2017年11月29日水曜日

東急田園都市線 男性の白杖をはさんで発車

    報道によると、11月17日、東急田園都市線の二子玉川駅(東京都世田谷区)で、視覚障害のある男性が持っていた白杖(はくじょう)を挟んだまま、電車が発車していたことがわかった。男性は白杖を手放したため、けがはなかったが、白杖は折れたという。

   報道によると、17日午後4時45分ごろ、駅ホームにいた視覚障害者の男性が、白杖の一部を車内に入れ、車両内にいた乗客に「この電車は各駅停車か急行か」と尋ねたところ、乗客の返事がなかったため、男性は乗るのをあきらめてドアから離れた際、ドアが閉まったという。この停車していた押上発中央林間行き下り電車は、男性の白杖を挟んだまま、次の二子新地駅(川崎市)まで運行された。
 当時、車掌はモニターで男性が車両から離れるのを確認したが、白杖が細くて見えなかった。また、ドアに物が挟まったことを感知するセンサーも反応しなかったという。二子玉川駅には、今年度中にホームドアを設置する予定だという。東急電鉄は「ホームドアを設置するだけでなく、社員教育を徹底して再発防止に努めたい」としている。

 駅のホームは、視覚障害者の方のとっては、「欄干のない橋」と同じだという。点字ブロックが設置されているとはいえ、人にぶつかったりすると方向がわからなくなったりするという。狭くて危険なホームが多く、転落事故も後をたたない。一刻も早くホームドアを設置してほしいものだ。

<参考記事>
「田園都市線が白杖はさみ発車 男性けがなし」毎日新聞2017年11月29日東京朝刊
https://mainichi.jp/articles/20171129/ddm/041/040/119000c

東京・芝のエレベーター事故 遺族がシンドラー社と和解

 東京都港区のマンションで、2006年6月3日、都立高2年の市川大輔(ひろすけ)さん(当時16歳)が、戸が開いたまま上昇したエレベーターに挟まれて死亡した事故から11年がたった。
 11月24日、大輔さんの遺族が製造元の「シンドラーエレベータ」(中央区)などに損害賠償を求めた訴訟は、東京地裁(岡崎克彦裁判長)で和解が成立した。

 報道によると、マンションを所有する港区や、エレベーターの保守管理会社「エス・イー・シーエレベーター」(台東区)などが遺族と和解した。
 和解は、シンドラー社や港区などが遺族に「深い遺憾の意」を示し和解金を支払う内容だという。再発防止に向けた取り組みの確約も盛り込まれ、和解金の一部は、遺族や支援者らが事故の再発防止活動を続けるための基金の創設に充てられる。また、港区が所有・管理する全エレベーターに事故防止装置を取り付けることも約束された。

 報道によると、亡くなった大輔さんの母・市川正子さんは
「賠償を受けるだけの判決ではなく息子の命を安全に生かす道を選んだ。安全項目の実行を約束させたことに意味がある。」と語った。
  市川さんらの訴えで、建築基準法施行令が改正され、エレベーターの扉が開いた状態で昇降した場合に機能する補助ブレーキの設置がメーカーに義務付けられた。
 しかし、市川さんは、施行令改正前に設置されたエレベータ70万台には、補助ブレーキ設置が義務付けられていないため、再発防止のための安全対策は十分ではないという。

 安全への道はまだ半ばと語る市川さんは、「息子のような被害者を二度とだしてはならない」と、エレベーター会社のみならず、安全対策にかかわる関係者に再発防止のための対策を徹底するよう訴えている。

<参考記事>
「東京・芝エレベーター事故死 事故から11年「やっと」遺族、シンドラー社と和解」
毎日新聞2017年11月25日東京朝刊
https://mainichi.jp/articles/20171125/ddm/041/040/121000c

2017年9月17日日曜日

JR山陽線踏切事故、電車の運転士を書類送検~JR山陽線八人山踏切

 報道によると、9月15日、一昨年岡山県倉敷市のJR山陽線の踏切で起きた事故で、岡山県警は、電車の運転士を業務上過失傷害などの疑いで、岡山地検に書類送検した。一昨年2月、JR山陽線新倉敷ー西阿知駅間の八人山踏切で、立ち往生したトラックと電車が衝突、乗客1人が重傷、運転士を含む44人が軽傷を負った。
 運輸安全員会の報告書によると、トラックの運転手は踏切の非常ボタンを押して、電車に異常を知らせる発光機が作動したが、架線の支柱が運転士の視界を妨げ、電車の運転士は異常を知らせる発光機が見えなかった可能性が高いとしていた。
 
 運転士は踏切の手前約210mでトラックに気づき、非常ブレーキをかけたが間に合わず、トラックと衝突したという。

 今回、岡山県警は、電車の運転士が前方を確認を怠ったことが事故につながったとして、業務上過失傷害と業務上過失往来危険の疑いで書類送検。また県警は、トラックの運転手についても、過失運転障害のうたがいで書類送検している。
 警察は、警察が調べたところ、少なくとも400m手前から踏切の状況が見通すことができ、その時点でブレーキをかけていれば、衝突を避けられたことがわかったとしている。
 警察は、運転士はこれまでの調べに対し、「計器に気を取られていて、前方をよく見ていなかった」と話しているということだ。

 なお、運輸安全委員会の事故調査報告書によると、衝突した大型トラックは、制御装置に不具合があるとして、6回リコール対象となっていたが、すべて改修していた。また、変速機の異常発生が記録されていたが、異常発生時刻が記録されていないため、異常発生が立ち往生の原因と特定することは避けた。

<参考記事>
「非常灯が運転士の死角に 岡山踏切事故、架線の支柱が遮る」日本経済新聞
 2016年3月31日
 https://www.nikkei.com/article/DGXLZO99087010R30C16A3CC0000/
●「JRの踏切事故で電車の運転士を書類送検 岡山」NHKニュース2017年9月15日 
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170915/k10011140481000.html?  utm_int=nsearch_contents_search-items_001

2017年4月21日金曜日

お年寄りを助けようと踏切へ~京急川崎第一踏切

 4月17日、京急八丁畷駅そばにある踏切に行った。

 報道によると、先週15日(土)午前9時9分頃、踏切に入ったお年寄り(77才)を助けようとした男性とお年寄りが亡くなった。お年寄りが遮断機が下りても、中にとどまっているのを見た男性(52才)が、踏切の外から声をかけたがお年寄りは出てこない。男性は、遮断機をくぐって中に入り、お年寄りを外に出そうと腰に手をまわしたが、直後に快特が来て二人とも電車に撥ねられた。

 このニュースを聞いて、私は、2013年10月、横浜線中山駅そばの川和踏切で女性が亡くなった事故を思い出した。女性は、お年寄りを助けようとして踏切に入り、亡くなった。
 今回も、お年寄りを助けようとした男性が亡くなったと聞き、やりきれない思いで胸が苦しくなる。
 
京急八丁畷駅そばにある踏切。快特が轟音をたてて通過する。
2017年4月17日撮影
   京急川崎第1踏切は、八丁畷駅のすぐ横にある。八丁畷駅は快特は停車せず通過するため、快特は踏切を110㎞ものスピードを出して通過する。また、踏切の遮断棹と電車との間隔も少ないので、風圧を感じる。

 朝夕は電車がひっきりなしに通過し、開かずの踏切(1時間のうち遮断時間が40分以上)になる。
 快特の運転士がお年寄りと男性に気が付いたのは、踏切の70mほど手前で、非常ブレーキをかけたが間に合わなかったという。当時、踏切に4箇所設置されている非常ボタンは押されなかった。
 
京急川崎第1踏切。非常ボタンがある。
2017年4月22日撮影
踏切には、障害物検知装置といって、踏切に立ち往生などした車両を赤外線などで検知するしくみがある。しかし、車両の検知が目的のため、人は検知の対象に設定されておらず、今回のように、お年寄りが何秒も線路内にとどまっていても検知器の死角に入ってしまうと、電車の運転士に信号が送られないという。

 踏切の事故を無くすにはどうしたらよいのかとよく聞かれる。専門家ではないわたしには難しい質問だが、何よりも人を検知できる装置を設置してほしいと思う。
踏切は歩道と車道が分けられていた。非常ボタンは押されなかった。 2017年4月17日撮影
踏切を通るのは、自動車だけではない。ベビーカーをおすお母さんや、手押し車を押しながら渡るお年寄り、車椅子で出かける手足に障害を持っている人など、様々な人が通行する。若い働き盛りの人ばかりではないのだ。
八丁畷駅前は川崎駅に近く、バスやトラック、乗用車などが頻繁に通る。
2017年4月17日撮影
そういう人たちが万が一、踏切の中で転んだり、倒れたりしたときに、検知して電車の運転士に知らせ、自動的に電車の速度を落としたり、停車できるようにすることが必要ではないのか?
 人も検知できるようにする、ぜひ取り組んでほしい。そして、尊い命が失われることのないように、対策を考えてほしい。

 最後になりましたが、亡くなられた方々のご冥福を祈ります。

《追加》2017年4月22日、非常ボタンの写真を追加しました。
《参考記事》
「踏切に立って考える」朝日新聞2017年4月18日付天声人語
http://digital.asahi.com/articles/DA3S12896782.html

2017年4月18日火曜日

東日本大震災から6年~七十七銀行女川支店

 東日本大震災から6年1か月近くが経った4月8日、石巻から女川町を訪ねた。

 田村孝行さん夫妻の息子さん健太さん(当時25才)は、震災当時、七十七銀行女川支店の行員で、屋上に避難して津波にさらわれ、半年後に発見された。今回、田村さん夫妻に女川や石巻を案内していただいた。

  七十七銀行女川支店で、津波襲来当時、支店の行員たちは、走っても1分という近くにある町の避難場所である堀切山に避難せず、屋上に避難して津波に呑まれた。12名が流され、今も8名が行方不明だという。

 町の防災無線が「大津波警報が発令されました。至急高台へ避難してください」と叫ぶ中、なぜ、女川支店の人たちは避難場所に避難しなかったのか、なぜ高さ10mの二階建ての支店の屋上だったのか? 勤務中であるため、上司である支店長の「屋上へ」という指示に従わなくてはならなかったのなら、銀行に責任はないのか?

 数々の疑問がわいてくる。誰でも「町中の人たちが避難している高台へなぜ避難しなかったのか」疑問に思うだろう。支店から100mほどにある堀切山は、国土交通省が、山を削って海を埋め立てをし、山には町立の病院を建て、災害時の避難場所にした。一石三鳥の公共工事と言われたそうだ。

 そんな立派な避難場所があるのに、なぜ、避難場所を屋上に選らんだのか、疑問に思う。

 そして、避難場所である堀切山の中腹に立って驚いたのは、何よりも、七十七銀行女川支店が、目の前にあったということだ。今は取り壊されて跡形もないが、銀行があったとされる場所は、目と鼻の先だった。
 ③の写真の中ほどに茶色い箱のようなプレハブが見えるが、このあたりに七十七銀行女川支店があったという。
 避難場所である堀切山は、女川町立病院があり、高さ16mにおよぶ津波はこの病院の1階まで押し寄せてきた。
①田村さんが、病院の柱にある、津波が到達した印を示してくれた。
女川町では、津波は高さ16mに及んだ。2017年4月8日 
三陸海岸のようなリアス式の海岸では、湾の入り口が狭く海岸線が入り組んでいるため、内陸にいくほど、津波が高くなる。この「遡上高」と呼ばれる内陸へ津波がかけ上がる高さは、気象庁が予想する高さよりも、4倍程度になることもあるという。

 銀行支店の屋上は10mほどしかない。もし、それ以上の津波がくれば、逃げ場がない。堀切山にも津波は襲来したが、その上の神社まで避難して、600名の町民は命を守ることができた。

 阪神大震災以降、企業の事業継続計画やマネージメントについて、策定が進んでいると聞く。
ぜひ、企業の従業員の命をどう守るのかという点に重点を置いて、計画を練ってほしいと思う。
 
 
②女川町立病院の駐車場。この病院の1階まで、津波がきた。
③堀切山の中腹、町立病院から女川支店方面を見る。
下には、津波犠牲者の慰霊碑がたつ。2017年4月8日
④堀切山の向かい側にも避難できる場所がある。
説明するのは田村弘美さん。  2017年4月8日

⑤慰霊碑の前で、女川支店の場所を説明する田村弘美さん。
2017年4月8日


⑥慰霊碑のある高台から女川湾を見る。  2017年4月8日

女川駅の前には真新しい飲食店が並ぶ。奥に見えるのは女川町駅。
このような景色は、まだ町のほんの一部。  2017年4月8日。
駅前の道路の向こうを見ると、津波に倒れされた交番が、横倒しのままだ。
2017年4月8日
最後になりましたが、亡くなられた方がたのご冥福を祈るとともに、一刻も早く行方不明の方々が発見され、ご家族の元に帰られるよう、祈ります。 そして、東北の復興を願います。
 
《参考》
「七十七銀行女川支店被災者家族会有志」 https://www.facebook.com/77onagawa/

2017年4月14日金曜日

那須で雪崩、高校生ら8名死亡~林野庁、雪崩危険個所に指定

 報道によると、3月27日午前9時20分頃、栃木県那須郡那須町湯本にある那須温泉ファミリースキー場で雪崩が発生し、登山をしていた高校生らが巻き込まれた。高校生らはスキー場のゲレンデ上部で登山中に雪崩に遭い、県立大田原高校の生徒7名と教諭1名が死亡、他に生徒と教諭の計40名が重軽傷を負った。

 那須高原署や消防、県教育委員会によると、現場では、3月25日から27日、栃木県高校体育連盟が登山訓練「春山講習会」を主催、県内七つの高校の山岳部の1,2年生が参加していたという。
 報道によると、27日午前6時に、雪による悪天候のため登山を中止したが、午前8時から生徒と教員の計48名で雪を分けて進む「ラッセル訓練」をしていた。参加7校が5班に分かれて、大田原高校が先頭で訓練していたようだ。
 宇都宮気象台は、26日午前10時半ころ、栃木県北部に雪崩や大雪の注意報を発表、注意を呼びかけていた。担当者は「未明からの約10時間で積雪となり、気温は比較的高い。雪崩が起きやすい環境だった」と話しているという。

 報道によると、林野庁は、現場一帯の那須岳国有林は「雪崩危険箇所」として指定していたが、栃木県は山岳関係者らに周知していなかったことがわかった。
 また、林野庁は国有林に立ち入る際は、入林許可の申請を求めていたが、講習会を毎年主催していた県高等学校体育連盟登山専門部は、少なくとも5年間は申請していなかったという。林野庁は「申請があれば、雪崩への注意を促すことができた」としている。

 林野庁などによると、1997年度に現場一帯を危険箇所に指定し、県に伝達したが、県は防災計画に明記したものの、県が独自に危険地域を図示しているHPには反映していなかったという。県は危険箇所を見直す方針。

 亡くなった大田原高校の生徒らは、雪をかきわけながら歩くラッセル訓練で、スキー場上部にある樹林帯を越えた標高の高い斜面まで登っていたとみられ、樹木などの障害物の少ない斜面で雪崩の直撃を受けた可能性があるという。他校の生徒は、雪崩の勢いが軽減される樹林帯の中や、さらに標高の低い場所にいて、重軽傷のけがですんだとみられている。

 生徒らが、春山登山の訓練をするのに那須岳が適していたかどうかなど、これから捜査されるのだろうが、林野庁の情報が、訓練を計画する高校体育連盟など、関係者に届いていなかったことが事実だとすれば、とても残念なことだ。

 訓練の計画にかかわる人たちは、多くの生徒の命を預かるのだから、訓練をする場所など、十分に調査して計画をたててほしい。そして、無理な訓練をしないでほしい。

 最後になりましたが、亡くなられた生徒や教員の方のご冥福を祈ります。

《参考記事》
「那須8人死亡 現場は雪崩危険箇所 林野庁指定、県は周知せず」
2017年4月2日東京新聞 TOKYO Web
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201704/CK2017040202000124.html