2011年4月28日木曜日

小中高生536人が死亡・行方不明~東日本大震災

報道によると、27日、岩手、宮城、福島の3県の教育委員会は、東日本大震災で亡くなったり行方不明になっている児童生徒が、合計536人に上ると発表した。
岩手、宮城、福島の3県では、国公私立の小中高の児童生徒が亡くなったり行方不明となっている。亡くなったのは378人、行方不明になっているのは158人にのぼる。3県の学齢別は小学生234人、中学生111人、高校生191人。

子供らは、赤や黒のランドセルをしょって、学期末だから学校から絵具箱や習字道具箱などを家に持ち帰るつもりだったのだろう。持ち主の子供と離れ離れになったそれらの写真を見ると、小さなこどもたちには、押し寄せてくる黒い波が、どんなにかこわかっただろうと、胸が痛む。
亡くなった小さな子供たちが、どうか安らかに…と祈らずにいられない。

3県の教育委員会によると、亡くなった児童生徒のほとんどは、下校途中や下校後に自宅などにいて津波に遭っているという。

3県の教委によると、地震があった3月11日午後2時46分は、授業や帰りの準備で生徒が在校中の学校が多かった。担当者や学校関係者は、「校内に残っていて、上階に避難した学校では、被害を免れるケースが多かった」と指摘している。
一方、3月のこのころは、短縮授業の期間で、先に下校していた低学年の児童が被害に遭っていることから、児童生徒に、時間があればより高い所に避難することを子供に教える必要があると指摘する専門家もいる。

高台へ避難する途中で津波の被害に遭った小学校もある。どこへどのように避難したらよいかは難しいと思う。日ごろから、学校関係者や地域の住民がいっしょに避難方法などを検討し、実際に訓練することが必要だと思う。

《参考記事》
「小中高生536人が死亡・不明 被災3県、大多数は下校後」 2011/04/27 23:47 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201104/CN2011042701000918.html

2011年4月23日土曜日

事故現場付近を歩くメモリアルウオーク~福知山線脱線事故から6年を前に

 4月25日、乗客106名が犠牲になったJR福知山線脱線事故から、丸6年を迎える。
 報道によると、事故の被害者や家族らでつくる「負傷者と家族等の会」は、23日、兵庫県尼崎市の事故現場付近を歩く「メモリアルウォーク2011」を開いた。参加者約30人は、犠牲者の冥福と事故の再発防止を祈った。

 今年は昨年に続き2回目で、参加者はJR塚口駅近くの公園を出発、尼崎駅までの約3㎞の道のりを歩いた。事故現場では、献花台に花を供えた。同会の中島正人さんは事故を風化させないため、このような催しを続けることが大切と語ったという。

 負傷者や遺族の方にとって、脱線した列車が走った線路わきを歩くことはとても辛いことであるにちがいない。しかし、事故を風化させず二度と同じような事故をおこさないでほしいという願いは、福知山線周辺に住む人や働く人、鉄道や社会の安全を願う人々と共有することで、きっとかなえられるにちがいない。
 
 そして、多くの尊い命の犠牲を無駄にしないため、事業者や行政など公共交通に関わる方々には、事故の原因調査を徹底して行い、事故の再発防止策を的確に講じてほしい。

《参考記事》
「福知山線脱線事故でウオーク 震災支援の募金活動も…丸6年を前に」
(2011年4月23日 読売新聞)
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20110423-OYO1T00473.htm?from=newslist

2011年4月18日月曜日

運輸安全委員会のあり方についての提言を提出~検証メンバー

  2009年9月25日、福知山線列車脱線事故の調査にたずさわっていた航空・鉄道事故調査委員会の委員(当時)が、JR西日本の山崎正夫社長(当時)らから、報告書の調査情報をもとめられ情報を漏洩させていたことがわかった。また、作成中の事故調査報告書の記述について、山崎社長から書き換えを依頼され、委員は委員会審議で、書き換えをもとめる発言をしていたことなどの不祥事がわかった。
 これにより、福知山線脱線事故の「鉄道事故調査報告書」だけでなく、運輸安全委員会の事故調査に対する国民の信頼が大きく損なわれることとにもなった。

 2009年12月、運輸安全委員会は、この問題を調査し報告書を検証するため、有識者や脱線事故の被害者らからなる事故調査報告書の検証チームを設置、今年4月15日、最終会合を開いた。
 最終会合では、いままでの検証結果と今後の事故調査のありかたへの提言をまとめ、大畠章宏国土交通大臣に手渡した。

 検証チームには、脱線事故の遺族や負傷者の家族ら7人が参加、有識者や運輸安全委員会の委員と、1年以上にわたり検討を重ねてきた。
 報道によると、負傷者と負傷者の家族の会の中島正人さん(47)は、1年以上にわたった検証作業を振り返って、「社会的な財産になるような結果が出せたのではないか」と話したという。

 多くのかけがえのない命を無駄にしないための事故調査のありかたを、今後も、ぜひ継続して検討していってほしい。それが、公共交通に携わる事業者や安全で安心な社会の仕組みを考える方々の大切な仕事だと思う。

提言では、
①事故調査の透明性を確保するため、運輸安全委員会が情報公開を進めること。
②事故の当事者である被害者へ可能な限り情報提供を行い、事故調査報告書をわかりやすいものにすること。また、被害者ならではの気づき等を調査に反映させる仕組みを検討すること。
③事故調査関係資料が再発防止に役立てるために、事故調査報告書の作成のために使用された資料を求めに応じて公開すること。
④直接的、工学的な原因だけでなく、事故の背景にある原因関係事業者の組織や安全文化の在り方等にも踏みこんだ調査を行うなど、事故調査の充実をはかること。
⑤事故調査は再発防止を目的としており、原因関係者から事実にそくした口述を得るためには、刑事責任の追及を目的とした警察・検察の捜査から明確に独立させることが必要となる。そのため、現行の鑑定嘱託のあり方を見直すこと。
⑥社会に信頼され、国民の支持を得る事故調査機関となるため、事故調査能力を向上させることが必要。そのため、予算や人員の確保をすることなどが盛り込まれた。

《参考》
福知山線列車脱線事故調査報告書に関わる検証メンバーによる提言は
国土交通省運輸安全委員会ホームページ
「JR西日本福知山線事故調査に関わる不祥事問題の検証と事故調査システムの改革に関する提言(案)」(全体版)【4月19日追加】
http://www.mlit.go.jp/jtsb/fukuchiyama/kensyou/fu04-shiryou1-20110415.pdf
「運輸安全委員会の今後のあり方についての提言(案)-運輸事故の再発を防止し、より安全な社会を構築するために-」 
http://www.mlit.go.jp/jtsb/fukuchiyama/kensyou/fu04-shiryou3-20110415.pdf

《参考》
運輸安全委員会の漏洩問題については、当ブログでもとりあげた
「運輸安全委を公正・中立な調査を行える事故調査機関に」
http://tomosibi.blogspot.com/2009/09/jrmo.html

《参考記事》
「運輸安全委、尼崎脱線事故で検証結果を提出 」 2011/4/15 22:55  日本経済新聞
http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819695E3E7E2E1E48DE3E7E2E6E0E2E3E39191E3E2E2E2;at=DGXZZO0195583008122009000000

2011年4月14日木曜日

電動車いす踏切事故から2年~白倉踏切、非常ボタン設置へ

 2009年4月13日、高知県佐川町の白倉踏切で、電動車いすに乗って踏切を渡ろうとしていた女性(86歳)が、踏切内に取り残されて、特急列車に撥ねられて亡くなってから2年がたった。

 2009年、亡くなった女性の遺族は、JR四国に安全対策をもとめて民事裁判を提訴した。
 裁判では、
○事故のあった白倉踏切は、付近の他の踏切にくらべて警報機が鳴りだしてから遮断機が降りるまでの時間が短いこと
○踏切に取り残された場合に、下りている遮断機を電動車いすで押し破って脱出するのは不可能なのに、踏切内の非常事態を列車の運転士に知らせる非常ボタンが設置されていないなど、踏切の設備に不備があったことなどが争われた。

 昨年2010年9月、女性の遺族はJR四国と和解したが、その際に、高知地方裁判所の裁判長は、JR四国に対して非常ボタンの設置を要望した。JR四国は「付けるかどうかも含め検討する」と述べるにとどめていた。
 報道によると、今年2011年4月、JR四国は白倉踏切に非常ボタンの設置を決定、平成23年度の早いうちに設置されるという。
 和解から半年、ようやく事故のあった踏切に非常ボタンが設置される。それで安全対策が万全とはいえないかもしれないが、すこしでも安全な踏切に近づいたことで、踏切を利用する方が安心して通行できれば…と思う。

 亡くなった女性の遺族は、「非常ボタンが設置されることはよいことだが、この踏切事故が事故調査されていないことが残念だ」という。事故の調査をして、原因を調べることで、事故をなくすのにふさわしい安全対策が出てくるはずだと語っていた。
 鉄道会社や事故調査をする機関には、踏切に残っていた通行人が悪いと決めつけずに、なぜそうなったのか、十分調査して事故の再発防止策を検討してほしいと思う。

《参考》 白倉踏切については、当ブログ
「踏切事故の現場をたずねて~高知県佐川町白倉踏切」
http://tomosibi.blogspot.com/2010/04/blog-post_26.html

《参考記事》
「佐川の車いす女性踏切事故死:事故から2年 白倉踏切、非常ボタン設置へ」
毎日新聞 4月13日(水)16時36分配信 
http://mainichi.jp/area/kochi/news/20110413ddlk39040529000c.html

2011年4月11日月曜日

東日本大震災の犠牲者、過半数がお年寄り

 東北や関東を襲った地震と津波から一か月がたった。いまだに安否の確認できない方がたが1万3千人以上にのぼり、亡くなった方と合わせると2万6848人になるという。
  
 新聞で亡くなった方がたのお名前と年齢を見ると、お年寄りの方が多い。昼間、お年寄りだけで暮らしている方が多いのだろうか、足腰の弱ったお年寄りには、津波が押し寄せてくるのが早くて逃げ遅れたのだろうかと、考えていた。

 9日、朝日新聞が、死亡が確認された方のうち年齢がわかる方がたを調べた結果、65歳以上の方が55.4%を占めることが分かった。

 報道によると、朝日新聞は、12都道県の警察が把握している死者のうち、年齢が分かった7935人(4月7日)についてまとめた。その結果、65歳以上の高齢者は4398人で、亡くなった方々のうちの
約55%を占めていた。
 65歳以上の方々が人口に占める割合は、岩手県・宮城県・福島県の3県とも22~27%だというから、高齢者の方がたが被災した割合が大きいことがわかる。
 又、死因は、検視をした監察医によると、ほとんどが水死か津波によって瓦礫とともに流されたことによる多発性外傷だという。逃げる途中で津波に巻き込まれたり、付き添いがいないために逃げられない人が多かったのではないかといわれている。

 0~18歳の死者は531人で、全体の6.7%をしめ、3県の7~18歳の子どもが県の人口に占める割合はいずれも11~12%程度で、人口構成上、被災の割合は低いといわれている。平日の午後2時46分だったため、子供が下校前の学校が多く、地震発生後、学校で教師が近くの高台や屋上に避難するよう誘導したりして助かったケースもあるという。
 
 学校の場合のように、避難誘導を迅速に行えば助かることもある。
 足腰や目の悪くなったお年寄りと誰がどこへどう避難するのか、地域の防災対策や地域のつながりをもとにした対策が必要になっている。

《参考記事》
「震災死者、過半数が高齢者 津波から逃げ遅れか」 2011年4月9日23時1分 朝日新聞
http://www.asahi.com/national/update/0409/TKY201104090357.html?ref=any
「2時46分、被災地に祈り 死亡・不明2万6848人」2011/04/11 21:09 【共同通信】

http://www.47news.jp/CN/201104/CN2011041101000008.html  

2011年4月7日木曜日

JR福知山線列車事故から6年~「追悼と安全のつどい」

 今年は、乗客・乗員107名が亡くなったJR福知山線脱線事故から6年、七回忌を迎える。4月25日には、「追悼と安全のつどい」が開催される。

 1昨年から始められた事故の遺族とJR西日本との「課題検討会」も、報告書がまとめられる段階となり、今回のつどいでその成果が報告されることになった。

 また、昨年12月には、山崎前社長の刑事裁判が始まり、すでに14回の公判が開かれている。検察審査会により、強制起訴となった歴代3社長の裁判は、公判前整理手続きの段階に入っている。

 今年のつどいでは、作家の柳田邦男氏の講演やJR西日本からの報告も予定されている。詳細は案内を参照。


 



 

2011年4月3日日曜日

あしなが育英会、東日本大震災で緊急対応措置

 あしなが育英会は、3月22日、東日本大地震・津波で親を失った0歳から大学院生までに「特別一時金」の支給を決定した。同会は、病気や災害、自死(自殺)で親を亡くした子どもたちを物心両面で支える民間の非営利団体で、遺児の進学支援のため、奨学金を貸し出すなどしている。

 報道によると、今回の東日本を襲った大地震で、保護者が亡くなるか行方不明になり、「あしなが育英会」に、返済の必要のない特別一時金の給付を申し込んできた子どもは、86人に上ることが分かった。うち15人は両親をともに失ったという。同会は、今回の震災の被害で、遺児がさらに増えるとみて、職員を被災地に派遣し、実態の把握につとめているという。

 特別一時金を申し込んだ86人の内訳は、小学生21人、中学生10人、高校生25人、大学生・専門学校生23人で、就学前の子も3人いた。また、父親を失った子供は54人、母親を失った子供は10人にのぼった。

 両親ともに亡くした15人の子供のうち、最も多いのは高校生で7人、大学生・専門学校生は6人、小学生が2人だという。

 特別一時金は、未就学児10万円、小中学生20万円、高校生30万円、大学・専門学校・大学院生は40万円を給付。
 同会は「地震発生が平日の昼間だったため親と離れて学校にいた子供が多く、遺児がかなり増える可能性がある」と考え、給付金制度を設けた。40年以上になる同会の遺児支援・あしなが運動で初の措置となる。

 同会は、一時金を申し込んだ宮城、岩手両県の8家庭を訪問、子供の置かれた状況も調べた。 父親を津波で亡くし、母親と子ども2人が残された家庭や、高校生の兄妹だけ残され避難所を転々としてやっと会えたという家庭もある。
 家や家財が流され、遺児たちは勉強道具も失って新学期を迎えるのも容易ではない。学びたいという遺児たちの願いをかなえることができるよう、各種の奨学金をはじめ、各方面からの支援策をのぞみたい。 

《参考》
「東日本大地震・津波への緊急対応措置について」 あしなが育英会
http://d.hatena.ne.jp/ashinagaikueikai/20110322/1300868171

「震災遺児86人を把握 あしなが育英会、特別一時金給付へ」
http://www.nikkei.com/news/article/g=96958A9C93819695E2E3E2E6948DE2E0E2E6E0E2E3E39191E2E2E2E2?n_cid=DSANY001

2011年4月2日土曜日

東日本を襲った地震と津波のこと

 今回の地震に遭い、亡くなられた方々のご冥福をいのります。
 また、大きな被害に遭われた方がた、そのご家族、友人の皆さまには、心よりお見舞いを申しあげます。
 そして、行方が分からずにいる方々が一刻も早く、ご家族のもとに帰れますよう、お祈りいたします。

 また、食料や睡眠も十分でない中、毎日、被災地の復旧や被災された方の救助、救援のために休む間もなく、お仕事をされている自治体職員はじめ、自衛隊、消防隊、医療関係者など、関係者の皆さまに、心から敬意を表します。

*・。*・。*・。*・。*・。*・。*・。*・。*・。*・。*・。*・。*・。*

 3月11日の東日本を襲った地震から3週間あまりがたちました。

今までに、こんなに言葉にするのが辛くなるほど、胸が苦しくなることはありませんでした。
テレビやニュースで、被災した現地の町や村の映像を見ていると、
息をするのも苦しいくらい、胸がしめつけられます。

夜行列車に乗って、朝仙台に着き、青い海を見に行ったのは、遠い日のことです。
遊覧船に乗って、美しい海の島々の間をめぐりました。

その美しい海に、あんなに大きな力が隠されていようとは…

かつてテレビや雑誌で見たり、旅行で行ったことのある町や村が、
一瞬のうちに、大きな波に襲われ、破壊されようとは…

ひとつの屋根の下で、柱につかまって、流されまいとしていた人がいました。
木にしがみついて、波にさらわれまいとしていたお年寄りがいました。
介護していたお年寄りを助けようと手をのばしていた人がいました。
たくさんの子どもたちを両手で抱えて、津波から守ろうとしていた先生がいました。
子どもをおぶって高台へ避難しようと、力いっぱい走っていた母がいました。
車に寝たきりの老いた母親を乗せて避難しようとしていた娘がいました。
町の人々を避難させようと、半鐘を鳴らし続けた人がいました。

きっと妻や子どもにやさしい父親だった人や、
生まれてくる子どもに会うのを楽しみにしていた若い母親や、
ひざにのって甘えてくる孫にやさしかったお年寄りや、
住民の生活をまもろうと、町づくりや防災に力を尽くしていた村や町の職員の方々を、
つつましく、静かに、そして誰にも迷惑をかけないようにと、
誠実に生きていたにちがいない人たちのかけがえのない命と生活を、
想像もできないくらい、大きな津波が奪いました。

あれから3週間がたちました。
けれども、いまだに、行方の分からない人が大勢います。
瓦礫の山をそーっと、ていねいにかきわけて、大切な身内がいないかと
探して回る人たちがいます。

家族と別れ別れになった人が、一刻も早く大切な人たちと再会し、抱き合って喜べるように、
一刻も早く、大切な人を見つけ出して、温めてあげられるように、
被災して家を失った人たちに、温かなたべものと衣服がいきわたるように、
子どもたちに、学べる教室と走り回れる運動場が確保されるように、
病を抱えた人に十分な医薬品と治療がいきわたりますように…と

遠くから、ずっと祈っています。
私に何ができるかと問いながら…