2010年8月30日月曜日

事故遺族ら、事故原因の解明と独立した調査機関を要望

    8月25日、日航ジャンボ機墜落事故の遺族でつくる8・12連絡会の事務局長である美谷島邦子さん(63)と、シンドラーエレベータ社製エレベーターが扉が開いたまま上昇して挟まれてなくなった都立高2年市川大輔さん(当時16才)の母正子さん(58)が、前原国交相に面会した。二人は、事故原因の解明と独立した調査機関の設置を求める要望書を前原国交相に手渡した。

 市川さんらによると、前原国交相は、「事故調査機関を(監督官庁から)独立させることには賛成だが、時間がかかる」と話したという。

 今月12日の日航機墜落事故の慰霊式で、前原国交相は、刑事責任追及が目的の警察捜査と再発防止が目的の事故調査との関係について、警察庁と協議すると表明している。また、国交省ないでは、公共交通の事故被害者を支援する制度についても検討しており、前原国交相は法制化をめざすとしていた。

 また、日航機墜落事故も、事故調査委員会が報告した事故原因に疑問を持つ遺族や専門家も多い。そのため、美谷島さんら遺族は日航機墜落事故の再調査をもとめている。
 
 なぜ、大切な人たちが亡くなったのか、判然としなくては、亡くなった方の死そのものも受け入れられないのではないだろうか。
 また、事故原因の解明なくして、同種事故の再発防止と安全性の向上はのぞめないと思う。徹底した調査と、確実な安全対策を求めたいと思う。 

《参考記事》
「独立した調査機関を要望 エレベーター事故遺族ら」  2010/08/25 19:48 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201008/CN2010082501000917.html

2010年8月22日日曜日

海上保安庁ヘリコプター墜落事故、送電線を見落とした可能性~運輸安全委員会

 8月18日午後3時10分ごろ、香川県多度津町の佐柳(さなぎ)島沖の瀬戸内海に、第6管区海上保安本部広島航空基地のヘリコプター「あきづる」(ベル式412EP型)が墜落するという事故が起きた。ヘリの乗員5名のうち4名の方が海底から引き揚げられたが、搬送先の病院でいずれも死亡が確認された。また残る1名の方も21日発見されたが、死亡が確認された。

 この事故の調査のため、国の運輸安全委員会は航空事故調査官を派遣、21日は、第6管区海上保安本部関係者から事情を聴き、 デモンストレーション飛行の合間に廃船調査を行った飛行計画や、運航マニュアルについて調査した。事故調査官は飛行計画は時間的に無理がなく、通信記録にも機体の異状を伝えた形跡がなかったと判断、パイロットが何らかの理由で送電線を見落とし接触して墜落した可能性が高いと見ているいう。

 ヘリが接触した送電線については「非常に見えにくい」と指摘されており、事故当時、パイロットが送電線や鉄塔に設置された航空障害灯を目視できたかどうかが、今後の調査の焦点になるとの見方を示した。
 
 2004年に、長野県南木曽町で信越放送の記者らが乗ったヘリが送電線に接触して墜落した事故を受け、航空法が強化された。送電線上に球状の目印をつけるか、鉄塔の上部に昼でも確認できる航空障害灯を設置することなどが定められたが、パイロットからは、送電線に目印がないと見えにくいという声もあるという。
 また、飛行前、ヘリの乗員らと行う飛行計画の説明では、送電線についての説明がなかったという報道もあり、操縦士らが送電線について知らなかった可能性もある。  

 第6管区海上保安本部は、墜落した事故機の飛行計画など、墜落事故についての説明が記者会見で二転三転していた。海上保安庁は、仕事の内容を理解してもらうため、海の日や地元のイベントなどの際に一般の人を巡視艇に乗せて体験航海をしている。
 この体験航海に合わせて、ヘリが低空飛行をしたり、潜水士をおぼれた人に見立てて救助するパフォーマンスを行うなど、デモンストレーション飛行をすることがあるという。
 
 今回の墜落事故は、パトロールを終えてデモンストレーション飛行に戻る途中の起きていることを、事故当日夕方には、第6管区保安本部が把握していたにもかかわらず、事実を認めたのは19日午後8時過ぎになるなど、事故についての説明が二転三転した。
 体験航海に参加した司法修習生に配慮したというが、飛行目的などは事故原因に関わることであり、事実を隠ぺいしようとしたのは、事故原因の究明を誤らせかねない重大な過ちだと思う。

 送電線の問題など事故原因を調べることで、今後の安全対策も出されることと思う。亡くなった方がたの大切な命が、無にならないよう、第6管区海上保安本部など、事故の関係者は事実を隠さず話して、事故原因の究明に協力すべきだと思う。

《参考記事》
「香川沖ヘリ墜落、送電線を見落としか 運輸安全委が見方 」 2010年8月22日8時6分 朝日新聞
http://www.asahi.com/national/update/0822/OSK201008210199.html

「ヘリ墜落で6管本部長が謝罪 国交相『厳正に処分』」  2010/08/21 22:13 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201008/CN2010082101000483.html

「送電線の注意喚起なし、墜落ヘリ 出発前の説明で」  2010/08/20 13:12 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201008/CN2010082001000036.html

「海上に海保ヘリ墜落、4人死亡1人不明 香川沖」     2010年8月18日20時51分 朝日新聞
http://www.asahi.com/national/update/0818/OSK201008180094.html

2010年8月19日木曜日

消費者庁、事故調査機関のあり方検討会発足へ

 8月18日、消費者庁は、生活空間でおきるさまざまな事故の調査機関の在り方に関する検討会を20日発足させることを発表、委嘱した委員20名の名前を公表した。

2010年8月15日日曜日

太平洋戦争中の空襲被害者、初の全国組織結成

 14日、太平洋戦争中にアメリカ軍の空襲で、障害を負ったり、肉親を奪われたりした空襲の被害者がはじめて全国組織「全国空襲被害者連絡協議会」(全国空襲連)を結成した。年内に被害者救済のための法律の案文をまとめるという。

 太平戦争中、日本の各地でアメリカ軍によって軍需施設や工場などが爆撃された。アメリカ軍は、中小企業などは日本の軍需産業を支えているとして東京の下町などを目標にした爆撃を繰り返した。東京では、1944年11月以降106回の空襲をうけているという。無差別な爆撃は町工場だけでなく、下町一帯を焼き払い、多数の死傷者をだした。
 とくに1945年3月10日の空襲は、木造建築ばかりの下町をおりからの北西の季節風があおって、炎のうずをつくり、逃げまどう市民を襲った。わずか1回の空襲で、被災者は100万人、死亡者・行方不明者は10万人を超えるという。日本全体では、東京新聞の集計(1994年) では、空襲による死者は558,863 人に上るという。

 1952年以降、国は、旧軍人・軍属とその遺族には、総額約50兆円の恩給や年金などを支給してきた。しかし、民間人の空襲被害者については、これまでの訴訟などで「戦争で受けた損害を国民は等しく受忍(我慢)しなければならない」と主張し、援護措置を講じていなかった。このため「法案」には、戦争を始めた国の責任として援護措置を取るよう明記する。

 昨年12月、東京大空襲訴訟で、東京地裁は原告の請求を棄却、「戦争被害者救済は立法を通じて解決すべきだ」と指摘した。このため、国が被害者への援護を怠ってきたことにたいする謝罪と賠償を求めた東京大空襲の被害者は、全国の空襲被害者や遺族会、空襲を記録する会などに連絡組織の結成をよびかけ、法案の作成に取り組むことになった。

 東京大空襲訴訟の弁護団の中山弁護士によれば、
「第2次世界大戦で同様に空襲被害を受けた欧州各国は、被害者補償制度を整備しており、被害を我慢せよという日本は特異。差別なき戦後補償を実現しなければ本当の民主主義国とは言えない」という。

 戦争を始めた国の責任として国は被害を受けた人々に等しく救済の措置を講じ、被害者が平穏に安心して暮らせるように努めならなければならない。それでなくては戦争は終わったと言えないのだと思う。

《参考記事》
「大戦中の空襲被害者、初の全国組織 救済法の案文作成へ 」  2010年8月15日1時2分朝日新聞
http://www.asahi.com/national/update/0814/TKY201008140295.html?ref=any

国土交通大臣が事故被害者支援法制化を表明

 8月12日、520名が犠牲となった日航機墜落事故から、25年がたった。
墜落事故の現場となった御巣鷹山の尾根へ、朝早くから遺族や友人・知人や関係者が、慰霊のために登った。時折、雨が降る中、亡くなった方の墓標の前で手を合わせる遺族の方の姿があった。

 報道によると12日夜、上野村にある追悼施設「慰霊の園」では慰霊式が行われ、前原国土交通大臣が、「事故を風化させず、二度と起こさせないという決意で公共交通機関の安全対策に取り組む」と語ったという。
 また、前原大臣は、公共交通機関の事故被害者を支援する制度について、今年度中にとりまとめ、2012年法案成立を目指す考えをあきらかにした。また、事故調査の見直しに言及し、式後の取材で「事故調査が優先されるような具体的な話し合いを運輸安全委員会と警察庁で行っていきたい」と話したという。

  原因を究明し、事故を未然に防ぐ手立てを見出し、安全性を向上させること、それが亡くなった方々の命を無にしないことだと思う。そのために、どのような事故調査が必要なのか、運輸安全委員会や国交省は、被害者遺族や関係者と十分論議してほしい。

《参考記事》
「<日航機墜落>被害者支援を制度化へ 前原国交相が慰霊登山」
8月12日20時22分配信 毎日新聞 【平井桂月、萩尾信也】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100812-00000072-mai-pol

「国交相が被害者支援法制化を表明 公共交通の大事故」 2010/08/12 22:57 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201008/CN2010081201000796.html

2010年8月6日金曜日

消費者庁、新たな事故調査機関の検討会設置へ

  報道によると、消費者庁は、監督官庁から独立した事故調査機関のあり方を話し合う検討会を設置することをきめた。26日にも初会合を開くという。

 エレベーター事故などの遺族や消費者団体などから、消費生活関連の事故を究明する調査機関の設置がもとめられてきた。政府は、消費者庁が発足する際、事故調査機関について基本計画の中に検討課題として入れており、今後検討会では具体的に制度設計に向けて、論点を整理していく。
 

2010年8月3日火曜日

墜落した防災ヘリを取材、日本テレビ記者遭難

 7月25日、埼玉県秩父市大滝の山中で、県の防災ヘリコプター「あらかわ1」が、沢登りの途中滝つぼに落ちた女性を救助中に墜落し、ヘリに搭乗していた7人のうち5人が亡くなった。この事故の原因については運輸安全委員会の事故調査官が現地に入るなどして調査中だ。
 
 31日、この事故の取材のため、現場に入って地上から墜落した防災ヘリを撮ろうとしていた日本テレビの記者とカメラマンが遭難した。翌1日朝、墜落現場から約2キロの滝つぼで、二人が心肺停止の状態で発見された。

 現場は、標高2000m級の山々が連なる奥秩父の山中で谷は急峻で、雷雨などがあると急に水位が1,2メートルは上がるという。
 二人を案内した山岳ガイドによれば、当日、記者らはガイドと現場に行こうとしたが、ガイドに水も冷たく雲行きも怪しいのでやめましょうといわれ、一旦はガイドと出発地点に戻った。その後、二人は「機体が見える場所をさがす」といって、尾根の方を見てみたいと再び二人だけで入山したと言う。二人がどのようなルートをたどったのかまだ分からない。なぜ、尾根に登るといっていた二人が、沢で発見されることになったのかわからないが、急に沢が増水して流された可能性もあるという。
 31日は、熊谷気象台によれば現場周辺は午後3時ころから1時間に10ミリ以上の雨が観測されていたという。
 
 報道によると、日本テレビには、災害取材時などに備えた「取材安全基準」は設けているが、山岳取材に関する細かい規定はないという。山岳ガイドの方は、遭難した二人について「装備的にも技術的にも不安があったので、早くやめようと思った」と語っている。
 危険な現場で取材する際には、会社が現場と連絡を密にして経験あるガイドの情報やアドバイスを参考にして判断し、取材するかどうかの判断を現場任せにしないことが大切だと思う。

 現場に一歩でも近くたどり着き、生の映像を撮りたいと思う記者たちの気持ちはわからないでもない。しかし、本当に安全に行かれるかどうか、装備や天候など検討して、他の日に出直すことを考える余裕が会社や記者たちに必要だったのではないだろうか。

 亡くなった記者の方々を非難するような言い方になってしまって申し訳ないと思う。しかし、明るく皆から親しまれていたというカメラマンや物静かで子煩悩だったという記者の方が突然の事故で亡くなったことはやはり残念で仕方ない。同じような事故で尊い命が犠牲とならないように、報道に携わる方々には、危険な事故の現場の取材のしかたについてよく検討してほしい。
 
《参考記事》
「2人の死因は水死 天候不良で捜査中止 日テレ記者遭難」  2010年8月3日(火) 埼玉新聞
http://www.saitama-np.co.jp/news08/03/07.html

「県警、日テレ記者らの所持品回収 遺体発見現場を調査」  2010/08/03 19:20 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201008/CN2010080301000963.html

2010年8月2日月曜日

核実験の被害語るビキニ環礁が世界遺産に 

 報道によると、31日ブラジルの首都ブラジリアで開かれていた世界遺産委員会は、マーシャル諸島の「ビキニ環礁」を世界遺産(文化遺産)に登録すると決めた。

 「ビキニ環礁」などでは、冷戦時代の1946年から58年、アメリカが67回の核実験を実施した。水爆実験によるクレーターが残っている。

 遺産委員会は「ビキニ環礁は、核実験の威力を伝えるうえできわめて重要な証拠が保存されている」と指摘したうえで、「環礁はその歴史を通じて、人類が核の時代に入ったことを象徴している」と評価しているそうだ。広島の原爆ドームに続き、核兵器の惨禍を伝える文化遺産となる。

 54年に実施された水爆「ブラボー」の実験では、日本の第五福竜丸など、近海で操業していた漁船の乗組員23名も「死の灰」を浴び、被曝した。半年後に、この船の無線長だった久保山愛吉さんが亡くなっている。

  「負の遺産」こそ記憶にとどめて、二度と同じ過ちをくりかえさないようにつとめることが大切だと思う。


《参考記事》
ビキニ環礁が世界遺産に 核実験の被害語る「負の遺産」  2010年8月1日23時1分 朝日新聞
http://www.asahi.com/national/update/0801/TKY201008010235.html?ref=any

2010年8月1日日曜日

核廃絶への取り組み「政府に不満」86%

 共同通信は、5月にニューヨークで行われた核拡散防止条約(NPT)再検討会議にあわせてニューヨークを訪れた被爆者を対象にアンケートを行った。その結果、核廃絶に向けた日本政府の取り組みに不満を持つ人が86%いることが分かった。6月、原爆展などに参加した被爆者76人にアンケートを実施、66人から回答得た。

 被爆者が高齢化する中、被爆体験が継承されていくか不安を覚えている人が95%だという。
政府の核廃絶に向けた取り組みについての質問には、「取り組んできたとは言えない」が47%で「あまり取り組んできたとは言えない」が39%あった。


 5月のNPT再検討会議には、当時の鳩山由紀夫首相と岡田克也外相はいずれも出席せず、批判や落胆の声が出たという。日本が唯一の被爆国として十分な責務を果たしていないのではと思う。オバマ米大統領が「核なき世界」の構想を語る中、日本政府にも、先頭に立って核廃絶に向けた取り組みを考えてほしい。

《参考記事》
「核廃絶「政府に不満」86% 被爆者アンケート」  2010/07/31 16:59 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201007/CN2010073101000398.html