2011年4月2日土曜日

東日本を襲った地震と津波のこと

 今回の地震に遭い、亡くなられた方々のご冥福をいのります。
 また、大きな被害に遭われた方がた、そのご家族、友人の皆さまには、心よりお見舞いを申しあげます。
 そして、行方が分からずにいる方々が一刻も早く、ご家族のもとに帰れますよう、お祈りいたします。

 また、食料や睡眠も十分でない中、毎日、被災地の復旧や被災された方の救助、救援のために休む間もなく、お仕事をされている自治体職員はじめ、自衛隊、消防隊、医療関係者など、関係者の皆さまに、心から敬意を表します。

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 3月11日の東日本を襲った地震から3週間あまりがたちました。

今までに、こんなに言葉にするのが辛くなるほど、胸が苦しくなることはありませんでした。
テレビやニュースで、被災した現地の町や村の映像を見ていると、
息をするのも苦しいくらい、胸がしめつけられます。

夜行列車に乗って、朝仙台に着き、青い海を見に行ったのは、遠い日のことです。
遊覧船に乗って、美しい海の島々の間をめぐりました。

その美しい海に、あんなに大きな力が隠されていようとは…

かつてテレビや雑誌で見たり、旅行で行ったことのある町や村が、
一瞬のうちに、大きな波に襲われ、破壊されようとは…

ひとつの屋根の下で、柱につかまって、流されまいとしていた人がいました。
木にしがみついて、波にさらわれまいとしていたお年寄りがいました。
介護していたお年寄りを助けようと手をのばしていた人がいました。
たくさんの子どもたちを両手で抱えて、津波から守ろうとしていた先生がいました。
子どもをおぶって高台へ避難しようと、力いっぱい走っていた母がいました。
車に寝たきりの老いた母親を乗せて避難しようとしていた娘がいました。
町の人々を避難させようと、半鐘を鳴らし続けた人がいました。

きっと妻や子どもにやさしい父親だった人や、
生まれてくる子どもに会うのを楽しみにしていた若い母親や、
ひざにのって甘えてくる孫にやさしかったお年寄りや、
住民の生活をまもろうと、町づくりや防災に力を尽くしていた村や町の職員の方々を、
つつましく、静かに、そして誰にも迷惑をかけないようにと、
誠実に生きていたにちがいない人たちのかけがえのない命と生活を、
想像もできないくらい、大きな津波が奪いました。

あれから3週間がたちました。
けれども、いまだに、行方の分からない人が大勢います。
瓦礫の山をそーっと、ていねいにかきわけて、大切な身内がいないかと
探して回る人たちがいます。

家族と別れ別れになった人が、一刻も早く大切な人たちと再会し、抱き合って喜べるように、
一刻も早く、大切な人を見つけ出して、温めてあげられるように、
被災して家を失った人たちに、温かなたべものと衣服がいきわたるように、
子どもたちに、学べる教室と走り回れる運動場が確保されるように、
病を抱えた人に十分な医薬品と治療がいきわたりますように…と

遠くから、ずっと祈っています。
私に何ができるかと問いながら…

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