2010年12月31日金曜日

重大製品事故 再発24件

 報道によると、総務省行政評価局は、独立行政法人製品評価技術機構(経済産業省所管、以下NITEと略)が、「重大製品事故報告・公表制度」による事故原因の調査を終えてから、リコールが始まるまでに、平均57日かかり、その間に24件の事故が再発していたことがわかったと発表した。
 
 国への報告遅れや調査期間の長期化もわかったという。総務省は、リコールまでに時間がかかることが事故の再発要因と判断、年明けにも経済産業省や消費者庁に改善を勧告する予定だという。
 
 「重大製品事故報告・公表制度」は、2007年5月から始まり、国(2009年8月までは経産省、その後は消費者庁)に報告された重大事故は2009年度までで3774件に上る。NITEが原因調査にあたり、製品の欠陥が見つかれば事業者にリコールを促す制度。

 総務省行政評価局は、重大事故をおこしリコールされた103の製品のうち、51製品を抽出、事業者がリコールするまでの日数を調べたところ、事故の発生日から平均120日、NITEの調査終了からだと同57日かかっていた。その間に最初に報告されたのと同様の事故が24件起きていたこともわかったという。

 同行政評価局は、「リコール開始までの時間をできる限り短縮することで、事故の再発を少なくできる」と判断した。

 リコールまでに時間がかかる理由については、▽事業者が多額の費用を嫌がってリコールをしたがらない▽代替品や交換部品の準備が整うまでは混乱を恐れてリコールの踏みきらない―などと分析しているそうだ。
 NITEは、内部ルールで調査日数を「原則90日以下」としていたが、リコールに発展した80件について行政評価局が調べると、8割強の66件が内部ルールを超えていたこともわかった。うち、31件は181日以上調査に要していた。
 
 事故調査が長期化する背景には、事故調査にあたるNITEの職員数が事故件数に比して大きく不足していること、事業者側が事故製品の図面や材質などの報告書を出すまでに時間がかかること、製品の問題を指摘するNITEの調査結果に対して事業者が「たまたま不良品が出ただけ」と否定するなど、NITEと事業者の見解が分れるため調整に手間取ることなどがあるといわれる。

 これに対して、NITEでは、今年6月業務マニュアルを改訂し、「原則90日」としていた調査期間を「90日以内に処理する案件の割合を75%以上とし、180日以内に特別な案件を除いて全件を終える」と変更、調査に必要な資料を事業者が提出する期間も「1ヵ月以内」と、新たに定めた。

 事故調査のスタッフと予算を拡充し事故調査にかかる時間を短縮して、すみやかに事故情報を消費者に公表することがのぞまれる。

 また、消費者庁などで、事故の再発を防ぐために、調査結果が出なくとも、事故の事実を公表し、その時点で分かる範囲で消費者に使用方法などについて、注意を呼びかけてほしい。
 
《参考記事》
「リコールまで時間かかりすぎ…重大製品事故の再発24件」
2010年12月30日3時2分、朝日新聞http://www.asahi.com/national/update/1229/TKY201012290373.html

《重大製品事故》
①死亡、全治30日以上の重傷②後遺症が残る③一酸化炭素(CO)中毒④火災―を重大事故と定義し、メーカーや輸入事業者は、事故発生を知った日から10日以内に国に報告するよう義務づけられている。事業者が違反すると、1年以下の懲役、100万円以下の罰金を科すことができる。

2010年12月29日水曜日

イラク・スーダン通貨でトラブル急増~消費者庁実態調査へ

 消費者庁は、イラクやスーダンの通貨を本来のレートの何倍ものレートで買わされる被害が多発している事態を重く見て、東京都内などの13の業者に報告を求めることをきめた。

 国民生活センターや消費者生活センターなどには、昨年夏ごろから相談があり、特に今年の夏ごろからは相談が急増しているという。昨年8月からの累計相談件数は800件以上になり、特に65歳以上の高齢者からの相談が大半だという。また、契約総額は、10月末時点で、20億2千万円に達した。

 今回問題となったイラクの通貨ディナールの最近のレートは、2万5千イラクディナールが約1800円で、50スーダンポンドが約1700円だという。

 これに対して、業者は、「絶対に価値が急激に上がるから、今買えば、将来円に両替したときに儲かる」などと言って、2万5千イラクディナール紙幣1枚を10万円で売るなど、暴利で販売している。また、いつでも換金できるといっているが、実際には、担当者が今は換金できないと言って断るなど、ディナールの買い取りは行われていないことが、相談などからわかった。

 国民生活センターによれば、イラクディナールなどは、日本国内の銀行では取り扱いがないなど、取引が困難で、換金性にとぼしいという。また、将来通貨の価値があがるかどうかは不確定で、消費者が支払った金額や利益は保証されたものではないのに、「絶対もうかる」など断定して説明するのは、問題がある説明である。

 また、「劇場型」や「被害回復型」といった手口もみられるという。業者からの勧誘前後に、別の業者が「ディナールを購入すれば、それを数十倍の高値で買い取る」と消費者の投資欲をあおり契約させる(劇場型)。
 過去に未公開株の被害にあった消費者に対して「過去の未公開株を買い取るが、ディナールの購入が必要」とうたって契約させる(被害回復型)といった手口である。ふつう、知りえない未公開株購入の情報など、個人情報を知っているのはおかしいので、契約しないことが大切だ。

 消費者庁や国民生活センターは、業者が何度も家に押しかけてきて、断り切れずに契約してしまったり、少しでもおかしいと思ったら、すぐに警察や消費者生活センターなどに連絡してほしいと、注意を呼びかけている。 

《参考》
「未公開株など新たな手口による詐欺的商法にご注意!」(平成22年9月24日、消費者庁)
http://www.caa.go.jp/adjustments/index_3.html
「イラク通貨(イラクディナール)の取引に要注意!‐高齢者等をねらった新手の投資トラブル‐」
(平成22年6月22日、独立行政法人国民生活センター)
http://www.kokusen.go.jp/pdf/n-20100624_1.pdf

《参考記事》
「イラクやスーダン通貨のもうけ話、ご注意を 相談急増中」  
2010年12月22日15時0分 (朝日新聞 茂木吉信)
http://www.asahi.com/national/update/1222/TKY201012220236.html

2010年12月23日木曜日

「静人日記」(天童荒太著)の中の踏切事故

 昨年、天童荒太氏の「悼む人」が直木賞を受賞した。
 主人公坂築静人(さかつきしずと)は、亡くなった人を悼む旅を続けている。小説のはじめ、彼は何ものなのかわからない。彼が行く先々で出会うさまざまな人々との関わりを通して、次第に彼の不可解な行動の意味が明らかになっていく。

 天童氏は、小説「悼む人」を書くにあたって、主人公の「日々体験する苦悩や葛藤、喜びなどを、わが事として感得しないと、その存在を読者に伝えることは難しいだろう」と、主人公坂築静人の日記をつけることにした。

 「亡くなった人を、誰かれの区別なく、誰を愛し、誰に愛され、どんなことをして人に感謝されたか、ということを覚えつづける……悼む人。このうき世離れした人物を表現したい」と、天童氏は、一日一度、彼と同化する時間をつくることを決める。そして、報道で知りえた人や、想像上の人物を悼み、仮想の現場で起きた事柄や出会った人のことや、心にわきたつ感情を写しとるという作業を三年間つづけた。
 精神的な負担が大きく、ときには続けられるかと疑問に思ったが、夜空に光る流れ星に励まされることもあって、三年間主人公の日記を書き続けた。

 この坂築静人の日記は、当初発表する予定はなかったが、さまざまな死の有りようと遺族の一様ではないかたち、そして「静人と彼らとの出会いによるきしみなり変化なりを」読者に感じ取ってもらいたいと思い、発表することにしたという。(以上は、天童荒太著「静人日記」の「謝辞」から)

 200編余りからなる日記の中には、主人公がさまざまな死と巡り合い、人にたずねたりして、事故や事件の現場に行ったことが書かれている。2006年3月20日の日記には、ある踏切で亡くなった54歳の女性のことが書かれていた。

 その女性は、日ごろ舅の看病をしていた。脳が萎縮する病気を患った舅は、歩けなくなり、気短になり、彼女を呼んでもすぐに彼女が来ないと、怒鳴ったり、苛立って食卓の盆をひっくり返すようになった。
 舅を病院に付き添って、診察が終わり家に帰ると、舅の薬を薬局に取りに行かねばならない。いつも行く薬局は、その日、臨時休業で、彼女は遠くの薬局に行った。

 案の定、薬を手に入れるのに時間がかかった。ふだん通ったことのない踏切は、その日、電車が通らないのになかなか開かなかった。早く帰りたくて急いていた彼女は、遮断機をくぐって横断し始めた。そこへ、急行電車が来て、彼女は撥ねられた。

 ターミナル駅に近い、線路が何本も通るその踏切は、高圧線の鉄塔のせいで、見通しの悪いところがある。主人公が、踏切が開くのを待っていると、30分近く待たされた。ようやく開いた踏切を、主人公は、思いを込めて渡ったと、日記にある。

 東京の開かずの踏切でも、踏切で女性が亡くなるという事故があった。
 2005年10月12日、京浜東北線・東海道本線の大森駅蒲田駅間にある開かずの踏切で、高齢の女性一人が亡くなり、女性一人が重傷をおうという事故が起きた。人身事故のよるダイヤの乱れが原因で、1時間以上遮断機が下りた状態が続き、踏切では「こしょう」(故障)という表示が出ていた。
 JR東日本によると、踏切の故障でなくても、遮断機が30分以上下りていた場合は、自動的に「こしょう」と表示されることになっているという。そのため、なかなか開かない踏切に困惑した通行者が踏切をくぐって渡ったと見られている。

 事故当時、この表示のせいで、踏切の通行者が、踏切が故障して遮断機が開かないと誤解し、踏切を渡ったのではないかという指摘が専門家などから出され、JR東日本は踏切の表示を改善した。
 また、2006年3月東海道本線の三河大塚駅・三河三谷駅間の踏切でも同じような事故が起きたという。これらの事故を受けて、国土交通省は全国の鉄道事業者に対して「こしょう」の表示を廃止するよう指示した。

  無謀と思われた行動の裏にあった事情や、踏切が抱えていた問題に深く思いを巡らして下さった「静人日記」の作者と同じ想像力が、安全対策を担当する人にもほしい、とまではいわない。
 しかし、せめて、列車が走る現場の安全対策を、踏切を渡らなくてはならない通行者の立場からも、検討する努力をしてくださっていたら、蒲田のような事故は防げていたのではないかと、つい思ってしまう。

《参考》
「静人日記」天童荒太著、2009年文芸春秋刊

《参考記事》
「昨日のJR京浜東北線・踏切内人身事故と昨年の六本木・自動回転ドア事故の意外な接点」
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/TOPCOL_LEAF/20051013/109631/

2010年12月16日木曜日

柏崎市の第2下原踏切、警報機・遮断機設置へ

 今年、8月、柏崎市のJR越後線第2下原踏切で、近くに住む小学生(10歳)が、警報機・遮断機のない踏切で、列車に撥ねられて亡くなった。
 亡くなった児童の両親によると、事故当時、線路わきには背の高い雑草などが生い茂り踏切からは列車の来るのが見えにくかったという。また、現場は踏切手前で線路がカーブしており、踏切の路面も砂利道で、歩きにくかったかのではないかと思う。

 この事故のあと、地元の町内会長でつくる西中通地区総代会や、柏崎市や刈羽村の小中学校40校のPTA会長などがJR東日本や柏崎市などに、踏切の安全対策をもとめる要望書を提出していた。
 
 これに対して、JR東日本は、事故のあった踏切に警報機・遮断機を設置する方針を、柏崎市に示したことが、報道でわかった。
 報道によると、柏崎市は、10日、総代会に対する説明会を開き、JR東が事故のあった第2下原踏切を第1種に改善するとともに、この踏切内への車両の進入を禁止することや小学校近くにある第4種踏切を廃止したいといっていることを説明したという。
 柏崎市は、地区やJR東と協議を重ね、今年度中に合意を目指したい考えだという。

 亡くなった小学生のお父さんは、「また同じような事故が起きるのではないかと不安だった。一歩前進してうれしい」と話しているという。
 
 二度と同じような踏切事故が起きないよう、市やJR東には、さまざまな安全対策に早急に取り組んでほしいと思う。
 

《参考》
事故のあった踏切については、当ブログの以下の記事を参照してください。
「踏切事故の現場をたずねて~新潟県柏崎市JR越後線第2下原踏切」
http://tomosibi.blogspot.com/2010/11/2.html

《参考記事》
「遮断機設置へ/小5事故死した柏崎の踏切 」   2010年12月14日 (富田洸平)
http://mytown.asahi.com/niigata/news.php?k_id=16000001012140005

2010年12月13日月曜日

解体現場、死亡事故が後絶たず

 今年、10月14日、岐阜市で、金属加工会社の工場の解体工事中、高さ11m、幅約18mの壁が現場前の道路に倒壊し、自転車で通りかかった女子高校生(17歳)の真上に倒れ、高校生が壁の下敷きになって亡くなった。

 報道によると、工事を請け負った岐阜市の解体業者は、壁が道路側に倒れないように固定するワイヤーを張らずに作業していたとされ、労働安全衛生法で作業主任を配置することが義務付けられているのに配置していなかったという。

 全国解体工業団体連合会によると、2008年の解体現場での死亡事故は、前年よりも11件増えて42件となった。建設業全体の死亡事故はピーク時の2004年から2008年までに3割近く減っているのに、解体絡みの死亡事故はが逆に2割増えているという。
 
 2003年には、富士市で解体中のビルの壁が崩れ落ち、通行人ら4人が死亡2名が負傷するという事故がおきている。国土交通省は、この事故を受けて解体工事の事故防止対策のためのガイドラインを策定したが、強制力はない。

 最近は、公共事業が減ったり、景気が低迷するなど、解体工事のコストを削減するよう業者は求められており、手抜き工事で利益を出そうとする業者もいるという。
 また、1960年代から70年代の高度経済成長期に建てられた建築物の取り壊しや建て替えが今後、増えると考えられており、解体作業も増えると思われる。

 これらの建物は、後から増改築を重ね、構造が複雑になっているものが多いという。そのため、解体工事も難しくなってくる。解体時には、安全性への配慮と、計画的な作業が求められることになる。

 専門家は、解体は壊すだけと軽く見られがちだが、作業や安全管理を怠らないよう、法整備も検討すべきだと指摘している。
 
 解体作業にあたる業者には、突然の事故によって何の罪もない通行者が犠牲になることのないよう、十分な安全対策をとってほしい、そして国交省には事故を防止するために強制力のある法の整備をすすめてほしいものだと思う。

 最後になりましたが、亡くなられた女子高校生のご冥福を祈ります。
 
《参考》
国土交通省
「建築物の解体工事における外壁の崩落等による公衆災害防止対策に関するガイドラインについて」(平成15年7月3日)
http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha03/01/010703_.html
《参考記事》
「建物解体現場の死亡事故続発 業者、コスト優先で穴 」  2010/12/6 0:49 日本経済新聞電子版 http://www.nikkei.com/news/latest/article/g=96958A9C93819695E2E0E2E1E68DE2E7E3E0E0E2E3E29191E3E2E2E2

2010年12月8日水曜日

踏切事故の現場をたずねて~秩父鉄道持田24号踏切と桜町踏切

 今年9月8日、埼玉県熊谷市にある秩父鉄道持田24号踏切では、大学生が自転車で渡っていたところ、列車に撥ねられるという事故が起きた。ここは事故当時、警報機や遮断機がなく、踏切の標識と、踏切入口にポールが3本立っているだけだった。

 事故当時の状況はよくわかっていないが、大学生は当時携帯音楽プレイヤーをしていたとみられ、踏切を渡る人のあとについて続いてわたり、列車に撥ねられたという。事故当時は重体で、いまだに意識がもどらない状況だと伝え聞く。
 イヤホンをつけていても、警報機の音は大きいので、よほどでなければ聞こえると思うし、点灯する警報機の赤ランプがあれば、目でわかる。持田踏切が警報機や遮断機もない踏切であることが事故を引き起こしているといえるのではないか。
 その後、事故のあった持田24号踏切は、廃止が決まり、年内にはガードレールなどを設置して入れないようにするという。

 現在は、木杭を立てワイヤーをかけて、踏切内に人が入れないようになっている。

(持田24号踏切 2010年12月8日撮影)
  この踏切の右には、大きな建物があり、踏切停止線に立たないと列車が来るのが見えない。
(持田24号踏切 2010年12月8日撮影)

 持田24号踏切のすぐ駅寄りには、踏切~見えるところに第1種の踏切がある。しかし、付近の住民の人たちは、第4種の方が近道で車両も通らないので、持田24号踏切を渡る人も多いと聞く。
 しかし、踏切道の路面を見ると、レールとレールの間に陥没した所があり、自転車のタイヤがはさまったり、足がかかってつまづいたりしないかと気になる。(下の写真)
(持田24号踏切の路面  2010年12月8日撮影)
一方、2009年12月と、2008年9月に死亡事故があった東行田にある桜町踏切(東行田第5踏切)は、住民へのアンケートの結果、存続が決まり、今年度中には警報機と遮断機が設置され、第1種に改善されるということが決まった。
 
(桜町踏切(東行田5号踏切) 2010年12月8日撮影)
桜町踏切では、1年余りのうちに、中学生が亡くなる事故と、幼いお子さんが線路内に入って亡くなる事故が起きており、踏切の安全対策がもとめられていた。

 そのため、この夏、秩父鉄道は事故のあった踏切や人通りの多い第4種踏切21か所に、音声で注意をうながす装置を設置した。2mほどの鉄柱の先に音声装置がついている。(下の写真)
 踏切入口に人が来ると、センサーが働き、音声で、「危ない。踏切では止まって、右、左を確認してから渡りましょう」と注意を促す。又、桜町踏切では、ポールのほかに、U字型の柵も設置され、自転車などがすぐに入れないようにしている。
 
(桜町踏切の音声装置 2010年12月8日撮影)
  桜町踏切から、列車の来た方を見ると、第1種踏切が見え、線路が緩くカーブしているのが見える。冬のせいか、木々の葉も落ち雑草が枯れているため、線路の周辺が明るく感じた。
 私が、2008年10月にはじめて、桜町踏切に来たときは、もっと雑草が青くしげり、線路のカーブもよく見えず、見通しが悪いのではないかと思った。
(桜町踏切から列車のきた方を見る 2010年12月8日撮影)

(桜町踏切から列車の来た方を見る 2008年10月9日撮影)

 踏切事故を減らすためには、小さな子どもや児童たちには、ただ注意を促す看板を増やすのではなく、具体的にどんな点に注意をしたらよいか指示してほしいものである。
 踏切から列車が見えていても、どの程度踏切から離れているのか、大きなものは距離感がわかりにくいとヒューマンエラーの専門家は指摘する。警報機や遮断機もない踏切では、大人は、具体的に、どのあたりに列車がみえていたらもう渡るのは危険だから踏切内に入らないほうがよいなどと、具体的に教えるべきだ。
 
 また、踏切を第1種にすれば、安全対策が万全かといえばそうではないと思う。スピードがあり重量の大きな列車が通過する踏切や線路そのものが危険なところなのだから、踏切そのものをなくすための根本的な解決(高架化や地下化など)を目指しながら、当面できる踏切保安設備の設置や線路内に入れないように柵を設けるなどの安全対策をつみ重ねていくべきではないかと思う。

 最後になりましたが、事故に遭われた大学生が一刻も早く回復されることを祈ります。

《参考記事を追加:12月9日》
「東行田第5踏切:連続死亡事故 遮断機・警報機を設置 秩父鉄道、年内着工 /埼玉」
http://mainichi.jp/area/saitama/news/20101209ddlk11040298000c.html

2010年12月6日月曜日

秩父鉄道桜町踏切の事故から1年~幼い子どもの事故

  2009年12月6日午後、埼玉県行田市の秩父鉄道桜町踏切で、電車好きのお子さんが線路内に入り、列車にはねられて亡くなった。この桜町踏切は警報機、遮断機がなく、2008年9月にも、中学校に行く途中の中学生が、急行列車にはねられて亡くなっていた。

 この12月6日の夜、私は、踏切で息子さんを亡くした方と電話で話をしていた。昼間、踏切で幼い子が亡くなったことを知らなかった私たちは、久しぶりに電話したので、お互いの近況などを語り合っていた。
 翌日、報道で、秩父鉄道の踏切でまた事故がおきたことを知って、やり切れない思いになった。
1年余りのうちに、同じ踏切でまた幼い子供の命が奪われたことに、憤りさえ感じた。

 事故当時、秩父鉄道に問い合わせたところによれば、2008年9月の事故後、踏切には警報機などをつける対策はとられておらず、行田市と対策を検討中だったという。

 以前にもこのブログで、2008年9月の事故の後、桜町踏切をたずねたことを書いたが、踏切の付近は宅地化が進み、事故のあった踏切は住民や小中学生が日ごろよく通る踏切である。
(「踏切事故の現場をたずねて」 http://tomosibi.blogspot.com/2009/06/blog-post.html

 秩父鉄道ができたころの環境とちがい、付近の交通量も住民もふえているはずである。鉄道の周辺の環境の変化に応じた対策がもとめらているはずなのに、人が亡くなる事故が起きても、事業者は踏切を渡る人の責任にして再発防止策をとらないから、また事故が起きるのではないだろうか。

 同じような事故を繰り返さないための対策を検討し、迅速に実行することが、亡くなった人の命を無駄にしないことだと思う。
 
 最後になりましたが、一周忌に、あらためて亡くなったお子さんらのご冥福を祈りたいと思います。