2014年10月20日月曜日

車いすで踏切を渡る怖さ

 小児がんの治療から、車いすの生活を送ることになった樋口彩夏さんが、踏切を車いすで渡るのがいかに怖いか、彼女の経験を書いてくださった。

 彼女は新聞のコラムで
私はできることなら、踏切を通りたくありません。車いすのタイヤが線路にはまって動けなくなるという、怖い思い出があるからです。」と書いている。
 梅雨の真っただ中のある日、彼女は手でこぐ自転車・ハイドバイクの練習へ出かけた。そこで、同じ境遇の人たちとおしゃべりをするのが楽しみで、彼女にとっては、両下肢麻痺特有の悩みを打ち明けられる唯一の場なのだという。

 目的地までは、自宅の最寄り駅から急行電車で8駅を30分、そこから先は車いすをこいで15分という道のりだが、途中に唯一の難所である踏切がある。
 厄介なのが、レールの溝だという。この溝に車いすの前輪(小さいほうのタイヤ)がはさまらないように、前輪を浮かせたまま、後輪だけで前に進まなければならない(以下:ウィリーと略)。

 樋口さんが電車から降りて、踏切を渡ろうとすると小雨が降ってきた。車いすの操作で手がふさがるため、樋口さんは傘をささない。踏切を渡りはじめ、2本ある線路のうち、最初の1本は2回のウィリーで難なくクリアした。
 樋口さんが、2本目にさしかかったとき、雨に濡れたハンドリム(車いすをこぐところ)から手がすべって、ウィリーを失敗した。 前輪がレールの溝にはまって、身動きがとれなくなってしまった。

 その直後に、けたたましい踏切の警報音が聞こえてきた。見る見るうちに遮断機も降りてしまった。
 その時、踏切の向こうから、通りかかった女性が、踏切脇の緊急停止ボタンを押してくれた。女性が押したのと同時くらいに、電車は駅のホームに停車した。運よく、電車はもより駅に停車する急行だった。
2013年8月2日、車いすに乗って踏切を渡っていた男性が
踏切内に取り残されて、電車に撥ねられて亡くなった。
障害物検知器は、男性を検知しなかった。
神戸市北区、神戸電鉄田尾寺駅~二郎駅間にある踏切
2014年9月28日撮影
樋口さんは踏切から出られて、事なきをえた。しかし、迫りくる電車を前に、逃げることも助けを求めることもできず、恐怖に苛まれながら亡くなっていった人々もいることを思うと、胸が痛むという。
 樋口さんは、自分の経験したことは、踏切と車いすの物理的な相性の悪さに、気の緩みが加わって招いたことで、自分が細心の注意を払ってさえいれば、防げたことかもしれないという。しかし、では、それが車いすが関連した踏切事故すべてに通ずるかと言えば、それは間違いだと指摘する。
 
 
 樋口さんは、警報音が鳴る時間が短く、車いすで渡りきれないなど、当人ではどうしようもない事情を抱える踏切も存在しているのが現状だと指摘する。

 踏切を通行する人の注意だけでは解決できない問題を抱えているのが、今の踏切だ。そういう問題を解決するのが、道路を管理する自治体や踏切の保安設備を整備する事業者ではないのか。
 新聞やニュースで、車いすや電動車いすが関係する事故が目につく。一歩間違えば自分も同じような事故になったかもしれないと、樋口さんは思う。そして、踏切でもう、これ以上悲惨な事故が起きないようにと願っている。

≪参考記事≫
「車いすで踏切を渡る怖さ」樋口彩夏(ひぐちあやか) 2014年7月15日朝日新聞アピタル
http://apital.asahi.com/article/ayaka/2014071500007.html


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