、運転士がスピードを出し過ぎていたのかも調査されなくてはならない。

《7月31日追記》
 以前、「氷河特急」に乗ったことのある知人に聞いたところ、今回事故のあったところよりももっと危険な所はたくさんあり、なぜあの場所で事故が起きたのか、十分調査されなくてはならないとのこと。地元メディアの中には、ダイヤがタイトではなかったかという指摘もあるという。運行が遅れると運転士にぺナルティが科せられるようなことはなかったのか、十分調査される必要がある。

《参考記事》
「速度超過で脱線、『人為ミス』認める スイス列車事故 」  2010年7月30日23時7分 朝日新聞
http://www.asahi.com/international/update/0730/TKY201007300554.html

《追加参考記事》
「『氷河特急』運転士の捜査本格化 運行会社の責任浮上も」 【ジュネーブ共同】2010/07/31 09:41
http://www.47news.jp/CN/201007/CN2010073101000110.html

2010年7月29日木曜日

「御巣鷹山と生きる―日航機墜落事故遺族の25年―」(美谷島邦子さん著)

 6月25日、美谷島邦子さんによる「御巣鷹山と生きる―日航機墜落事故遺族の25年―」が刊行された。表紙には、事故から三日後、美谷島さん夫妻が御巣鷹山の尾根に登った時の写真が使われている。息子の健ちゃんを探しに、尾根に登り、地面に崩れる美谷島さんとたちつくす美谷島さんの夫。壮絶な事故の現場から一歩を踏みださなくてはならなかった美谷島さんら遺族の25年はどのようなものだったのだろうか。

 著者である美谷島邦子さんは、日航123便墜落事故で、9歳になる二男の健くんを失った。今年の8月12日で、その事故から25年になる。

 事故直後、事故の情報が十分入らない中で、藤岡市の体育館で必ず健君を連れて帰ると待ち続けたこと、事故直後夫と二人で御巣鷹の尾根を登った時のこと、遺体を確認して荼毘にふした時のこと、事故の原因を究明し事故の再発を防ごうと日航幹部らを告訴した経緯など、事故から現在まで、美谷島さんら遺族が何にこだわり、何を求めてきたのか、8・12連絡会の事務局長をつとめてきた美谷島邦子さんが、遺族の25年を振り返った。

 辛い遺体確認作業をふりかえった部分は、私も涙をこらえられなかった。想像を絶する、口にするのもつらい、おそらく筆にすることもためらわれたにちがいない事故直後の現場のようすや体育館での確認作業。

 しかし、なぜ、今、美谷島さんは日航機墜落事故を書き記すという大変な作業に挑まれたのだろうか?

 母がこの世を突然去ることになった踏切事故から5年しかたたない私には、この答えを出すのは難しいけれど、あえて今思うことを書くとしたら、
 それは、520人もの方々の尊い命が、なぜ、思いだすのも辛く痛ましい姿で、突然、死を迎えなくてはならなかったのかを明らかにしたいという思い、こんなに無残に命と安全がないがしろにされてはならないという思いが、幾年月もの間、美谷島さんが息子健ちゃんと御巣鷹山とのことを書き綴るエネルギーになっていったのではないかということ。

 美谷島さんは、大切な人を失った悲しみは乗り越えるのではなく、「悲しみに向き合い、悲しみと同化して、亡くなった人とともに生きていく」のだと書いている。
 長い間、追い求めてきた健ちゃんが美谷島さんの心に入ってきたとき、健ちゃんは美谷島さんと生きることになった。事故から5年たったその時のことを、美谷島さんは本書で鮮やかに書き記している。
 私の心の中に母が生きる日はいつになるか分からないが、悲しみと同化できる日がくることを信じて歩いていこうと思う。

 「空の安全」を求め、同じような事故を繰り返させないことが亡き人たちの命を生かすことだと語り続けてこられた美谷島さんら遺族は、事故直後から日航に残存機体や遺品の保存をもとめてきた。事故から20年以上たって、ようやく日航は、外部の有識者の意見もとりいれて「安全啓発センター」をつくり、社員への教育と事故を風化させないため、遺品や機体の残骸の保存・公開に踏み切った。

 美谷島さんは、御巣鷹山に行くと、目に見えないものがたくさんある、子どものころに触れていた人情や助け合いが見えるという。25年間、いっしょに御巣鷹山に登ってきたすべての人々と心をつなげ、ともに「空の安全」を願って、「安全の文化」を高めていきたいとしている。
 
 そのために、私たちは美しい御巣鷹山を守っていきたい。それが、大切な人たちを奪った事故を忘れず、事故を防ぐことにつながるはずだから。

《参考書評》
「一万三千年の悲しみ、そして再生」 柳田邦男 (新潮社「波」2010年7月号)
http://www.shinchosha.co.jp/shinkan/nami/shoseki/325421.html

2010年7月28日水曜日

8月の広島平和式典へ、駐日アメリカ大使らが出席

 報道によると、8月6日に、広島市で開かれる原爆死没者慰霊式・平和祈念式に、アメリカのルース駐日大使が出席する方向であることを、日本政府関係者が明らかにした。
 実現すれば、アメリカの駐日大使としては、はじめての平和式典参加となる。

 昨年4月のプラハでの演説以来、オバマ大統領は核廃絶・核軍縮を訴えてきたが、ルース駐日大使の出席はその決意をあらわすものと思われる。
 また、昨年10月、ルース氏は広島市の原爆ドームや原爆資料館を視察しており、「深く感動した」と、その印象を語っているという。

 1998年以降、広島市は核保有国に式典への出席を要請してきており、今年は、アメリカ、イギリス、フランスも出席、アメリカ・フランスを除いても過去最多の67カ国が代表を送る。
 
 潘基文(パンギムン)氏も国連事務総長として初めて、今年の広島の式典に出席する予定で、26日、27日から開かれる国際会議「2020核廃絶広島会議」(国際NGO・平和市長会議と広島市主催)に向け、「確実に核兵器使用を防ぐには、核兵器の全廃しかない」とするメッセージを出している。

 5月に国連本部で開かれたNPT(核不拡散条約)会議では10年ぶりに最終文書を採択した。また、昨年オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞するなど、世界的に核軍縮・不拡散の機運がもりあがってきているといえる。

 各国の代表には、平和式典で亡くなった人の冥福を祈るだけではなく、核廃絶へ の決意を示してほしいと思う。

《参考記事》
「ルース米大使が初出席へ 8月の広島平和式典」  【ワシントン共同】 2010/07/28 13:30
http://www.47news.jp/CN/201007/CN2010072801000230.html

「『核兵器使用防ぐには全廃しかない』国連事務総長」  2010年7月27日11時28分
http://www.asahi.com/special/npr/TKY201007270205.html

2010年7月25日日曜日

大雪山系トムラウシ山遭難事故から1年

 7月16日、ツアー登山の参加者ら8人が亡くなったトムラウシ山の遭難事故から1年がたった。今年のトムラウシ山は、1年前の悪天候とことなり、登山日和となったそうだ。報道によると、一般登山者のほか、事故で大切な人を失った人たちも入山し、遺体発見現場などで、手を合わせていたという。

 広島県廿日市市のガイド吉川寛さん(当時61才)の山の友人らが、事故発生日に合わせて慰霊登山をした。遺体発見場所と思われる地点に線香と好きだったビールとたばこを手向けたという。吉川さんは低体温症による凍死だったことから、友人らは「きっと寒かったんだろう」と、現場にダウンジャケットをかぶせ冥福を祈った。

 北海道警は昨年、ツアー登山を主催した「アミューズトラベル」を業務上過失致死容疑で家宅捜索した。また、トムラウシ山から生還したガイドをともなって登山ルートの実況見分を行うなど、当時のガイドの判断や同社の安全管理に問題はないか捜査中だ。
 一方、山岳関係者の間では事故の教訓を生かそうと、さまざまな動きが広がっているという。

 7月2~4日、北海道山岳安全セミナー代表の松浦孝之さん(63)ら4人が、昨年のツアーと同じ2泊3日で四十数キロを縦走するコースを歩き、このコースを歩く上での問題点を検討した。

 この取り組みには、苫小牧東病院の船木上総・副院長も参加し、メンバーの体温を定期的に測った。天候がよくても、疲れなどで体温が下がることもあったという。昨年の遭難事故の際には、遭難した人の中には朝食をとらなかった人もいたことから、食事をとらないことも低体温症を招いた原因の一つとみられている。夏山でも油断せず、意識的に防寒具などで保温し、携帯食をこまめに摂取して体温を維持する必要があるという。今は軽くて温かいアルミシートなどがあるから、保温のために持っていくとよい。

 また、日本山岳ガイド協会(東京)では、低体温症や熱中症に備えるにはどうしたらよいか、講座を全国で開催した。9月までにさらに2カ所で開催される。

 山に登る方々には、多くの犠牲者を出した事故の教訓を生かして、事故のない安全な登山で楽しい思い出を残してほしいと思う。

 最後になりましたが、トムラウシ山の遭難事故で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。

《参考記事》
「トムラウシ山遭難事故から1年 冥福祈る」  2010年07月16日 14時54分
http://www.tokachi.co.jp/news/201007/20100716-0006077.php
「日本山岳ガイド協会(東京)」
http://www.jfmga.com/
《参考記事:7月27日追加》
「トムラウシ集団遭難、道警が生存者伴い実況見分」 (2010年7月27日08時55分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100726-OYT1T00506.htm?from=nwlb

スイスの観光列車「氷河特急」が脱線・転覆

 7月23日正午、スイス南部のバレー州で、観光列車「氷河特急」が脱線・転覆した。この列車には、日本人観光客が多数乗っていた。
 列車は7両編成で、乗客は約210人、脱線したのは後ろ3両でうち2両が転覆した。この3両には日本人が多数乗車しており、地元警察によると、負傷者は42人で、このうち重傷者12人を含む38人が日本人だという。

 「氷河特急」は、アルプスの山並みを車窓から楽しめるため、日本でも人気が高く、年間7万人の日本人が訪れるという。「氷河特急」は、名峰マッターホルンの登山基地であるツェルマットから冬季オリンピックが開催されたことのあるサンモリッツまでの約270㎞を8時間かけて結ぶ。標高2000mの山岳地帯を時速30kmで走り、「世界一遅い特急」と言われる。

 「鉄道先進国」と鉄道関係者が認めるスイスで起きた大事故に、なぜ遅い特急の事故が起きたのかと疑問を持つ。事故現場は緩やかなカーブになっており、急峻な山岳地をぬうように走る氷河特急にとっては難所とはいえないところだという。
 これから、本格的な事故原因の調査が始まるのだろうが、時間をかけてていねいに調査をして、事故の再発防止に役立ててほしいものだと思う。

 最後になりましたが、事故で亡くなられた女性のご冥福を祈るとともに、負傷された方が一刻も早く回復されることを祈ります。

《参考記事》
「緩いカーブなぜ脱線 スイス列車事故、究明難航も 」  (2010/7/24 22:06  日経)
【ジュネーブ=藤田剛】
http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819695E0E6E2E1918DE0E6E2E5E0E2E3E29191E3E2E2E2?
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2010年7月19日月曜日

日航ジャンボ機墜落事故から四半世紀~空の安全を祈る講演と音楽会

 7月19日、群馬県高崎市で、「命の絆を語り継ぐ」と題して、日航ジャンボ機墜落事故で息子さんを亡くした美谷島邦子さんの講演会と、犠牲者の慰霊のための演奏会が開かれた。

 今年8月12日で、事故から25年が経つのを前に、事故で当時9歳だった健君を亡くした美谷島邦子さんが講演、事故直後御巣鷹山に登ったこと、遺族会を結成したこと、空の安全を願って残存機体や遺品の保存などをもとめて活動してきたことなど、これからも事故が忘れられないよう若い世代に語り継いでいきたいと話していた。

 群馬の高崎アコーデオンサークルやオカリナのサークルは、ボランティアで毎年8月11日と12日に慰霊のために、灯篭流しの会場や事故現場となった御巣鷹の尾根で、遺族にリクエストを聞いて、慰霊のための演奏をしている。高崎アコーデオンサークルは、三回忌から毎年、御巣鷹の尾根に登って演奏している。
 演奏会では、事故で犠牲となった坂本九さんの「見上げてごらん夜の星を」や、野口雨情が亡くなった子どものために作った「シャボン玉」など、遺族の方々の思い出の曲、19曲が演奏された。

 美谷島さんは、講演の中で、群馬のさまざまなボランティアの人たちが、事故直後疲れきって力をなくしていた遺族にやさしく声をかけてくれたり、暑い体育館にいる遺族のために冷たいものを用意してくれたことなどが、心にしみたという。自分たちが心に落ち着きを取り戻し立ち直るきっかけをつくってくれたと感謝の言葉を述べていた。

 二度と悲惨な事故を起こしてはならないという思いが、事故の遺族だけではなく、遺族を取り巻く多くの心やさしい人々によって受け継がれ、語り継がれていくことだと思う。
 
《参考記事》
群馬 日航機事故慰霊の演奏会   (7月19日 20時6分 NHKニュース)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20100719/t10015826671000.html

2010年7月18日日曜日

鹿児島市JR指宿枕崎線の踏切で事故~警報機・遮断機のない踏切

 7月16日午後6時15分ころ、鹿児島市坂之上7丁目のJR指宿枕崎線の向原第2踏切を、自転車で横断していた小学5年生が列車に撥ねられて亡くなった。
 夏休みを前にして家族で楽しい計画も予定していたかもしれない。突然、息子を亡くされたご両親に心からお悔やみを申し上げるとともに、亡くなったお子さんのご冥福をお祈りしたいと思う。
 
 報道によると、踏切は警報機や遮断機のない踏切で、歩行者や自転車しか通行できない。小学生は列車の進行方向に対して左側から自転車に乗って入り、列車の右前部と衝突したという。
 列車の運転士は「急ブレーキをかけ、警笛を鳴らしたが間に合わなかった」と話しているそうだ。

 地図を見ると、現場は坂之上駅と五位野駅のほぼ中間で、国道225号沿いにある。付近には住宅や商業施設があり、付近の住民も踏切の危険を感じていたという。
 地図を見ると線路はまっすぐだが、直線だと列車がどの程度まで近付いているのかわかりにくいことがある。まして夕方ともなると、小学生には距離感がわかりにくかったかもしれないと思う。
 警察や学校など周囲の大人は、子供に列車がどのあたりまで来ていると踏切を渡りきれないから危ないと具体的に教えることが必要なのに、ただ「踏切は注意して渡れ」という指導や注意だけで終わらせていないだろうか。

 注意を促すだけでなく、何よりも住民や子供たちが安心して踏切を渡れるよう、事業者には踏切安全設備を設置してほしい。また、道路管理者には、路面が悪くないかどうか点検して踏切道を整備してほしい。

《参考記事》
列車にはねられ小5男児死亡/鹿児島市のJR指宿枕崎線 (2010 07/17 06:30、南日本新聞)
http://373news.com/modules/pickup/index.php?storyid=25254

列車にはねられ小学生死亡 不安高まる    [07/17 19:03](mbcニュース)
http://www.mbc.co.jp/newsfile/mbc_news_disp.php?ibocd=00175244_20100717

2010年7月16日金曜日

子どものいのちを守る~児童虐待と事故防止

   7月8日、9日の2日間、東京都港区の日本学術会議で、安全工学シンポジウム2010が行われた。日本学術会議総合工学委員会が主催し、国内の34学協会が共催・協賛、さまざまな分野の専門家が集まった。安全工学シンポジウムは、今年40回目を迎えた。

 9日には、オーガナイズドセッション「子どもの安全を考える」(座長:向殿政男明治大学教授)が開かれた。子どもが安全にのびのびと暮らせるためには、子どもの事故の情報をどのように集め、分析して活用していくのか、各分野の取り組みが紹介された。

 小児科医の山中龍宏氏は、医療と法医学の現場で集めた情報を、工学分野で情報分析・知識化し、子どもの意図的な傷害と不慮の事故による傷害を判別するのに役立つソフトやツールの開発をしていこうと、工学関係者とともに研究している。
 
 小児科医として子どものけがや病気を長年診てこられた山中先生が、なぜ、工学分野の研究者と協働で、傷害情報を集め分析しているのだろうか。

 それは、同じような事故が繰り返され傷害を負う子どもが絶えないことから、小児科医も事故を防ぐことができないかと思ったからだった。また、虐待などによって意図的に傷害が負わされるケースも増えてきている。
 小児科医として子どもの事故を防がなくてはと思い、20数年前から活動を始め、事故の原因となった製品のメーカーに訴えたり、関係する省庁にかけあってきたそうだ。
 また、児童相談所には、小児科医がいないため、傷害が虐待によるものなのかどうか医学的に判断することが困難で、それを支援するには、工学系の技術が必要なのだという。

 1960年以降、日本では0歳を除いた子どもたちの死因の第一位は不慮の事故となっている。日本で事故による傷害が多発しているのは、「子どもの傷害予防」の研究がおこなわれていないことが原因だとして、「実態報告」ばかりではなく、傷害の発生状況を詳細に記録し、情報を集め分析することが必要だと、山中氏は説いている。

 傷害予防には、多職種のネットワークが必要で、日本でも、傷害予防の研究所を設置して、具体的な取り組みを開始すべきだともいう。
 関係する各省庁には、省庁の枠にとらわれず、横の連携を密にして、子どもの安全をどのように確保するのか、十分論議して対策をとってほしいと思う。

《参考》
「虐待など意図的傷害予防のための情報収集技術及び活用技術」
 山中 龍宏 (独立行政法人産業技術総合研究所デジタルヒューマン工学研究センター傷害予防工学研究チーム チーム長)
 http://www.anzen-kodomo.jp/program/research/t_yamanaka.html

2010年7月9日金曜日

研究者、技術者の知を結集して事故防止へ~安全工学シンポジウム

 7月8日、9日の2日間、東京都港区の日本学術会議で安全工学シンポジウム2010が行われた。日本学術会議総合工学委員会が主催し、国内の34学協会が共催・協賛、さまざまな分野の専門家が集まった。

 医療や地震に関する特別講演をはじめとして、リコール問題についてのパネルディスカッションや、事故防止のあり方を考えるオーガナイズドセッションなど、多彩なテーマで論議が展開された。

 オーガナイズドセッション「事故防止のあり方を考える~事故調査のあり方について~」では、踏切事故の遺族やエレベーター事故の遺族が、事故後の体験から、警察の捜査や監督官庁の下の委員会の事故調査では、事故原因の究明が不十分だとして、調査を再発防止に役立てることができる監督官庁から独立した事故調査機関が必要であると訴えた。

 「踏切事故の実態と事故調査」の報告では、高知県佐川町白倉踏切の事故を取り上げた。白倉踏切の問題点、警察の事故についての説明と鉄道事業者の事故についての説明の食い違い、電動車いすの利用者など交通弱者と言われる踏切通行者の安全をどう確保するのかといったことが話された。
 (白倉踏切については、当ブログ記事参照http://tomosibi.blogspot.com/2010/04/blog-post_26.html

 2006年、戸が開いたまま上昇を始めたエレベーターに挟まれて亡くなった市川大輔君の母親の市川さんは、「事故は異なっても、背景に複合的な要因があるという点は同じで、徹底した事故調査の必要性を訴えていきたい」と話す。

 事故調査は事故の被害者・遺族にとって、被害者支援の一つといえる。
大切な人を奪った事故について正確に説明をうけることは、私たちにとって、肉親の突然の死を受け入れていくために必要なことだ。なぜ、死ななくてはならなかったのかわからないまま、大切な人の死を受け入れることはできない。

 事故調査機関は、私たち遺族のさまざまな疑問に真摯に向き合って答える機関がであってほしい。被害者の疑問に答えられる調査をすることは、同じようなもしくはもっと大きな事故を防ぎ、犠牲者を出さないため、安全対策を検討する上で必要なことのはず。

 事故をひとつひとつていねいに調べて、事故の再発防止策に役立ててほしい。

《参考ニュース》
“事故調査 独立機関設置を”   7月8日 12時2分    http://www3.nhk.or.jp/news/

2010年7月3日土曜日

弱視者にも読みやすい「白黒反転」のマニフェスト

 弱視者やお年寄りが読みやすいように、黒地に白い文字で書いた「白黒反転版」のマニフェスト(政権公約)や政策パンフレットが作成された。

 今年5月、特定非営利活動法人(NPO法人)「大活字文化普及協会」の事務局長、市橋正光さん(37)は各党のホームページに掲載されたマニフェストなどを見て、こんな小さな文字では、弱視者の人には読めないと思い、パソコンの編集ソフトを使って、文字や写真を拡大した。さらに白黒を反転させ、弱視者の人でも読みやすくした。
 
 5月末、各政党に白黒反転版の無償提供を持ちかけたところ、民主、自民、公明、共産の各党がホームページに掲載、上記の政党のHPを見ると白黒反転版を読むことができる。黒地に白い文字で大きく書かれているので読みやすい。今まで、 点字版や音声版はあったが、白黒反転版は採用されていなかったという。
 同協会は、ほかの政党にも、白黒反転版を普及させたいとしているが、公職選挙法で公示後は選挙に関するホームページの更新ができないため、今回の参院選では、上記の4党となった。

 厚生労働省の調査(2006年)によると、全国には視覚障害者の方が約31万人、そのうち弱視者は7~8割だという。市橋さんは、弱視の人は、パンフレットやHPのマニフェストは文字が小さいので、初めから読むのをあきらめてしまう人が多いという。

 国政選挙だから、すべての人が候補者や政党の情報を得て、どこに投票するか判断できることが必要だと思う。


《参考記事》
「白黒反転」のマニフェスト登場 弱視者、読みやすく   2010/7/2 11:59
http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819695E0EAE2E08B8DE2E0E2E5E0E2E3E29191E2E2E2E2;at=ALL

2010年7月2日金曜日

消費者担当相 「消費者事故の調査機関、各省庁に」 

 6月29日、荒井聡国家戦略・消費者担当相は、2006年に起きたシンドラーエレベータ製のエレベーター事故と、05年のパロマ工業製ガス湯沸かし器による一酸化炭素(CO)中毒の事故の遺族にはじめて面会した。遺族らは、さまざまな生活空間の事故を調査する強力な権限を持つ事故調査機関の設置を要望した。荒井氏は「皆さんの悲しい体験がもとになり消費者庁ができた。一つ一つ着実に進めたい」と述べたという。
 また、こんにゃくゼリーによる窒息事故の遺族も、弁護士を通じ、書面で荒井氏に事故対策を要望した。

 30日、荒井消費者担当相は、日本経済新聞などのインタビューに応じ、事故調査機関について考えを述べた。
 今年3月、閣議決定された消費者基本計画の中で、消費者庁は「独立した公正かつ網羅的な消費者事故の調査機関の設置を検討」するとした。
 これをうけて今年度から、事故調査機関のあり方を検討し、来年度には具体的な調査機関の姿を明らかにするとしている。
 
 荒井消費者担当相は、この消費者事故を調査する専門的な事故調査機関について、「国土交通省の運輸安全委員会のような調査機関を各省庁につくるべきだ」と述べ、消費者庁は調査を指示する「司令塔」に徹するのが望ましいとの考えを示したという。

 先の鳩山内閣で消費者担当相をつとめた福島瑞穂氏は、「内閣府などに事故調査機関を一元化すべきだ」と主張していた。
 これに対して、荒井担当相は現実的ではないと否定的で、各省庁に事故調査機関を置くと調査が消費者目線ではなく業界寄りになるのではないかとの指摘に対しては、「事故調査の客観性の保証と業界との癒着にどう対応するかは別問題だ」と語ったそうだ。

 遺族は二度と同じような悲惨な事故が起きないよう、事故の原因を調べ、国民の生活や命を守る安全対策に生かしてほしいと思っている。
 どのような事故調査機関が、事故を防ぐための事故調査を行えるのか、遺族も含め、さまざまな分野の人々とも十分論議して、イメージをゆたかにしていってほしい。
 遺族が事故の原因を知りたいと思っても、縦割り行政のために、さまざまな部署をたらいまわしにされ、挙句に十分な事故の調査がなされず、大切な人が亡くなった事故の原因が明らかにされないということのないようにしてほしいと思う。

《参考記事》
「消費者事故の調査機関、各省庁に」 消費者相   2010/6/30 21:40
http://www.nikkei.com/news/article/g=96958A9C93819695E1E2E2E6948DE1E2E2E4E0E2E3E29180EAE2E2E2?n_cid=DSANY001